揺れない天秤 第六話
結論から言って、マサキのネームプレートは大いに役に立った。入ってみるまではわからなかったが、研究棟ではどこの部屋に入るにもセキュリティチェックがあり、認証が成されなければ廊下を彷徨くくらいしかできない仕様だったからだ。
勿論、いちいちレイラに開けさせる手は使えたが、何度も扉の前に立ってはスマホで連絡などしてる奴がいれば、まず間違いなく通報案件だろう。その点、ただ認証機械に翳すだけで通れるネームプレートは、ありがたいという他なかった。
とはいえ、ものが10階まである巨大建築物、今日のところはどこにどんな部屋があり、どの研究員がどこまでなら入っても不自然ではないかなど、マップの確認以外に、研究所全体の概要を確認する下見に終始していた。潜入している身で、しかも長丁場が予定されている以上、怪しまれないというのも大切な要素だからだ。
およその下見が済み、佐久間葵が6階の医薬品研究、宇津木は7階で、遠心分離機等を用いたバイオ製薬の研究に従事していたことは確認している。明日からは、普通にイキッたりしなければ人受けの良いゴンは、主に研究員と接して直接の情報収集、俺は資料室を巡り、宇津木が過去に関わっていた人々がどのような人たちか、どんな縁があったのかなど、外堀を埋めていくことで話はまとまっている。
「いやあ、、今日は働きやしたね、ケイさん。俺もうクタクタっす」
特別手当てとか出ねえんすかね、とか聞いてくるゴンだが、一応これも正規の業務の一つだ。雇い主の胸先三寸ってやつになるだろう。
総合事務所とか銘打っているが、俺たちのやっているのは結局、マサキの小間遣いみたいなものだ。収入が入るような業務はほとんどなく、こうした事件や問題などを発掘しては解決をしていくだけ。金など有り余っているにも程があるマサキだし、事務所自体、単にマサキの税金対策みたいなところがあるからな、それでも全然かまわないのだろう。
日も暮れて、事務所に帰ってみると、ソファーではさぞや疲労したらしいマサキがぐったりと身を沈め、和希はパソコンに没頭して、怪しく眼鏡を煌めかせていた。
俺たちの姿を見つけると、マサキは疲れた様子で力なく片腕を上げ、そのままパタリと腕をソファの外に投げ出す。腕を上げるのも億劫という振る舞いに、こいつがいかに和希にこき使われたかを感じさせる。
「、、大丈夫か?」
「ああ、、大分処理したけれど、まだまだ段ボールは山積みだからね、明日からは本業を投げ出して力仕事さ」
おい、いいのかそれ。こいつ、グループの中ではかなりのお偉いさんなはずだが、屋台骨の事業が傾いても知らねえぞ。
ところが、俺の表情でも読んだのか、心の声を聞き取ったようにマサキは、大丈夫だよ、と言葉を続けてくる。
「僕くらいの立場になると、必要なのは重要な決済くらいで、基本的な業務は部下が全部回してくれるからね。君たちも、僕にはかまわず調査を続行してくれ。なに、いつもは頭痛の種との戦いだが、たまには筋肉痛との戦いというのも悪くない」
「どっちかというと、両方まとめて相手取ってる気がするけどな、、」
相変わらずパソコン作業に没頭する和希は、不気味にうふうふ笑っていて、一体何を見ていやがるのか、俺ですら関わりあいを避けたくなるような雰囲気を醸し出している。うちの事務所は変わり者が多いと思うが、一番の頭痛の種は間違いなくこいつだろう。
事務所にあった段ボールの山は、確かに減ってはいるが、、この事務所には、紙類を処理するための大きなダストボックスがあるから、そこにでも放り込んだのか。そっちの廃棄処理くらいなら引き受けてやろうか、と提案するが、マサキは苦笑して首を横に振り、いいよ、と否定したあと、改めて今日はありがとう、と何故か礼を言って来る。
