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揺れない天秤 第十話

「取り調べ官はお前か、マサキ」

俺の目の前には、見慣れた俺たち事務所員の雇い主、青天目マサキと、その隣に佐久間、反対側にはゴンのやつが何かの機器を持って、三人が並んで立っていた。

場所はかつて、嫌と言うほど苦い記憶を植え付けられた、机と椅子だけの個室、、いわゆる、取調室というやつだ。

当然、普通の取り調べに一般人が同行することなどあり得ない。おそらくは、金と人脈にものを言わせて強引にねじ込んだのだろう。佐久間のいかにも不本意そうな、そして残念そうな表情がそれを物語っている。

こいつの謎解き趣味も大したものだと思っていたが、ここまで来ると金持ちの道楽だな。それも、こんな場所だていうのに、いつものマサキと表情一つたりとも、変わりゃしねえ。

「ゴンを出汁に使うとは、お前も良い度胸だな、マサキ。あれは単に、特に意味もないことに意味を問いかけて、さも何かの意図があったかのように錯覚させる、陰謀論者の手法だろ? ゴンが寝床にいなかったのは、お前が先に呼び出したからか」
「ああ、ご名答。ナイフも事務所にあるよ。そろそろ頃合いだと思っていたからね。僕も身内を殺されるのは控えたいんだ」

それだけ言って、何の頃合いだったのかはマサキは言葉にしない。何だかわかっているだろう、と言いたげだったが、そんなものは無視一択だ。人をなんだと思っていやがるのか。

「では、、これより、宇津木帯人、束原周二殺害について、橘啓への取り調べを行う」

佐久間は唇を噛み、この上なく不本意そうに、両手を強く握り締めてそう宣言する。今すぐに止めたい気持ちがありながら、この場に留まらざるを得ないというような、苦々しい顔つきだった。

マサキは俺の正面の席に座り、世間話でも始めそうな調子で言葉を紡ぎ始める。

「今言われた通り、君へは宇津木帯人の殺害と束原周二の殺害、二名への殺害容疑がかけられている。何か申し開きは?」
「まずは理由を話せ。今の段階じゃ申し開きもクソもねえだろうが」
「そうだね、もっともだ。ではまず、宇津木帯人の殺害から解説しよう」

マサキは立ち上がり、ゴンに持たせていたプロジェクターを起動させる。それを取調室の壁面へと向け、一枚の写真を映し出す。

まず映し出されたのは、俺とゴンが佐久間と事件現場へ行った時の、白枠が死体を表していた時の写真だった。当然佐久間は、これは何の写真なのかとマサキを凝視するが、マサキはかまわず言葉を続ける。

「これは君が、事件の調査報告を僕にしたときの写真だ。ここで僕は、君が敢えてスルーし、触れなかった何点かに疑問を持った」
「血の横に延びたラインか? それは後で忘れてたって謝ったはずだぜ」
「違うよ。君はここで、おかしな動きをしているんだ。それは、血痕の向こう側を調査しなかったこと」

マサキは写真をスライドさせ、血痕の更に奥、警察に閉鎖され、バリケードによって隠されていた、二車線道路側をアップにする。

「犯人は、通りのこちら側と向こう側、どちらから来たのかはわからない、、だから普通は、手前だけではなく奥も調べるはずだ。ところが君は、十字路方向の調査だけして、奥へは足を踏み入れようとしなかった」
「そんなもん忘れてただけだろう。奥には佐久間の同僚がいたんだ、そんな簡単に近付けるかよ」

だから、手前側を調べて終えただけだ、と。そう素早く反論した俺に、マサキは違うよ、と繰り返す。

「事件現場は通りの700メートル地点、向こう側へは100メートルもあるのに、声が届くか、気付かれるかの心配なんてするのかい? 君が奥に行かなかった理由は、レイラがいたからさ」
「、、なんだと?」
「僕への報告のため、表向きは調査を続けるため、君はレイラの勝手に撮り続ける航空写真を、この事件現場の写真を僕らに見せる必要があった。けれど、あまり奥へ行っては、見せたくないものが写ってしまう可能性があった。だから君は、敢えて必要以上に現場の奥へと近付かなかったんだ」

