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揺れない天秤 第四話

佐久間は、お手本のような手捌きで車を発進させながら、気にするな、とミラー越しに微笑みかけてくる。

「お前たちは路上トラブルを解決しただけだ。胸を張れ。何も悪いことはしていないのだから、堂々としていろ。そうすれば市民の皆さんも誤解なんてしないさ」
「だといいがな、、」

サイレンこそ鳴らしていないが、パトカーの中にいるというだけで、通りすがりの人間たちから無用な注目を浴びているのは感じている。それも、主婦たちのひそひそ話、また何か事件ザマスのよ、とでも言われているかのような雰囲気全開で。下手したら明日からしばらくこの辺歩けねえぞ。

佐久間は相変わらずの性善説というか、ある種お花畑な思考回路をしているとは思うが、これで一課の猛者どもを束ねてやがるんだから、人間ってのもよくわからないもんだ。それも、一課の連中、こいつのことはほとんど崇拝してるレベルで従順だからな。どんな教育してやがるのか知らないが、部下にしょっちゅう悩まされる身としては、是非そのコツを教えてほしいくらいだった。

そうして、しばらく車を進ませたところで、信号の停止中、佐久間が、そういえば、となにやら渋い顔でこちらを振り返ってくる。

「話は変わるがお前たち、事務所への留守電は聞いたか? 昨夜私個人から、お前たちの事務所に連絡を入れておいたんだが」
「ああ、、聞いたぜ。いつも悪いな」

朝、事務所に出勤した時点でその留守電は聞いていた。予想はしていたし、警察からの電話には、レイラにも速攻で応対するように言ってあったしな。

俺の隣では、何のことだかわかっていないらしいゴンが、留守電? とか首をかしげている。そういえば、こいつにはわざわざ教えなかったな。聞かせるまでもなかったからな。

俺は、最近の都市伝説だ、とゴンへと教えてやる。日々ネタ集めに奔走している身なんだから、聞いたことくらいあるだろ、と。

「最近この辺で、口から血を流した不気味な女が、夜な夜な街を徘徊してるっつー噂があんだろ」
「、、口から? 血をっすか?」

何かを思い出したのか、ゴンは一瞬で目を細めて口許を歪め、不意打ちでグロ画像でも見せられたような、生理的嫌悪を滲ませた顔でこちらを振り向いてくる。まさに昨日そういう格好で出ていった奴を知ってるから、尚更に。

信号が変わり、車を再発進させながら、佐久間も小さく息を付いて頷いてくる。

「お前たち、御田村和希だったか? あのお嬢さんにも市民を怖がらせるなと言っておいてくれ。彼女については、昔から苦情が多くてかなわん」
「悪いな、言っても聞かなくてよ」

要は、昨日の退勤後、口から血のような痕の口紅をつけたまま街に繰り出していたが、やっぱり警察に苦情が行ったってことだ。佐久間は困った様子で肩を竦めていて、仕方なく俺も、了解したぜ、と応じてやる。どうせ今回も聞きゃしねえが。

あいつのモットーは、攻撃される前に先制で奇襲を仕掛けろ、だ。物騒極まりない思想だが、恐らくはこれも自分の身を守るため、とか言い出すだろう。夜道を歩いて怖い思いをしないためには、夜道に怖い奴がいるって話を先に蒔いちまって、自分がその通りの格好で歩いていれば誰にも襲われることはないって寸法だ。みんなビビって逃げ出しちまうからな。

ーー先制反撃、、ね。確かに悪い発想じゃねえが、いきなりされた側からしたら、ただ攻撃されただけだからな。被害者ぶった加害者の爆誕だ。

「夜道に怖いやつなんて、既に事件を起こした奴がいやすでしょうにねえ、、」
「ーーー」

その、ゴンの何の気なしの、ただ同意を示しただけの不意の呟きに。
佐久間の表情が、凍りついたように固まる。

こいつ、、デリカシーってもんがマジでねえな。部下の教育が上司の責任だっていうのなら、こいつの言動は俺の非でもあるわけだが。

佐久間は、やがてミシッという音が聞こえてくるくらいハンドルを強く握りしめ、ハザードを出して、ほとんど急ブレーキの勢いで路肩にパトカーを停め、さっきまでとは一変、獲物を狙う猛禽類を思わせるような鋭い目線でゴンの奴を振り返る。

「君、一つ確認するがーーなぜ夜道だと?」
「あ、、」

ーーそこか、、ちっ、どうやら部下の教育という点では、俺は自分に落第の印を捺さなければならないようだった。

事件については、俺たちは独自に勝手に調査を進めていただけで、佐久間には事件を調べ始めたことすら知られていない。警察の調査にしても、今は被害者の身元を割り出している状況で、当然、死亡推定時刻なんてものも公表されてはいない。