「今回の君のMVPは、僕にチョコレート菓子を用意しておいてくれたことだよ。あれがなければ僕は今頃躯となってこの場に転がっていただろう」
「うふふ、嫌ですよ所長、今も大して変わらないじゃないですかあー」
立派に死体ですよー、うふふふふ、とか急に話に首を突っ込んできたと思ったら、いかにも怪しく笑ってる和希、お前所長の意味わかってんのか、と聞き返したくなる。あははは、とかマサキもまた楽しげに笑ってやがるのがまたカオスだ。疲れで頭のネジの一本や二本緩んでいるのかもしれない。
俺は、とにかく、と声を上げてこいつらの笑いの輪を断ち切った。ただ、和希はともかく、マサキの疲労は本物っぽいので、そこで一度言葉を切る。
「、、で、今日の報告を聞く元気くらいはあんのかよ。一応考察もあるんだが。疲れてるって言うなら、明日の朝にまとめて連絡してもかまわねえけどよ」
「今聞くよ。僕にとって、朝ほど憂鬱で陰鬱で鬱屈した時間はない」
いや、そんなに鬱鬱続けんじゃねえよ。どんだけ朝が嫌いなんだこいつ。
こいつが朝に弱いのは、昨日の睡眠休みとかいう休み方からも想像はつくわけだが、、まあいい、今聞けると言うなら今話すまでだ。俺はデスクに戻ってレイラを呼び出し、事務所の奥からホワイトボードを引っ張り出して、プロジェクターを起動する。
本来であれば、画像を映し出すには細かな下準備が必要だが、それはレイラに全て丸投げだ。俺は相変わらず目に優しい金髪美女の姿で現れたレイラに、昼に見た、事件現場の写真を映し出すよう命令する。本来ならグロ注意の代物だが、ここにいるのは生粋の変人どもだ、遠慮なんかしてやるわけもない。どうせ喜ぶ奴と面白がる奴と、飽きた、とかほざく奴しかいねえだろう。
『承知しました、マスター。衛生写真から時刻11時03分47秒08に撮影した写真を映し出します』
レイラの抑揚のない、無機質な声とともにホワイトボードには、俺とゴンがまさに昼間検証した、血の華の写真ーー宇津木帯人殺害後の事件現場が、大写しで映し出される。それもリアル死体の転がっていた昨日の写真ではなく、昼間に、敷地を歩く俺と呆然と立ち尽くすゴン、腕組みをして立つ佐久間が映っている。今日という日の景色を。
アングルは空の上から撮った、いわゆる上空写真というやつだが、こいつをいつ撮ったかといえば、いつの間にか、というしかない。レイラは起動当初、俺が監視対象に選ばれた、とか言っていたわけだが、文字通り、こいつは俺をいつでも監視しているのだ。衛生写真まで使って。
俺はそれを承知しているから、事件現場の近くに行くだけで、この手の写真はいくらでも撮ることができる。勿論、昨日のように警察が現場検証した写真をデータにしていれば、そちらから探るのが基本だが、警察が写真をデータに保管していない時などは、案外重宝したりもしているのだった。
どのような補正をかけているのか、解像度は極めて高く、写真を見るのと実物と見るのとでも見た目に大差はない。写真には工場の敷地に十字に走った生活道路、路面一杯に盛大に咲かせた血の華と、やや北寄りに白枠で形作られた人型、チョークアウトラインが路面に引かれていて、俺は指示棒を取り出し、まず、これが事件現場だ、とマサキに教えてやる。
「見ればわかると思うが、この白枠が宇津木が倒れていた死体の位置、紅いのは全部宇津木殺害時に飛び散ったと思われる血痕だ。リアル死体の写ってる写真もあるが、それは俺のパソコンで確認してくれ。白枠の方が説明に適してるんでな、こっちを使うぜ」
「うん、素晴らしいね。派手だねこれは。結構僕好みだよ」
「うふふ、ちょっと芸術的センスに欠けますが、私も悪くないと思いますうー」