最初も確か、警察に疑われてすぐに退散したんだよね、とマサキはゴンへと問いかける。通りの反対側からも近づいた時のことだよ、と。

「ええっと、それはそうっすけど、それは俺が警察に喧嘩吹っ掛けちまっただけで、、」
「大丈夫、君が喧嘩を売らなくても、啓はすぐに引き返したよ」

ちっ、、ゴンは真相を知らないのか、でも、と戸惑ったような、混乱したような様子だが、、既に俺が犯人の前提で話を進められるのは気に入らねえな。
俺はマサキへ、おい、とやや苛立った声で呼び掛ける。

「そういう話をしてるってことは、お前の言う、通りの奥にある、見られちゃ都合の悪いものってのが何なのかは、もうわかってるってんだな?」
「勿論さ。これが僕の撮ってきた、その奥側の道路の写真だよ」

マサキは言って、二枚目の写真へと移行する。日付は俺とゴンがマサキと製薬会社で会った日、、こいつ、そんな早くから疑ってたってのか。

それは、何の変哲もない細い道路で、特に十字路の手前と奥で、変わったような様子はない。強いて言うなら、道路の反対側にある公園のせいで、道路の隅にはやや砂が溜まっていることだがーー

「、、、」
「君にも見えるかい? もう少しアップにしよう」

マサキが画面を操作し、写真のその砂地の部分を拡大していく。
そこには、奇妙なデコボコ模様ーー車のタイヤ痕が、かすかにだが残って、固まっていた。

タイヤ痕は大きく、普通の乗用車が付けるような跡ではない。マサキはレイラ、と呼び掛け、このタイヤ痕に合致する車の車種を、画面へと表示させた。この辺りの処理速度は、警察の比ではない。

「これは、クレーン車、、か?」
「そう、すぐ近くの工場にクレーン車があっただろう? あれの走った跡だよ」

佐久間の問いかけに、マサキはそう答えて、俺の顔を窺ってくる。
、、言っちゃなんだが、だからどうした、としか言いようがねえな。

「近くの工場所有のクレーン車なんだろ? その跡がその近くの道にあったからなんだってんだ?」
「不思議だと思わないかい? 工場が近くにあって、物がクレーン車だよ? 車幅はほぼ2メートル50センチ、生活道路の幅はわずかに3メートルだ。何故そんなギリギリのところをわざわざクレーン車で走らなければならないんだい?」

ただクレーンが必要なら、工場の敷地内で動かせばいいんだよ、とマサキは言う。普通の人間がこんなところに入り込んでも、事故になるだけだ、と。ここには誰か、必要になった人間が動かしたから、ここに跡があるのだと。

だが、それですら、だからどうした、という話に違いはない。仮にクレーン車が生活道路に入り込んだとして、俺がそれを隠したとして、それが事件に何の関係があると言うのかが、それが全くの不明なのだ。

それを指摘するとマサキは、大いに関係があるよ、と自信ありげに頷いてくる。すでに宇津木殺害のトリックはわかっているんだ、と。

「クレーン車が吊るしていたのはね、鉄板だよ。薄くて重い、けれど先端を鋭利に磨いた、ね」
「鉄板、、?」
「そう、それが宇津木殺害の刃物さ」
「、、意味がわかんねえぞ。日本語を喋りやがれ」

宇津木は、確かに重い刃物で首を切断されて殺されているが、、まさか、鉄板を振り子にしてぶち当てたとでも言う気かよ。

俺の疑問に答えるように、マサキは、わからないかな、と言葉を続けていく。

「宇津木はここで殺されたけれど、それは宇津木をここで刃物を使って襲ったからではなく、宇津木の身体を製薬会社からここまで、刃物に向けて突っ込ませたから殺されたんだ。だから宇津木は首を切断され、大量の血の華を咲かせて亡くなったんだよ」

おい、、こいつ、自分が何を言ってるのかわかってんのか? よりによって、製薬会社からだと?