その、まだ何も知らず、公表されてもいない情報を、どこでどう手に入れたのか。こいつはやっぱり、一課を束ねる警視様だ。一見すると普通の婦警に見えても、そうした失言を容易に見逃したりはしない。それが例え、仕事仲間であっても。

「あ、、う、、」
「どうした? 夜道と言った、その真意を私は聞いただけだが?」

やべえな、、これは完全に取り調べモードの佐久間だ。問いかける声は静かで、いっそ穏やかにすら聞こえるのに、嵐の前の静けさのような、底冷えのする恐ろしさがある。静かなのが逆に怖い、というやつだ。

ゴンのやつ、完全に威圧されていて、顔色は血の気が引いて真っ青になっていて、マジで虎にでも獲物にされた小動物みたいになっちまってる。これは何かフォローを入れねえと、芋づる式にレイラの存在まで掘り起こされかねない。

じゃあ、何を言って誤魔化すべきか。今の佐久間に、余計な情報を与えるのは愚策だ。事件について、、ただの言葉の綾ってことで誤魔化せるか?

思案する俺の隣で、ゴンはなにやら吃り、

「あの、その、、」
「その?」
「そ、の、、に、、」
「に?」
「に、、に、、、ニラハラっすよそれっ!」
「、、、ニラハラ?」

なんだそれ、と佐久間の顔が呆気に取られて、驚きに固まる。ゴンは、その機を逃がすまいとばかりに両手を振り回し、大声で喚き始める。

「ニラハラっすよ、ニラハラっ! ケイさんもひでーっすけど佐久間のねーちゃんも大概っすね!? 二人ともニラハラっすよ!? いちいち睨んでビビらせようなんて、和希みてえなことしないでくださいよ! 二人とも目がこえーんすよっ!!」
「おい、俺まで巻き込むんじゃねえ」

なんでここで俺の名前まで出されなきゃなんねえんだ。しょっちゅう睨んでいるのは確かだが、この目は生まれつきで、睨んでるのだってただの癖みたいなもんだ。

和希の名前を出されたことでスイッチが切れたのか、佐久間は取り調べモードから普段の怜悧な雰囲気へと元に戻り、ああ、とか手を上げて、今度は逆にゴンを宥めようとする。

「悪かった、落ち着いてくれ。睨みハラスメント、ということだな? 最近はそんなことでもハラスメントになるのか、、わかった、もうしないから落ち着いてくれ」
「、、本当っすね? もう睨まないっすね?」

すっかり弱った様子の佐久間に、ジト目でゴンは追撃を入れる。佐久間は、わかった、と繰り返し、

「悪かった。考えてみれば、君が我々の知らない情報を掴んでいることなどいつも通り、珍しくもなかったな。その情報は、この先の事件現場で教えてもらうとするさ」

だからよろしく頼むぞ、と念押しだけして佐久間は引き下がる。

さっき否定しなかったせいだろう。どうやら、佐久間の中ではこれまでの事件で情報を提供できたのは、ゴンが情報を掴んでいたから、ということでまとまっちまったらしい。

さて、、果たしてこれを、言い逃れができたと喜んで良いものか。ゴンはこの場を凌いだことで、ホッと胸を撫で下ろしているが、単に泥沼に嵌まっている予感がしないではなかった。

車は、冷静になった佐久間がゆっくりと再発進させ、改めて、事件現場の工場まで車道を走り抜けていく。勿論、道交法遵守当然のパトカーだけに、法定速度は当然守るし、一時停止も繰り返し止まっているから、一気に現場まで走り抜けてくれる、なんてことは一切ない。

そして、止まる度に道行くおばちゃんどもが車内の俺たちの顔に目を留め、ひそひそ話をしながら通りすぎていく。どう見ても誤解されているが、パトカーで運ばれている最中の俺たちに、成す術など勿論ない。そんな俺の懸念した事態を何度か繰り返し、五分程度の後、ようやく見覚えのある二車線道路へと到着する。

この通りの、工場の敷地を二分する位置に、問題の生活道路はある。佐久間はウィンカーを出して道路を横切り、十字路の警官とは、お互い敬礼をして奥へと通過していく。

ーー徒歩では気付かなかったが、その際、この十字路の道が、縦横同じ幅ではなく、縦に、事件現場へと抜ける道路の方だけわずかに幅が狭く感じて、俺は首をかしげた。

確か、最初にこの外周を回った時に、徒歩での所要時間と道の長さを突っつき合わせて、この敷地はほとんど正方形、十字路もほぼ中央に配置されていることを確認したはずだ。この生活道路自体の幅を正確に計算には入れなかったが、そんな違和感を覚えるような誤差はないと思っていた。