「あー、これもう俺見飽きたっすよ。もう見ても何もねーっすよ」
、、いや、どんだけ予想通りの反応しやがるんだ。
マサキは早速俺のパソコン画面を見て嬉しそうに、いいねえ、とか手を叩いて笑っていやがるし、和希は相変わらず、うふふふ、とか楽しげだし、ゴンに至っては自分のデスクで大きく伸びをしたと思ったら、欠伸までしてデスクに突っ伏し、疲れたっす、とか宣いながら寝る体勢に入りやがった。
「誰かまともな反応するやついねえのかよ、、」
「大丈夫、君も十分まともじゃないよ。自分を監視する相手から得た、衛生写真で現場検証を始めている時点でね」
いいから続けて、とマサキは俺の嘆きを一蹴して先を促す。くそ、俺のはただの慣れだ。3年も経ってて今更気にするやつなんていねえよ。
「、、とにかく、この写真でわかる奴はわかると思うが、この現場には不可解な点がいくつもある。まずは、この出血量の多さだ。この生活道路は左右で3メートル、前後で5メートル、その15メートル四方全域に血痕が広がってるってのは尋常じゃねえ」
「確かに範囲は広いけれど、言うほど多いかな?」
「多いんじゃねえか? 俺も詳しいわけじゃねえが、三人分くらいあると思ったぜ」
いくら首からの出血とはいえ、噴出量にも限度がある。人体全体から見れば一部ではあるかもしれないが、それこそ死体から搾り出しでもしなければ、ここまで盛大には広がらないだろう。
マサキは腕を組み、首をかしげながら、少し計算してみようか、とか言い出してくる。
「表面積15メートル四方とはいえ、血痕の厚み次第で体積は少量でも十分広げられるからね。ーーうん、1ミリの厚さで広がっている程度でも、1リットルも必要としないね。ましてや全面埋っているわけでもなく、まばらに咲いた程度だ、現実的な量ではあるんじゃないかな?」
どんな計算をしたのかは知らないが、マサキは総量としては全然普通だよ、なんて笑顔で続けてくる。俺にその手の計算はできないが、こいつがそう言うのならそうなんだろう。事実、この血痕が一人分だという話は佐久間からも聞いている。
俺は続けて、白枠の中を見な、とレイラにチョークアウトラインのアップを命じ、その白枠の中の血痕に指示棒を当てる。
「二つ目、こいつは移動させられた跡があるそうだ。この中の血痕が不自然に広がってるだろう」
白枠の中の血痕は、刷毛でも使ったように不自然なベタ塗りの跡がある。とはいえ、移動距離はせいぜいが60センチ程度で、これだけを見るなら、一度引きずって運ぼうとしたものの、重さや体勢など、状況が悪くて諦めただけ、というように見えなくもない。
マサキは、なるほど、と頷いただけで、特に意見や、興味が引かれる要素はないようだ。
ならばと俺は続けて、この死体との位置関係もだ、と解説を続ける。
「出血の範囲は宇津木の倒れていた範囲から見て、前方に多く後方に少ない。だが、そもそもなんで死体の前後両方に出血の痕があるのかって話だ」
狙った場所がどこであれ、前から仕掛けたのなら前に、後ろから仕掛けたのなら後ろに出血が集中するのが、普通の傷というものだ。噴水じゃあるまいし、前後に撒き散らされる出血などあり得るのか。俺のその疑問に、マサキは、確かに不自然ではあるね、と頷く。
「そうだね、この死体は移動させられた跡がある、とは言うけれど、仮に移動する前の位置にいたとして、出血の範囲は依然として前後に広がったまま、不自然であることに変わりはない」
「ああ、まさか前後の両方から同時に仕掛けた、ってわけでもねえだろうにな」
それなら唯一、前後の出血もありそうだが、、そんなうまく行くものなのか。それにその場合、犯人は複数犯ということになり、犯人探しの難易度は急に跳ね上がることになる。