あの現場まで、実に700メートルの距離を宇津木を飛ばして突っ込ませた、、夢物語もいいところだ。あるいは、本気で夢と現実の差がついてないんじゃないかと、そんなことすら疑わせる。

だがマサキは、仕掛けはあの銀色の機械だよ、と笑いかけてくる。

「犯行に使われたのは、7階にあった遠心分離機だ。あれは本来液体を分離させるための道具だけれど、大きな回転力を持っている。供給口にワイヤーを絡めて宇津木帯人に繋ぎ、回転させることで、人一人の首を落とすくらいの力はかけることはできる」
「おい、それだと、宇津木は実験室で殺されたってことかよ。あいつの身体があんな道端にあった理由にならねえぞ」
「いや、実際はあれが凶器になったわけではない。あれで君は、即席のジップラインを作ったんだよ。ゴール地点に、首を落とす罠、、鉄板を用意してね」

そこでクレーン車が繋がってくるんだ、とマサキは言う。

「君が宇津木を殺した手順はこうだ。まず生活道路上へ、クレーン車を使って鉄板を配置する。日々使っているもので、それも素人が扱えないような代物だと、管理もお座なりになりがちだからね。鍵のかけっぱなしになっているクレーン車を探すのは難しくなかったはずだ。あの辺りは塀に囲まれていたから、角度と位置関係の難しさから、路上へは出さざるを得なかったのだろうけれどね」

クレーン車は大型特殊、鉄板を運んでくるための車は大型車を使えばいいから、君なら動かすことができるはずだ、とマサキは言う。それだけの技術が君にはあるはずだ、と。それから、現場で聞こえていた金属音は、この鉄板とクレーンが動く音だったのだろう、と。

「配置を終えた君は生活道路を通り、レイラを使って製薬会社へと侵入し、佐久間楓のアドレス辺りを使って7階へ宇津木を呼び出した。宇津木の携帯は見つかっていないけれど、これもレイラなら可能だ」

あるいは、呼び出したアドレスは他の誰かのものかもしれないけれどね、とマサキは、驚く佐久間に言う。ただ、宇津木が呼び出される可能性が一番高いのは佐久間楓だろう、と。君の携帯に履歴は残っていないと思うよ、と注意をしつつ。

「そこで君は何か鈍器でも使って頭部へ打撃を加え、昏倒させた。首から上が見つからなければ、頭部への打撃は警察には発覚しないからね。凶器を隠しておけばそんな昏倒があったことすら発覚しない」

この辺りから、君にしかできない技術がたくさん出てくるよ、とマサキは楽しげに続けてくる。獲物を弄ぶ子猫のような、無邪気で、かつ残忍な笑顔で。

「ワイヤーは円のように結び合わせて、ドローンを飛ばしてクレーンへと引っ掻け、位置の調整をする。今のドローンは遠隔操作ができる優れものだ、君に使えなくても、ネットワークを介した細かな調整はレイラに任せればいい。それが可能なことは、先日実際にドローンを飛ばすことで確認させてもらったよ」

遠心分離機へと、ワイヤーに見立てた銀玉を射出してね、とマサキは言う。つまり、この前ドローンで研究所を襲撃をしてきやがったのは、マサキだった、ってことか、、それならドローンのあの動きも理解ができる。頭の回転が誰より早いこいつなら、あんなとっさの離脱だって容易いことだろう。

ちなみに、、いい加減佐久間の目が大分険しいことになってきているが、マサキのやつ、自分の犯罪を暴露しているのに気付いていないのか。レイラの存在の暴露といい、遠心分離機の破壊といい、明け透けが過ぎると思うが。絶対俺の後で取り調べを受けるやつだろう。

マサキは、その目線には気づいているだろうに、かまわず、更に解説を続けていく。

「この輪を作って片側を巻き取ると、ワイヤーがベルトコンベアのように動き、その巻き取られる動きに合わせて、宇津木の身体は鉄板の方へと押し出されることになる」

分かりにくければ、エスカレーターのベルトを思い浮かべるといいよ、とマサキは言う。ものがベルトでなくワイヤーではあるけれど、あの、上側に宇津木が吊るされて、急激な速度で動くイメージだと。

「あとは遠心分離機と鉄板を繋ぐワイヤーへ宇津木を固定、遠心分離機を稼働させ、更に君自身が宇津木の身体を外へと押し出すことで、7階という高さからの落下、遠心分離機によるワイヤーの鉄板方向へ動く力と併せ、宇津木の首は遥か先の鉄板へと衝突、ワイヤーと鉄板によって首が切り落とされる、、というわけさ」