「ああ、そりゃこの電柱のせいじゃねーっすか? なんか縦の道の方だけやたらと電柱が立ってやすし、その分だけ道が細く見えるんじゃねーっすかね?」

口に出した疑問に、ゴンは明らかな思い付きでそう答える。そんな馬鹿な、と言いたいが、確かに両脇に立っている電柱は縦の道に多く、その電線を伸ばしていく都合上、縦の道の方が道として使える面積は小さくなっている。

電線が縦に多数延びているということは、ヘルムホルツの正方形錯視の効果と見ても良いのかもしれない。いわゆる、ストライプ模様の縦と横では、長さへの認識が異なる、縦の方が細く見える錯視、というやつだ。

ひとまず十字路を通りすぎた俺たちは、規制線の前で駐車し、ようやくそこでパトカーを降りることができた。

狭苦しい車内と、時折放たれていた佐久間からの厚の強い視線から解放されて、ゴンは、うーん、と大きく手を上げて伸びをする。

「いやー、久々にシャバに出てきた気分っすね、ケイさん。なげー獄中生活っした」
「阿呆、出発から10分程度しか経ってねえだろうが」

何がシャバなんだか。俺と同居する前はどうだか知らないが、少なくともそれ以降でこいつが警察の厄介になったことはない。シャバも獄中もねえだろう。

幸い、降りた先に警察の姿はなく、人前でなかったからまだマシだが、誰か一般人でもいたら誤解の元だ。迂闊に変なことを口走んな、とゴンを窘めてから、俺は改めて周囲を見回してみる。

こちらから見た通りは、灰色の壁が延々続く、何の変哲もないただの道路だが、向こうの製薬会社まで一直線に繋がっていて、出入り口で往来する車がこんなところからでも確認できる。

とはいえ、距離にしてほぼ700メートル、この長さは車が豆粒サイズにしか見えない距離であり、望遠鏡でもあればともかく、あの製薬会社からでも、事件への目撃者は期待できそうにない。700なんて大したこともなさそうに感じるが、直線距離っていうのも伊達じゃねえな。

「ここが現場になるが、驚いてもいいが声はあげるなよ」

佐久間は俺たちを軽く振り返り、口の前に指を当て、それだけを慎重に告げて、規制線の奥へと消えていく。去り際、指で付いてこい、とジェスチャーをしていたから、俺たちも越えていいってことだろう。

俺は一応ゴンに、間違っても叫んだりするなよ、と注意を促してから、先行した佐久間に続いて規制線のテープを跨ぎ、バリケードの中へも遠慮なく入り込ませてもらう。ゴンもしっかり俺に続いてきたが、線を越えるのにおっかなびっくり過ぎて、怪しんでくれと言わんばかりだった。初めてでもねえだろうに、ちょっとは慣れろ。

バリケードの中では、佐久間が腕を組んで、涼しい顔でこちらを振り返っていてーー

「、、、」
「さて、、遺体だけは科総研へと移送してしまったが、ここが事件現場だ。他の人間が来る前に検分してしまってくれ」

、、なるほど。
さすがは警視様だな。堂々としたもんだ。この現場に来て、顔色一つ変えやがらねえ。逆にゴンのやつは、言葉を発することができないほどのショックを受けて、後ろで立ち竦んでいる。

それも、無理はない。まず嫌でも意識が向くのは、道路を埋め尽くすように飛び散った、視界の半分以上を占める、紅の色ーー先に写真で見て一応知ってるつもりだったが、やはり写ったものを見ただけと実際の現場では、臨場感が違う。

宇津木もそれなりの体格の男だったが、狭いとはいえ、幅にして3メートルは確実に越えるだろう路上に、ほぼ横幅一杯、縦も最長飛距離を計測すれば、下手をすれば5メートルすら超えそうなほどの血飛沫の痕。いったいどんな勢いで首を切ったらこんな光景に繋がるというのか、すぐには頭が追い付かない。

そして、その間に隙間がないとは言わないが、さぞ激しく血飛沫を上げただろうことが推察できる、豪快な血痕の華が路上に咲いている。芸術的センスは壊滅的だと思うが、作画されたと誤解してしまうくらいには、広く盛大な撒かれようだった。よくこれだけの血を撒き散らしたと、いっそ犯人を誉めてやりたいくらいに。

こいつは、改めて見るとすげえな。出血の多くなりがちな首を切り落としたにしても、ただ切っただけは元より、相当勢いをつけて斬り倒しても、ここまで盛大な血の海にはならないだろう。出血量は勿論、何より範囲が広すぎる。単純計算で、15メートル四方はあるんだからな。