マサキは腕組みに加え、足まで組んで首をかしげていて、どうかな、と呟いたと思ったら、俺のパソコンを何やら操作し始める。
、、これ、解説を続けていいのか。
「おい、何を弄ってるのか知らねえが、」
「ああ、やっぱりあったね。レイラ、これを表示して」
「おいーー」
レイラは、承知しました、と端的に頷き、ホワイトボードに映っていた画面を急遽他の写真に切り替える。ーー今までも紅の目立つ目に優しくない画面だったのを、更に紅一色に染まった、リアルな死体の載ったグロ画像へ。
「う、ううっわ、、! でで、出たあっ!」
ゴンのやつ、どうも寝に入りながら一応画面だけは見ていたらしい。いきなり飛び起きたと思ったら、驚きすぎて、どがしゃん、と派手な音を立ててまた椅子から転げ落ちやがった。
だが、それも無理もない。マサキがホワイトボードへと表示させたのは、一度は俺たちも確認したものの、あまりのグロさに一度精査を断念し、次の画像へと送っていた宇津木の死体、その中でも、落とされた首の断面図だったのだから。
画面には、首を輪切りにして上から覗き込んだような、樹の年輪にも似た画像が映し出されている。ただし、年輪に当たる部分は、首の皮、肉の真っ赤な中身に、糸のような見た目の神経、血管らしき何か、白がかろうじて見える骨、赤茶けた骨髄と、まともな神経の持ち主なら5秒と見ていられないような、トンデモ画像なわけだが。
和希ですら笑いを止めてじっと見つめるその画像を、マサキは頬杖をついて相変わらず楽しげに眺めやり、うーん、とか残念そうな声をあげる。
「残念ながら、この画像を見る限り君の推論は外れだね。凶器がなんであれ、前と後ろから斬り付けたにしては、切り口にズレが無さすぎる。余程息の合った二人でもなければ、こうはいかないだろう」
ほら、とマサキは首の前と後ろらしき二点を指差すが、生憎この画像じゃどっちが前で、どっちが後ろなのかすらよくわかんねえよ。むしろこいつはなんで見分けられるんだ。
それに、息の合った二人ってのは、、なんとなくマサキが誰かを暗示しているようにも感じられるが、それはあえて無視をする。俺の中では、真実からは最も程遠い示唆だったからだ。
「それに、骨の割れた様子を見ると、かなり強い力がかかって切断されたように感じるね。これはーーっと」
マサキが口上を述べ、その間に画面が元の衛生写真へと切り替わる。俺がレイラに、画面を戻させたからだ。こんなもの、大画面でいつまでも見てるような代物じゃねえだろう。
マサキは、ねえ、と不満そうな目で俺の方を見つめてくる。夢中で見ていたアニメを急に横から親に切り替えられたような、露骨に不服な様子だったが、俺はむしろ溜め息でそれに答えてやった。
「お前な、全員が見てる大画面で急にこんなグロ画像に切り替えるんじゃねえよ。後で一人で確認してろ」
「全員が見てるから意味があるんじゃないか。まったく、良いところだったのに」
いや、だからアニメじゃねえ。動いてもねえものに良いところも何もねえ。
俺はゴンへと歩み寄り、ほら起きろ、と頬をぺしぺしと叩いてやる。ったく、この殺人現場くらいならこいつも動じなくなったようだが、不意打ちのグロ画像には相変わらず弱いらしい。
「さて、あとは、、こいつが見つけた電柱の痕か? レイラ、現場に立つ電柱の写真だ。アップにできるか?」
『承知しました。衛生写真、時刻11時24分51秒19に撮影された映像を表示します』
画面は、電柱を空から映した画像へと切り替わる。といって、電柱自体はおそらくこいつが見つけた電柱なのだろうとは思うが、角度が悪く、電柱に引かれていた痕は見えていない。
「どれが電柱の痕なんだって?」
