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揺れない天秤 第七話

翌朝以降、俺とゴンは例の製薬会社へと出社を繰り返した。

なにせマサキと和希は事務所の大掃除、もといUSBメモリーの捜索とやらで事務所に籠りきりだし、人手は俺とゴンの二人しかいないのだ。ただでさえ建物自体がバカデカイいのに、1日や2日で調べが終わるはずがない。

「デジタルで調べられる範囲はレイラに任せればいい。俺たちは紙媒体や人伝の担当だ」

そう、ゴンには指示を出して捜査を続けたが、その間にも、レイラからは警察からハッキングした情報が上がっていて、そこからいくつかの事実が判明していた。

一つは、事件当夜、現場の近くに誰かを探すように彷徨いていた、怪しげな男が目撃されていること。

場所は生活道路を抜けた先、大通りの方で、どこかインテリ風の男だったと言うから、案外、製薬会社の誰かかもしれない。そいつが何か光るものを持って路上を彷徨いていた、、それは、重要な目撃情報かもしれなかった。

二つ目は、宇津木の首を落とした凶器について。何とは断定できないが、首の骨の砕け具合から見て、かなり強い圧力がかかった痕があるそうだ。この現代で、ギロチンとは言わないまでも、それに近い印象があるのだとか。幸いなのかどうなのか、ナイフのような軽い刃物の傷ではないし、複数犯でもないのだとさ。

そして三つ目、宇津木の死亡推定時刻は24時から26時の間と判明し、事件の目撃者自体はいないものの、エンジン音のような重低音であったり、金属音であったり、布を裂くような音であったりと、その時間にいくつかの物音が報告されていること。

現場の周囲にそんな音を出すものは置かれてなく、音の正体は不明で、これもやはり、そんな音が聞こえた理由判明していない。そもそも場所が場所だけに、情報を提供できる人間がいないのだ。

それから、警察ではないが、宇津木についても、いくつかの事実が判明した。こちらは、警察も佐久間のリークにより、被害者は宇津木帯人だと断定したため、これから上がってくるだろう情報になる。

「どうも宇津木のやつ、可愛い子とあれば手当たり次第に手を出す見境なしだったらしいっすね。あの会社の可愛い子に聞くと他部署でも大抵知ってて、すげえ口説き魔だったらしいっす」

初期のレイラの報告では、製薬会社内で恨み辛みがありそうなのは八人とのことだったが、もしかしたらまだ増えるかもしれないと、ゴンは言う。それだけ不穏な噂が複数出てきたってことだ。同僚の誰それを妊娠させただの、愛人がいただのって話がな。

確かに、レイラはSNS関係には万能だが、所詮その情報はネットワークから拾っただけの代物だ。最初からインターネットに投稿しない人物の思い、心の中だけで思っている内容、すぐに忘れられてしまった口論など、どこにも記録されていない事実は探りようがない。警察も、それら女性関係や通り魔という線も一応視野に入れながら、宇津木の周辺を探り始めたという。

製薬会社内ではここ数日、どこか不穏な空気が漂い、落ち着かない雰囲気となってきているが、それは、中の人間に心当たりのある者がいるからではないかとも感じられる。あるいは、窓から生活道路が見渡せるこの配置というのにも、何か意味があるのかもしれなかった。

そんなこんなで、数日が経過し、ある朝。

「ケイさん、ここ好きっすね」

俺はいつものコンテナに身を寄せ、ゴンはさすがに呆れたように俺に声をかけてくる。テンションも心なしか低めだ。

最近は朝から製薬会社に出向いていたし、居場所なんて教えてねえはずなんだが、こいつは相変わらずの嗅覚で俺の居場所を探り当ててくる。センサーでも付けてんのか。

いや、あるいは、いつものようにレイラがリークしまくってるだけか。レイラはマサキが起動できるし、こちとら四六時中監視されている身だ、逃げ隠れできる場所などありはしない。

「どうした? 今日も出勤だろ?」
「事件っすよ、ケイさん。たぶん殺人っす」
「事件? そいつは、、」

たぶん、なんて微妙な言い回しやこいつの表情から見るに、現在調査中の、宇津木帯人の殺人、、ってわけじゃなさそうだな。
俺は、ガイシャは? と端的に問いかける。

ゴンは刷りきれた革のメモ帳を取り出し、ええと、とそこに書いてあるらしい文字を読み取っていく。俺のお古を相変わらず活用してくれているらしいが、そろそろ残りのページも少なくなってきているのが見てわかる。また何か、今度は新品のメモ帳でも買ってやるか。