それから、相応に時間が経っているにも関わらず、今なお色濃く残る鉄錆の臭い、、さすがにキツいとまでは言わないが、歩いて気づかないことはまずない。それだけ大量の血液が飛び散ったのだということが、それだけでもよくわかる。

「現場の検分、ねえ、、見たまんまって感じだが。ーーおい、どこに行く?」
「向こうの同僚たちに、しばらく入ってくるなと通達しておく。その間に好きに見ていてくれ」

佐久間は、すっと歩き出したと思ったら、奥のバリケードを抜けて向こう側へと消えていく。どうやら、俺たちが現場を荒らすことはないと信用した上で、向こうの大通り側に立っている警察たちに対して、牽制までしてくれる心づもりらしい。それだけ俺たちの力を信じているとも言えるし、それだけ佐久間のこの事件へ向ける熱意が強いとも言えるのかもしれなかった。

さて、、それじゃあ、一時的とはいえ佐久間がいなくなってしまった以上、こっちも好きに見せてもらうとしよう。まずは血痕を踏まないよう、血痕の周りを地面、壁とじっくり見て回り、何か遺留物がないか、何かの証拠のなりそうなものがないかを確認していく。

刑事ドラマなんかじゃこういう時、何か新たな証拠が見つかったりするが、しかしそこは軽く流す程度だ。実際の現場では、鑑識がそれこそ徹底して調査をしているから、そんなものが見つかることはまずない。俺の場合はむしろ、写真では見えなかった細部を確認する作業に近い。レイラの写真じゃ、どうしても見えない部分ってのは存在するからな。

そうして、現場を一周回ったところで、最後に本命となる、中央の血の海へと注意して近付いていく。

路上には、おびただしい量の血痕の他、よくドラマなんかで見る、被害者の輪郭を表す白い線がテープで象られている。ここが宇津木が倒れていた正確な位置、というわけだ。頭部がないのでいまいち分かりにくいが、手の向きを見る限り、どうやら宇津木はレイラに写真で確認させた通り、製薬会社側に足を向け、奥の大通り側へと頭側を向けた、俯せの格好で倒れたらしい。

血痕との位置関係と見比べると、血痕の6、7割程度は首のあったであろう位置から先、大通り側へと向けてぶちまけられているが、ここに些か、不自然な点が見受けられた。

一つは、足元の側に飛び散った血液が、なぜか横向きに一部、うっすらと道路を横断する向きで飛び散っているように見えること。まるで出血直後の遺体を、左右へと揺り動かしでもしたか、あるいは、横に回転でもさせたかのように。

二つ目は、宇津木の身体を表すテープの下に血痕が残っていること、、といって、それ自体は出血を起こしながら倒れれば、身体の下に血の痕ができることくらいはあるだろう。問題はそこではない。俺は、それの詳細を確認するべく、身を屈めて改めてその白枠の内側へと目を凝らしてみる。

「広がり方が妙だな、、」

白枠の内にある血痕は、他の血痕と比べて、どこか雑に塗り潰したような、妙なベタ塗りが生じている。吹き出した血で綺麗に咲かせた血の華の一部を、刷毛でも使って広げたような、余計な一手間がかけられた痕跡があるのだ。

それとーー不自然な点の三つ目は、出血の範囲、か。
改めて血液の広がり方を見てみると、倒れた向きから考えて、宇津木の正面に血が舞うのはまだわかる。だが実際は宇津木の背中側にも、少なくない量の血液が付着している。

もし正面から首を切られたのであれば、出血は正面に向くのがほとんどだ。背中側へとここまで出血があるのは違和感しかない。そして逆に、背中側から切ったのであれば、この前方への出血量は異常だ。そもそも、いくら首とはいえ人形じゃあるまいし、普通に切ったくらいで簡単にポロっと落ちるような代物ではない。その、首を落とした際の出血がどのようなものだったのか、、この現場からは、まるで想像が付かない。

つまり、ここでも大きな問題になるのが、どうやって宇津木の首を落としたのか、、という、手段と方法になるわけだ。それと、その首がどこに行ったか、だな。これは佐久間に聞いて確認すべきだろう。

いや、、その前に問うべきは、そもそも普通に刺殺でも撲殺でも、路上で殺すならもっと簡単な方法がいくらでもあるだろうに、どうしてわざわざ首を落とすなんて手間をかけたのか、か。その動機という点に関しては、この現場で探すよりは、製薬会社で調べるべきだと思われた。