「いや、これじゃ見えねえな。ゴン、わかるか?」
「ええっと、、ちょっと引きにしてもらっていいっすか? 近すぎてわかんねえっす」
確かに。レイラに言って写真をわずかに引き、そこに電柱とそれを指差すゴン、近くに肩を寄せ、頭を撫でてやっている佐久間の写真が映し出される。
ちっ、これもたまたまそういった角度だったのだろうが、パッと見には、佐久間がゴンに寄り添って頭を撫で、可愛がっているような絵面にも見えないことはない。レイラもまた、微妙な瞬間をチョイスしやがったな。面倒くせえ。
予想通り和希からは、あらあらあらー、とかいう魔女が生け贄を見つけた時のような、不気味に揶揄する声が聞こえてくるし、マサキも嬉しそうに、いいねえ、とか手を叩いて笑い出したりもする。ちなみに意訳はどちらも、良い玩具を見つけた、だ。和希もマサキも二人とも、急に爛々と目を輝かせて身を乗り出してきた。
「これまた良い瞬間を撮ったね。あの刑事は佐久間楓かな?」
「ラッブラブですねー、こんなお楽しみがあったなんて、ごんさんも隅に置けませんー」
「いいい、いや、そんなことねーっすよ? そんなことねーっすけど、、そんなことなんすよねー、うへへへっ」
いや、ゴンの奴までだらしなく口許を緩め、変な笑いを始めやがったし、和希もマサキも事件そっちのけでワーキャー喚き始めやがる。初めはどこで会ったんですか、だの、きっかけは、だのとインタビューまで続いて、すげえくだらねえ寸劇まで始まりやがった。
「おい、お前らな」
「あ、啓も参加する? 質問内容はまだまだいっぱい残ってるよ」
「しねえわ!」
くそっ、なんかイラついてきた。マサキも止めるどころか煽るような態度でいやがるし、学級崩壊した小学生じゃねえんだよ。つーか、結局俺が鎮めなきゃなんねえのかよ。悪乗りしすぎだろう。
「おい、お前らなあ、、まずは事件だろうが!」
「おっと、ケイ先生がお怒りだ。インタビューは後でまたじっくりするとして、そろそろ事件に戻ろうか」
「ええー、つまんないですー、恋バナの方が楽しいですよー」
「そうっすよ、どこぞのおっさんの死体より俺と佐久間のねーちゃんの未来の方が大事っす!」
「うるせえな、そんな未来は永遠に来ねえからさっさと電柱の痕について説明しやがれっ!」
ええい、こいつら三人が揃うと、なんだってこんなに纏まりがねえんだ。俺は、早くしろっ、とガキのように騒ぐ連中を一喝し、無理矢理軌道修正をする。コトが殺人だってのに、真剣味が無さすぎだろう。
ゴンは、仕方ねえっすね、とか不満げに言いながら、席を立って俺から指示棒を取り上げ、電柱の上から2メートル程度の位置を指し示す。
「この辺に、一直線に白い線が引かれてたんすよね。最初は一本のように見えたんすけど、なんか複数あるようにも見えて、どうなってんすかね、って数えてたのが、たぶんこのシーンっす」
「へえ、横ねえ、、ちなみにどの向き? 横と言っても色々あるよ」
マサキは、どっちに伸びるのか、を指を色々な方向に振りながらゴンへと問いかける。確かに、南北に伸びるのか東西に伸びるのかだけでも、意味合いは大分変わってくる。
「たぶん、こうだと思うんすけど、、どうでしたっけ、ケイさん?」
「あ? 俺かよ」
ゴンは自信なさげに前後方向、つまりは生活道路に沿った方向で線を示す。おそらくはそれであってると思うが、それを告げてもマサキは、へえ、と頷くのみだった。軽く首をかしげて、何かを考察しているようにも見える。
「ちなみに、他の電柱に同じ線はなかったのかい?」
「あ? そういえば、どうだったか、、見てねえな」
「俺もっすねー、あの後は佐久間のねーちゃんとの未来を」
「だってよ、マサキ」