「ガイシャは束原周二、場所は例の生活道路っす。あの宇津木の首切り現場の手前に十字路があったじゃないっすか? 発見場所はあの辺りらしいっすよ」

そいつは、、また、犯人も良い度胸だな。あの辺りは今でも警察が常駐してたはずだが、そんなところで殺人ってことは、おそらくは警察がいなくなった深夜の犯行ってことだろう。警察としては、嫌な喧嘩の売られ方をしたもんだ。

束原周二、という名前には微かにだが覚えがある。確かレイラに挙げさせた、宇津木と対立していた人間の一人だったはずだ。顔立ちは、いかにもインテリ眼鏡といった具合の、優男だったと思ったが、、写真には証明写真のように肩から上しか映っていなかったため、体格まではわからない。

「そいつが殺されたってのか。死因は?」
「首吊りらしいっす。十字路近くの電柱に縄がかけられていて、一応警察は自殺と他殺両面で捜査してるみたいっすね」

ちなみにソースは佐久間のねーちゃんっすよ、とかゴンは急ににやけ面で情報源を暴露しやがる。どうもこいつ、佐久間の連絡先を聞き出した上、何かと電話をしてるらしいな。佐久間の捜査の邪魔はすんな、と釘は差しておいたが、それを守っているのかは甚だ疑問だ。

首吊り、と聞くと一見自殺のようだが、こいつが殺人を示唆しているのは、場所が首を切り落とされた宇津木の殺害現場に近く、他者が関与できた環境でもあった以上、自殺に見せかけた殺人ってケースも考えなきゃいけない、ってことか。

俺はコンテナから身を離し、マサキはどう言ってる?
と問いかける。このゴンにそんな推論を立てられるはずはないから、当然マサキにも報告しているだろうと見ての問いだった。

ゴンは、珍しく難しい顔で腕なんか組んで、うーん、と唸り始める。やはり報告はしてあるってことのようだが、反応が妙だ。

「おい、どうした?」
「や、、マサキさんっすね、すげえ楽しそうに笑いだして、こっちは自分が調べるから、ケイさん連れて製薬会社に急げって」
「は? なんだそりゃ。なんでそんなことを、、」

殺人で笑いだす不謹慎さに関しては、相手がマサキだからな。とりあえず置いておくとして、製薬会社なら調査で毎日行ってるわけだが、急げ、とマサキが言うってのは、、生憎、それらしい心当たりはない。

仕方ねえな、行けと言うなら行くしかねえ。十字路が次の事件場所だって言うなら、製薬会社に向かいがてら確認しても良いだろう。俺はゴンに人差し指を振って、行くぞ、と合図をして、

ーーなんだ? 一瞬何かの視線のようなものを感じて、俺はコンテナを振り返った。

コンテナは海に面していて、人が隠れられるようなスペースはない。コンテナの中を除いては。

だが、コンテナの蓋に当たる、入り口部分には俺がずっと背を預けていたはずだ。誰かが入っていたとすると、何時間も前からこの中に、俺に気付かれることなく誰かが隠れていたことになる。

「、、なわけねえか」

そもそも、コンテナは密封されていて、誰かが視線を送れるような隙間自体が存在していない。しばらく俺はコンテナを見つめていたが、気のせいだと判断して前へと向き直る。

「どうかしたんすか?」
「いや、気のせいだろ。行くぞ」

ゴンはゴンで何か気になっていたのか、鼻に指を当てて首をかしげていたが、頷いて俺に付いてくる。それから、少し心配そうに眉を落として、人の顔を覗き込んできやがった。

野郎の顔なんざ、見ていたって面白いもんでもねえだろう。気持ちわりいな。

「おい、なんだよ?」
「や、そういえば、、ケイさん、今日うなされてたっすよね。ちょっとお疲れっすか?」

目元に隈ができてるっすよ、とゴンは自分の目の下を指差して指摘してくる。同居しているとはいえ、さすがに寝室は別だ。壁の薄い安アパートではあるが、こいつにまで聞こえてたってことは相当だな。

「いや、、ちょっと夢見が悪かっただけだ」

なんだか知らねえが、、それで昔を思い出しちまったからな。それで今日、このコンテナに来ていたと言うのもある。
こいつじゃないが、俺にも思い出したくもない過去の一つや二つはある、ってことだ。ガキの頃のこととか、三年前のこととかな。

これが何かの予兆ではないと信じたいが、こういう時の勘は大抵悪い方面で当たるものだ。

「そういえば、佐久間の妹については何か聞いてねえのか?」

俺は強引に話題を切り替えるようにしてゴンへと問いかけた。あれから俺自身は調査にかかりきりで、ほとんど佐久間と連絡は取っていない。こいつの方が知ってるんじゃねえかと見ての質問だったが、こいつ、今度はまた腕を組み、悩ましげに首を捻りやがる。それも最近見飽きてきた、にやけ面で。