「どうだ、さすがのトラブルシューター様にもこの事件は手強そうか?」
「いや、、まだなんともな」

同僚に話をつけ終えたらしい佐久間が、バリケードの向こうから帰ってくる。気楽とも言えそうな語調の問いかけに、俺は一度だけ首を横に振る。警察が初動捜査からどこまで情報を掴んだのかで、事件の難易度なんてどうとでも変わるものだ。

「佐久間、いくつか聞きたいことがある。支障がない範囲でいいから答えてくれ」
「ああ、かまわないが」

佐久間は、どこか余裕すら感じさせる調子で俺の依頼に頷いてくる。俺はそれならばと、まず、これだけは聞いておかなければならないという疑問をいくつかピックアップし、佐久間に問いかけてみる。

「じゃあ、まず一つ目だ。これ、本当に一人分の血液か?」

俺は路上に向けて手を広げながら、これでか、と聞いてみる。その出血の範囲、量のどちらで見ても、明らかに3人分くらいはあるように見えたからだ。

佐久間は、ああ、とそれにはあっさりと頷いて見せる。

「鑑識が前方の先端、後方の先端、中心部や左右など複数箇所で血液の鑑定をしてみたが、そのいずれもここにあった死体の血液と一致した。どこを見ても他の人間の血液が出てこない以上、この全てがここにいた一人のものだと考えるしかない」

ははあ、、そいつはすげえな。この光景を見る限り、下手をすればリッター単位で血液はぶちまけられているから、それじゃあ首から上が残っていても失血死間違いなしだ。

「じゃあ二つ目だ。この白枠の中の血痕は何だ? 俺には変に広げられているように見えるんだが、、」
「ああ、、どうやら、この死体には引きずったような痕があるらしい。俯けのままではわからなかったが、表に返してみた結果、スーツのズボン、ワイシャツ、地面に接していた手先や指先まで、かなりの範囲に血液の付着、地面と擦れた痕があった」

なるほど、それでか。肩を竦める佐久間に、俺は、納得したぜ、と頷いてやる。こればっかりはレイラの用意した写真ではわからなかったから、大きな収穫だ。死体になった後だとは思うが、出血した痕を、宇津木の身体で拭き取るように引きずったために、その身体の下にあった血痕は変に刷毛で広げたような、不自然な痕になったってわけだ。

ただ、、そうすると逆に、謎が一つ増えちまう。出血した後ということは、首はもう切られた後ってことだろう。そんな派手に血を撒き散らすだけの死体を、どうしてわざわざ引きずったりしたのか。いくつか可能性は考えられるが、こいつは持ち帰ってマサキ辺りに相談した方が早いかもしれない。

ひとまずそれは置いておいて、俺は白枠の頭部を指し示しながら、最後の質問だ、と佐久間へ続ける。

「もう一つ。ここにあったのは首切り死体ってことだと思うんだが、その首から上は見つかってるのか?」

首から上の有無は死体を示す白枠、チョークアウトラインにも示されているから、聞いたとしても別に不自然ではない。それを見越した上での問いかけだったが、佐久間は唇の端を吊り上げ、俺、ではなく、その横を通り抜けて、ゴンの下へと歩み寄っていく。

「おい、佐久間、、」
「私が今頭を悩ませているのも、まさにそれでな。体格や骨格、下半身などを見る限り、この死体が男だということはわかるが、この男は免許証は勿論、身元を証明できるものは何一つ持ち合わせていない。首から上がないということは、人相もわからなければ、友人知人を探すことさえ不可能だ」

あるいは、それが犯人の狙いなのかもしれないが、と続けながら、佐久間はいまだにぼうっとただ突っ立っていたゴンの正面へと立ちはだかり、なあ、と問いかける。その手に、懐から取り出した一枚の写真ーー宇津木を写したものと思われる、死体の写真をーーゴンの目の前に掲げながら。

「これが被害者の写真になるのだが、、さてーー、君、実はこの男の身元がわかったり、知っていたり、するんじゃないか?」
「、、、」

またか、、やべえな。佐久間はどこかナイフのような冷ややかさと鋭利さを込めた声で問いかけ、怪しく煌めく瞳で、わずかな表情の変化や一挙手一投足を見逃すまいと、恐ろしいまでの集中力でゴンを見つめている。その返答をじっくりと待ちながら。

勿論、ゴンはまたしても蛇に睨まれた蛙状態だ。元々凄惨な殺人現場という光景へのショックで、ほとんど放心状態だったってのに、追い討ちのように写真を見せつけられ、もはや顔色は真っ青を通り越して白に近い。

先程言われた通り、佐久間は睨んでこそいないが、与えているプレッシャーも生半可なものではない。端で見ているだけの俺ですら言葉を発せないでいるのだ、そんなもの、ゴンに答えられるはずがない。