これは、ワイヤーを吊るしていたクレーン車を調べることでわかるだろう、とマサキは言う。電柱に残った白い線は、この稼働中に擦ってしまったワイヤーの痕だろうと。

「もし遠心分離機自体に、宇津木の首を飛ばすほどの速度が出なくとも、その回転の方向に7階からの落下移動という位置エネルギー、宇津木を押し出す加速力、首という人体最弱の狙い目、首と衝突した鉄板の研磨具合、これら全てを合算すれば、あんな路上で首切り死体を生み出すことだって不可能ではないよ」

元々、ワイヤーだけでも力のかかり具合によっては首を切断することができるのだから、そんなものは何の障害でもないだろう、とマサキは言う。もし何かの計算違いで宇津木の首ではなく、身体の一部が鉄板以外にぶつかったとしても、その衝突による急停止の勢いだけですら、宇津木の首を飛ばすことはできただろう、と。ワイヤー自体が遠心分離機に巻き取られる勢いのまま、かなりの速度で動いていた以上は。

それから更に続けて、あとは簡単だよ、と告げてくる。

「遠心分離機の回転に従って、ワイヤーは巻き取られ、伸びきった時点で破断する。その後も回転を続けてワイヤーを排除口から全て吐き出させてしまえば、あとは自分のいる遠心分離機の側から回収するだけ。証拠は残らない、、中に付着してしまった、宇津木の血液を除いてね」

そのために遠心分離機を壊したんだよ、とマサキは、弁解めいた口調で続け、佐久間に向けて軽く頭を下げる。あれが稼働を続けることで、証拠となる血痕やワイヤーの跡を消されないための破壊だったのだと。遠心分離機ってのは液体を分離したあと、最後に溶剤で洗浄されるようになっている。その洗浄液によって証拠を消されないために、強制的に稼働を止めた、と言いたいわけだ。

「、、で、その飛ばされた首はどこに行ったんだよ?」
「鉄板の上、厳密には、コンテナの中さ」

今度はコンテナか、、いい加減、こいつの語彙力も大したもんだ。よくそんな妄言ばかり思い付きやがるな。

俺は、そろそろ飽き飽きしてきたが、もう少しだけ茶番に付き合ってやるつもりで、そのコンテナはどこにあるんだよ、と問いかけてやる。あんな場所まで運べるコンテナが、それも刃物として使えるコンテナがどこにあるんだよ、と。

果たして、マサキは、

「君が一番よく知っているだろう?」
「、、なに?」
「君がよく行く港に、使われていないコンテナがあるね。ゴンとよく鉢会っている、あれだよ。あの、床板を使ったんだ。壁の一部を一緒に剥がせば、首の滑落を止めて回収しやすくなる」
「、、、」
「君がよく港のコンテナへ行く理由、それは、自分が番をすることで、コンテナの鉄板が出す血の臭い、宇津木の首が腐敗していく過程で出る刺激臭を、他の人間に嗅がせないためだ。白骨化してしまえばとにかく、腐敗する段階で異臭が漏れるのは避けようがない」

、、わかったようなことを言うマサキは、レイラを呼び出し、いつも俺が背中を預けている、コンテナの映像を取調室の壁面へと映し出す。

コンテナは、表面上は強化プラスチックのような材質でできていて、錆びる可能性があるのは、内部に強化材として使用されている、鉄板だけだ。それも、普通であれば、外へと臭いが漏れるようなものではない。

それを研磨し、運搬してクレーンで吊り上げ、宇津木の首を切断する、、事が済んだ鉄板は、もう一度中へと納めて扉を閉め、密封する。マサキが言っているのは、そういう話だ。ーー勿論、使われた道具、証拠となる数々の残留品を納める、本来のコンテナとしての役割があることも承知で。