また寸劇が始まる前に、俺は無理矢理話を断ち切ってマサキへと話を返してやる。同じ轍は二度は踏まねえぞ。面倒極まりない。
マサキは苦笑して、了承したよ、と頷くと、大きく伸びをして、不意に窓の外を眺めやる。
外はもう真っ暗で、夜の町が稼働している様子が、ビルの外には見てとれる。時刻にすると19時半ってところか。和希もゴンも、昨日は定時とかいってあっさり帰っていったが、マサキがいるとやっぱり違うらしい。ただ、ようやく時間に気づいて、やっぱり帰りたそうにソワソワはし始めている。
マサキはその反応を確認してから、うん、と頷いて、俺へと視線を戻す。
「それじゃあ、それが今日発覚した事件現場の概要、ということで良いかな? 僕も今日は疲れているからね、あといくつかで締めにしたい」
「ああ、、今日の報告は以上だ。何か質問は?」
俺はマサキと、一応和希の方にも目線を送って問いかける。ゴンはどうせねえから無視だ。もう妄想に付き合わされんのはごめんだ。
マサキは、そういえば、と一つ挙手をした。それから、何かを思い出したように、ああ、と付け加える。
「いくつかあるね。まず、凶器は判明していないんだね?」
「今日佐久間に会っているが、わかったって話は聞いてねえな。鑑識には出しているみたいだから、いずれは判明すると思うが」
レイラがいるから、警戒はしなきゃならないが、一応は協力者だ、わかったことがあれば向こうから教えてくるだろう。いつ連絡が来ても良いよう、留守電は忘れるなよ、と和希に命じておく。ついでに、変な格好で外を彷徨くなよ、とも。
和希はわかってない風だったが、マサキは、その説明の前に、それじゃあ次、と倒れた宇津木の足元にある、横に直線的に伸びた血痕を指差して首をかしげた。
「説明がなかったけれど、僕にはその不自然な血痕が気になるね。何か現場に置いてあったのかな?」
「、、置いてあった?」
「ああ、一直線に引かれた血痕というだけでなく、僕にはその部分が、他より多くの血が付着した痕のように見える。血液も液体だからね、何かがあれば表面張力でそこに液体は集まるだろう」
こういうことさ、と言ってマサキは和希に水を用意させ、デスクの上にわずかに水を付け、そこに定規を一本置く。そして、定規の端をデスクに付けながら持ち上げる。
デスクの上には、なるほど、確かに定規に沿った形で一直線に水の痕が残っている。これが表面張力によって水が集まった、という痕というわけだ。そういえば、グダグダしててこの血痕についての説明を忘れてたな。悪い、と一応一つマサキには謝罪しておく。いや、騒ぎ始めたこいつらが悪いんだが。
デスクの水を眺め、和希がパチパチと拍手を始める。格好は既に白衣を脱いでいて、いつの間にか帰る姿勢も終えていた。
「なるほど、水の上に定規を置くと、定規の隅に合わせて横一直線に水の痕ができると、、これが血の痕なんですねー? さすがです所長ー」
「つまり、定規で宇津木を殺したってことっすか! さすがっすマサキさん!」
「いや、落ち着け阿呆」
だからさすがっす、じゃねえんだよ。例えで持ち出した物にマジな反応すんな。
だが、着眼点そのものは悪くないように思われた。もとはただの血痕だったが、上に何かが置かれて、この横に延びたような形状になった、、その考え方はなくはない。厳密にはこの横に伸びる血痕の周囲にも上にも、血の舞い飛んだ痕はあるから、それが何かは考察が必要になるだろうが、少なくともそれが事件の謎の解明には繋がるだろう。
「何かが置いてあったから、か、、悪くねえな」
少しだけそこに光が見えた気がして、俺もそこでようやく、わずかに口許を綻ばせた。
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