くそっ、、それに、もし答えを返せたとして、ゴンにどこまでなら答えて良いのか、その基準やラインなどがわかるのか? 名前も身元も家族構成すら俺たちには判明している、そのどこまでなら佐久間に教えて問題ないのかが。

俺は強引に話を逸らすか、それともどうにかごまかすかを考えるが、どちらも好手とはなる気はしない。逆に俺の方がターゲットになるだけだ。佐久間の嗅覚からレイラの存在を隠しながら、ここは一体どう答えるべきなのか、、

そうして、俺が対処に迷う間にゴンは、急に飄々とした態度を取って、目を泳がせながら、は、ははっ、はははっ、とか乾いた声で笑い始めやがる。追い詰められた犯人がよく、無理矢理時間を捻り出そうとしてやる虚勢にしか見えねえぞ、それ。

「そ、、そ、そいつはっすね」
「うん、そいつは? 知ってるんだよな?」
「さ、さ、、」
「ささ?」
「さ、、さてねー、そいつは、佐久間のねーちゃんが一番よくわかってんじゃねーっすか?」

げ。投げやがった。両手を上に向け、大きく肩を竦めながら、外国人のようなオーバーリアクションで。もはや苦し紛れの暴投だ。だから誰だよ、と一言突っ込まれれば、すぐさま致命傷になりかねないほどの。

佐久間は、だがそれに目を見開き、まともに硬直したと思うと、一歩、二歩と後ずさり、ゴンから距離を置いていく。あまりにバカな回答に、ついに物理的にドン引きした、、のかとも思ったが、少し様子がおかしい。

「おい、足元に」

気を付けろよ、と。そのまま下がった先にある血痕を踏みつけてしまいそうな佐久間に、俺が声をかける。ーーその、血痕に触れる直前に佐久間は立ち止まり、強く唇を噛み締めながら、深く俯いて、両手に握り拳を固めていく。

ゴンのあまりに馬鹿馬鹿しい話の逸らし方に、呆れ果てて思わず取ってしまった動き、、ってふうには、見えねえな。一体どうしたというのか。佐久間は深い憂いを帯びたような瞳で、ゴンのやつを見つめている。

それから、ひどく重い口調で口を開く。大きなため息を一つ挟んでから。

「、、やはり君に、隠し事はできないか。証拠もない話だ、私の勘に過ぎないがため、捜査の撹乱になっては良くないと、誰にも話したことはなかったが」
「、、心当たり、あるんすね?」
「ああ、雰囲気と体格、スーツの銘柄や腕時計、、首から上がなくとも、私は見間違えたりはしない。これを私は見たことがある」

その、見たことがある、という佐久間は、まるで実物がそこにいるかのように、血痕の海に引かれた白線を忌々しげに睨み付け、ついにその名を口にする。

「宇津木、帯人ーーここの通りの正面に製薬会社があっただろう? そこに勤務地を置く、私の妹の、ストーカーだった男だーー」

、、ストーカーだった男、か。やはり佐久間は宇津木帯人を知っていたらしい。佐久間はそれから、宇津木について妹から相談を受けていたこと、妹も同じ製薬会社で働いていること、宇津木には妻子がいることなどをポツリポツリと言葉にしていく。

「あいつは、、妹の葵に、心底惚れただの、妻とは別れるだのと妄言を吐いては、何かと妹にまとわりつき、付きまとっていた。興味がない、迷惑だと断ったこともあったが、委細構わずにな。それも、私が一度奴に忠告を与えたこともあったのだが、、」

『おお怖え怖え、昨今の警察様は自由恋愛に口を出しちゃあ、逮捕までちらつかせて来んのかい。女に迷惑してるって言われただけで捕まるなら、世の男どもの何割かまで一緒に捕まえることになるぜ? できるのかよ、そんなことが?』

そんな風に、佐久間を煽り立てては、全く悪びれもせず妹を口説き続けたそうだ。妻子がいる身でありながら、これは自由恋愛だと強調して。

正直、俺からはただのクソ論理、逃げ口上の言い訳を吐いただけのようにしか見えないが、それを佐久間は、職権濫用を示唆されていると感じたらしい。常日頃から法を意識し、強い使命感と遵法精神を持った佐久間と、ただの外野にすぎない俺との、立場の相違による感覚の違いだと思うが、それによって佐久間は、引き下がらざるを得なかった、と。

「一つ確認するが、、気を悪くしたならすまないが、お前じゃないんだな?」

念のため、一応の問いかけに佐久間は、口許を皮肉に歪めて、自作自演を聞いているのか? と問いを返してくる。

「もし私がこの事件を起こしたなら、わざわざお前たちに捜査の依頼などしない。せっかくご丁寧に首から上が無くなっているんだ、身元不明の殺人事件として、形だけの捜査に従事するだろうさ」