ゴンは、マサキに肩を押され、ええと、、と口ごもる。証言しろ、という意味の催促だと理解して。

「あの、俺、普通に錆だと思って、鉄錆の臭いって、、二回目も、変な臭いがすんなって」
「待ってくれ。マサキ、私の疑問にも答えてくれ」

と、ここで耐えかねたように、佐久間が割り込んでくる。ずっとこんな、茶番とすら言えないやり取りが続いたことで、さすがに耐えかねた様子だった。

それをマサキは、純粋に驚いたように佐久間へと問い返す。

「どうかした? まだ解説の途中だけれど」
「マサキ、、君は優れた頭脳の持ち主だと思う。よく考えたものだとも思うが、君の言っていることは荒唐無稽だ。現実に、そんな方法がうまくいくはずがない」

仮にワイヤーを使って宇津木を運んだとして、首の切断など不可能だ、と佐久間は言う。あまりに作り話めいていて、説得力がないと。それに、現場は血でできた大輪の華が咲いていて、そんな血だらけのコンテナがあれば、わからないはずがない、と。

マサキは、順を追って説明しよう、とそれでも動じずに答える。

「ワイヤーを使った運搬は、ワイヤーの張力、吊るされたものの重量、加速度、進行、衝突する角度など、必要な要素を計算すれば間違えることなくその場所へ行く。だからロープウェイが成り立つんだ」
「しかし、、」
「首の切断は、首の皮が、肉が、骨が、どの程度の重量に耐えられ、鋭利さに耐えられ、加速に耐えられ、どんな角度で、速度で、衝撃力で、刃物に当たれば切断されるのか、全ては計算で求めることができる。原理的な不可能を除いて、不可能なんて、AIの世界では存在しないんだよ」
「しかし!」
「事件現場の派手な出血は、上空で首を落とされたからだ。首からの出血、上空の高さ、コンテナへと衝突する勢い、それらが全て合わさって、あんな大きな血の華を咲かせた、、コンテナの鉄板は、ではその血をどこに触れたと思う?」
「床面、、だが」
「そう、床だ。それも大半は裏面、ざっと拭き取り、コンテナの中に敷き直されてしまえば、誰も気づかないよ。ついでに、宇津木の身体が引きずられたように移動したのは、その落下の勢いで前へと身体が滑ったからだ。この説明に、何か不備はあるかい?」
「、、、」

不備っつーか、、佐久間を黙らせたマサキだが、俺はそれも鼻で笑ってやる。
なんつーか、、ここまで説明を聞いてやっていたが、俺は失笑を堪えきれず、はっ、と鼻で笑っちまった。言うまでもない、お伽噺みてえなトリックだ。

「マサキ、知ってるかそういうの、暴論っていうんだぜ」

遠心分離機からあの路上まで、距離にして700メートル。位置エネルギーだ加速力だのたまっていたが、こいつはそんな長距離を、本当にそんなものが実現できると思っていやがるのか。

それをマサキは。あっさりと頷き、そうだね、と同意する。

「そう、荒唐無稽さ。一見すると不可能犯罪にも見えるが、君にはレイラと言う最強の演算機が味方にいる。ここで必要なのは、そこへ宇津木を運ぶメカニズムだけ、といっても過言ではないんだよ。レイラであれば、どこへどんな速度でどう衝突させれば宇津木帯人がコンテナへ突入するのか、首を飛ばすことができるのか、容易に計算できる、その事実があるだろう」

それを実行できたのが君だけという事実がね、とマサキは言葉を続ける。履歴を残さずセキュリティに侵入する技術、極めて高い演算能力、、レイラを扱えると言うならマサキも当てはまるが、こいつに大型特殊を扱うことはできない。

なるほど、その方法であればあんな路上に謎の首切り死体を置き去りにすることはできるだろうし、お説ごもっともではあるが、、それだけで俺が犯人と言われてもな。その推理には、巨大な落とし穴があるのだ。

「お前、根本的なところを忘れてるぜ、マサキ」

俺は思わず立ち上がり、レイラに呼び掛けて製薬会社のセキュリティゲートの履歴を開かせ、プロジェクターに表示させてマサキに見せてやる。ここを宇津木が通過した記録を。

「宇津木は、17時5分にはゲートを通過、帰宅してんだよ。事件まで、いったい製薬会社のどこに宇津木がいたってんだ?」
「勿論、敷地内さ。宇津木は自分のプレートを使ってセキュリティゲートを開いて、そのまま敷地に逆戻りしたんだ。自分は帰ったように見せかけるためにね。もし管理者がチェックを入れても、ゲートを潜っていれば、帰ったと判断するだろうから」
「何のために?」
「佐久間葵を自分のものにするためだよ」
「ーーー!」

躊躇いなく発したマサキのその言葉に、少なくない衝撃を受けて、佐久間が目を見開き、マサキを凝視する。俺もまたーー、非難を隠せない瞳で。

「お前、、まさか、妹が、葵が自室で眠っていたのは」
「おそらく、眠らされたんだ、宇津木に」

製薬会社の人間であれば、どの薬にどんな作用があり、副作用があるのかも、熟知しているだろうとマサキは言う。

葵を自室の、入り口からは見えない場所に寝かせたのは、万が一探しに来た人間がいても、そこにいるとバレないようにするため。あとは内側から鍵をかけてしまえば、誰も入ってくることはない。

、、問題は、宇津木はセキュリティゲートを通って帰ったふりをした後、どこにも移動した履歴がないってことだな。佐久間葵の履歴もまた、部屋から動いていない。つまり、、

「宇津木は、殺されるまで、ずっと葵の部屋にいたと言うことか!?」

当然の帰結を経て、全身を震わせ、今度こそ信じられないと言うように、佐久間が声を張り上げる。

出るときは手動で鍵を開けられるから、意図してカードを翳さなければその履歴は残らないにしても、すぐに出ていったのでは同僚に見つかる。よって宇津木が葵の部屋に籠っていた時間は、最長で実に11時間。

偏愛か欲望か、ストーカー行為に及び、葵を薬で眠らせて、一緒に部屋に籠ることに成功した宇津木が、その間いったいそこで何をしていたのか。口にすることすら憚られるが、想像することは難しくない。

佐久間は、口に手を当て、真っ青な顔でよろめくと、壁に手を付いて、倒れかけた身体を辛うじて支える。大きく呼吸を乱し、すがるような瞳で、俺を見つめている。葵が何故出社を拒否をしていたのか、恐怖していたのか、忘れ去ろうとしていたのかも、理解して。

製薬会社で会ったときの葵は、まだどうにか理性を保っているように見えていたが、、今ならあれが、非常に危うい、ガラスのような牙城の上に成り立っていたのだと理解できる。

「葵が無事かどうかは、皮肉な首刈りの救世主が、どのタイミングで宇津木を呼び出したかによる、と言いたいけれどね、、」

マサキですら、気の毒そうな声音でそう言葉を続ける。葵の、姉を伴わなければ製薬会社に近づけもしない、その様子を思い浮かべるようにして。

そうーー宇津木の死亡推定時刻は、24時から26時。17時に宇津木が帰宅のフリをし、葵の部屋を通過したのが17時7分だとすれば、最短でも7時間。葵の身体が無事という保証は、限りなくゼロに近い。

佐久間は、葵、葵っ、、! と悲痛な顔でうわ言のように繰り返し、震える声で、苦痛に揺れる瞳で、真っ青な顔色で、マサキにその意思を問いかける。

「お前の推理は、、よく、わかった。橘啓は殺人の容疑で本署へ勾留する。お前から、まだ何か告げておくべきことはあるか?」
「そうだね、強いて言うなら、一つだけ」
「なんだ?」

言いたいことがあるのなら、頼むから早く言ってくれと、早く妹のもとへ駆けつけてやりたいのだと、言葉にこそしないまでも、懇願するような目で問いかける佐久間に、マサキは、落ち着いた声音で答えを返す。

両親を早くに亡くし、姉妹でずっと仲良く過ごしてきた、誰よりも妹想いの姉であることは、誰もに周知でありながら、こんな時ですら警察であり続ける、佐久間楓という不器用な女へ。

「佐久間警視には、これからしばらく休暇を取ることを勧めたい。ーー早く行ってあげな、葵ちゃんの心が、まだ現世にあるうちに」
「っ、すまない!」
 
もはや、佐久間は我慢の限界だった。目に涙を浮かべながら取調室を飛び出し、信じられないような速度で部屋から遠ざかっていく。

それからマサキは、ゴンにも、君も行っておいで、と送り出し、プロジェクターを置いてゴンも、取調室から駆け出していった。

#ミステリー小説部門

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