まるで顔を見なくて済むことにせいせいしている、と言わんばかりに言い放ち、佐久間は大きく肩を竦める。それから、さすがに言いすぎたと思ったのか、私は警察だからな、と殊更に強調して言葉を続けた。

「これは私の個人的な感情を排した、一人の警察としての使命だ。被害者が誰であろうが、加害者が誰であろうが、そんなものは関係ない」

そう、瞳に力強い意志を湛えて答える佐久間は、だがその口ぶりは不本意そのものであり、それだけ佐久間の中にも、深い葛藤があることを窺わせた。

ーーなるほど、とはいえ、話はよくわかった。確かにこの雰囲気からすると、やはり佐久間が犯人という線はない。今の佐久間は、今しがた言った言葉の通り、自分の感情を極限まで排除して、あくまで一つの事件としてこの山を追おうとしているようだった。

レイラに調べさせた際、警察はあの製薬会社の捜査にあえて着手していないように見えていたが、、これで、その答えも見えたな。

一般的に、身内が被害者や加害者となる事件に、その身内の警官は関与することができないのが不文律ともいう警察のルールだ。警察も人間である以上、冷静な判断ができなかったり、加害者に害を与えたり、あるいは証拠隠滅をしたりといった危険が生じかねないから、被害者には関係のない警官だけで事件を追おう、というのが原則となっているわけだ。

今回の事例で言うなら、佐久間はあくまでも被害者が妹のストーカーというに過ぎないが、足を引っ張りたい奴はどこにでもいるものだ。だから、こいつはその本丸に組織として踏み込むのをあえて遅らせたのだ。自分なりにある程度調べを進め、事件の捜査に自分自身が十分に食い込んでから解明が進むように。

直接の加害者や被害者というわけではないのだから、そこまで調べが進んじまえば、もはや事件から外される心配はないとでも踏んだのか、、俺から指摘を受けた佐久間は、自供を終えた犯人のような、どこか晴れやかな顔になって、そうだな、と頷く。

「お前の言う通りだ。多少は腹芸の心得もあるつもりだったが、やはりお前にも隠し事はできないな。こんな簡単に本意を悟られてしまうとは、警察失格だ」
「別に、、俺はいつものお前らしくねえって思っただけだ」

だから、警察失格なんて言うんじゃねえよ。顔を背けてそう続けたが、果たして聞こえたのかどうか。こいつが失格になるというのなら、日本に警察なんていなくなっちまうだろうよ。

佐久間は軽く頬を緩めてから、お前は、、とどこか躊躇いがちに言葉を続けていく。

「事件に私情を挟むなと、、お前も私に言うか? 一応断っておくが、宇津木周辺の捜査はしっかり進めているし、特別遅れを生じさせているわけではないのだが」
「俺は警察じゃねえ。ちゃんと捜査が進んでるなら別にどうでもいいだろう」

言っちゃなんだが、こいつを外す方がよほど捜査の進捗に悪影響が出るだろうしな。それくらい、こいつ個人の能力は高いのだ。

俺の言葉をどう捉えたのか、佐久間はどことなく嬉しそうに口許を緩め、そうか、、とひとしきり頷いている。別に深い意味があっての言葉じゃないんだが、なんとなくここは深掘りしないでおく。

だが、、それでも一つ、疑問は残る。何となく予想が付く気はするが、俺は、あえてその疑問を佐久間へとぶつけてみた。

「なあ、なぜお前がわざわざストーカー野郎について、そこまでして自分で調べなきゃならない? 相手は死体だぜ? 担当する事件なんざいくらでもあるだろうに、こんな奴のこと、他の連中に任せちまえばいいんじゃねえのか?」
「それは、、」

佐久間は腕を組み、渋い顔を浮かべると、それはできない、と首を横に振る。こいつがこの難しい顔で腕を組むときは、大体の原因が決まっている。俺は更に一歩踏み込んで、それを指摘してやる。俺たちにとっては、こここそが本丸でもあるのだ。

「妹が、ストーカーの被害者、、つまり殺す動機のある、容疑者の一人だから、か? アリバイ次第だと思うが、可能性としてなくはねえのか?」
「いや、、それがな、事件当夜に関しては、記憶にないというんだ」
「記憶にない?」

そいつは、、ちょっとばかり予想の斜め上の回答で、俺も思わず言葉に詰まる。あのお姉ちゃん信者の妹にしては、ずいぶんグレーな回答だ。

レイラの調べで、佐久間葵が事件当夜、あの製薬会社の敷地内に、何故か一晩中留まっていたことはすでにわかっている。それも、退社の打刻は定時丁度に行われているにも関わらず、正門のセキュリティは勿論、裏門さえ明け方まで通過していないという、奇妙な記録を残して。

製薬会社は高い塀に囲われていて、セキュリティを通らずに帰ることはできない。つまりこれは、一回は帰ろうとして、そのフリだけをして、けれど何故か会社からは出ることなく、明け方になるまでずっと会社の中に留まっていた、ということに他ならない。セキュリティの記録を見る限り、他に誰もいない社内で、だ。

勿論、宇津木殺害の事件現場はその夜中の間に、700メートルの彼方で起きているのだから、それを話せば自分の無罪はほとんど証明される。だが、記憶にないとは一体どういうことなのか。

昨日の事務所での考察では、佐久間が宇津木が殺害されるのを知っていて、妹をあえて製薬会社の社内に留まらせたのか、あるいは妹が犯行を知っていて、実行犯への何らかの合図役だったから社内へと留まっていた、なんて疑惑もあったんだが、、今の佐久間を見る限り、その線も薄いようにも見えちまうな。

「佐久間、妹に何か変わった様子は?」
「ああ、、あの事件以降、何かショックを受けたのか、ずっと塞ぎ込んでいてな。部屋に引き込もって、ここ数日は出社もしていない」

佐久間は心配そうに眉根を寄せ、落ち着かない様子で深い憂慮を込めた溜め息を吐く。こんなにそわそわした佐久間というのも珍しいが、妹も妹で重度のお姉ちゃん信者なのに対して、姉は姉で妹想いの姉バカだったりするからな。こいつにとって妹に元気がないというのは、それだけ大事件ってことなんだろう。

妹が何かを知っていて自分に隠している、というのもおそらく姉バカには一大事なのだろうが、、そこは俺たちが関与する話ではない。俺は、了承したぜ、ととりあえずここまでの話に理解を示しておく。

「わかった。とりあえず、あとは持ち帰ってマサキと相談してやる。お前は妹からどうにか情報を引き出しな」
「すまないな、、宇津木については私から捜査本部に話しておく」

ここらが潮時だろう、と佐久間は言って現場から立ち去ろうとする。こいつの雰囲気からすると、もし捜査から外されたとしても、自分で捜査を続ける気は満々って奴だ。ドラマかなんかに悪影響でも受けてんのか。

仕方ねえな、、とりあえず、現場で見つけられるものはあらかた見たし、俺たちもここらで一度製薬会社へ出向いておくか。
俺はなにやら、さっきからずっと静かに上空を見上げているゴンに、そろそろ行くぞ、と声をかけてやる。置いていかれちまうぞ、と。

だがゴンはそれでもずっと上を見ていて、俺への呼び掛けにも生返事だけ返して、その場を動こうとしていない。ーー何かを、数えている、、?

「おい、何か見つけでもしたのかよ?」
「ええ、っと、、ケイさん、あれ、何か変じゃねえかなと思いやして」

俺に肩を揺らされたゴンが指差すのは、前回なかった工場の奥のクレーン車、、ではなく、この規制線の中にも複数立っている電柱の、上の方だった。

確かに、電柱の上なんてさすがに俺でも見なかったが、、変、と言われても、電柱は電柱だ。一見しただけではよく見えてこないが、

「傷、、? いや、跡、か?」

佐久間がそれに気付いて、電線が引かれている1メートルほど下、電柱の一部を指差してくる。そこに、薄く引かれた、横線を。

線、と言っても、ペンなどで書いたものではない。電柱とはいえ、雨風には常に晒されているから、だんだんと薄汚れていくのが当たり前だ。その線は、その汚れを削り取りでもしたように、白い線としてそこに存在していた。

「これは一体、、事件に関係あるかはわからないが、一応、後で鑑識を呼んで確認させよう」

佐久間はゴンに、お手柄だったな、と笑いかけ、頭を撫でてやる。

俺の時は乱暴に手で振り払いやがったくせに、佐久間にはされるがままにして、ゴンは、へへへ、、とか気の抜けた風に笑いだしている。大事な髪型を乱されたってのに、こいつは一体何を想像してやがるのか。

「では、私は捜査本部に戻る。お前たちも何かわかったらまた私に連絡してくれ。ここに入りたい時は、私に一声くれれば通してやる」

佐久間はパトカーに乗ると、あくまでも捜査協力としてな、と強調し、車を発信させて現場から去っていく。つまりは、単に興味本意とかでは覗くなよ、という意味だ。俺たちにというよりは、これはマサキへの忠告だろう。

俺は承ったぜ、の意味でパトカーに敬礼を返してやって、そのまま走り去っていく車体を見送った。

#ミステリー小説部門

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