「いやあ、ちょっと感情は不安定っすが、良い子っすけどねー、、まだまだお友だちレベルっす。お姉ちゃんベッタリ過ぎて俺には落とせねえっすよ」
「、、何言ってんだ? 宇津木の事件についてに決まってんだろ」

誰も口説けなんて言ってねえ。進捗も聞いてねえ。
だが、今の口ぶり、、まるで会ったことがあるような言い様に、俺は思わずゴンの肩を掴んで、ちょっと待て、と引き留める。

「なんすか急に、、ビックリするっすよ。ビッハラっすよ?」
「お前、葵と会ったのか?」

ビッハラじゃねえよ。意味のわかんねえこいつの造語は無視して、俺は、いつどこでだ? と続けて問いかける。二人で製薬会社に出勤している手前、密会する時間なんてあったのか、という確認でもある。

「ええっと、、会ったのは昨日っすね。例の製薬会社に、久しぶりの出勤って感じに佐久間のねーちゃんと来てて、声をかけたんすよ」
「その時の二人の様子は?」
「んー、見た目は普通の姉妹って感じだったっすかね。話してみたら、お姉ちゃんはね、お姉ちゃんはねって、すげえ佐久間のねーちゃんの話振られたっすけど」
「ちげえよ、雰囲気とか、何か深刻な様子はなかったかって聞いてんだ」

お姉ちゃんはね、お姉ちゃんはね、攻撃は俺もされたことがあるから知ってんだよ。葵の頭の中は基本、お姉ちゃんとお姉ちゃんとお姉ちゃんでできてるからな。お姉ちゃん信者であり、重度のシスコンだ。

ゴンは、雰囲気っすか、と口の中で呟いていたと思ったら、何か心当たりでもあったように、ぽん、と手を打つ。

「そういや葵ちゃん、ちょっとあの会社に来ることに抵抗あったっていうか、怯えた雰囲気とかあったっすかね、、? なんか、お姉ちゃんに促されて渋々来たって感じっしたよ」
「そうか、、」

様子はどうあれ、妹が復帰したってのは良い知らせだな。怯えた様子というのは気にかかるが、俺もどこか安心した心地で、なあ、とゴンに声をかける。

「せっかく葵が復帰したっていうなら、ついでに面会をセッティングしねえか? どうもあの製薬会社、ちょっと距離はあるが生活道路も見えるし、犯行とか目撃してた可能性もあるだろ? 当日の話が聞ければ、宇津木の事件も進展するかもしれないぜ」
「そうっすね、、じゃ、ちょっと連絡してみやす」

ゴンは無造作にスマホを取り出して通話を始め、

「あ、葵ちゃんっすか? 今からそっちの製薬会社に行くんすけど、どっかで会えねーっすか? あ、社内で会える? おっけー、じゃまた後でー!」

電光石火で約束を取り付けて、通話を切った。
、、、いや、こいつ佐久間だけじゃなく、葵の番号まで交換してんのかよ。手早すぎだろ。

「、、ん? どうかしたんすか、ケイさん?」
「いや、、ちょっと自分の年齢を感じてただけだ」

といって、10年前でもこいつほどの行動力はなかったが。すげえな、3年間こいつとつるんできて、初めてこいつに敬意を覚えたかもしれない。

考えてみたら、こいつも見てくれは悪くねえんだよな。口を開けば頭の悪さが露呈するものの、物怖じもしない性格だし、雑談に終始する限りは、人受けの良い陽キャな若者だ。マサキに聞いたことはないが、正社員として正規の給料ももらっているはずだし、いつまでも俺が同居して面倒を見てやっても、女も連れ込めない環境じゃ邪魔なだけ、一緒にいてやる必要なんてないのかもしれない。

ーーまあ、それならそれで都合は良い。俺はひとまず佐久間葵との連絡はこいつに全面的に投げることにして、製薬会社へと向かった。


製薬会社では、佐久間楓と葵の姉妹が、オフィスビルの中の一階ラウンジで俺たちを待っていた。要は前回俺が葵について聞いた受け付けの、扉一つ向こう側の広間だ。ここはだだっ広い空間にテーブルや椅子が、やや距離を空けて複数組置かれていて、ここで商談や簡単な面会ができるようになっているわけだ。

その中でも、佐久間姉妹は入り口に程近い席に、姉の方は座って手と脚を組み、紅茶を嗜んでいて、妹の方はそんな姉にじゃれつくようにして、背後に立って何かと話しかけている様子が見てとれた。

佐久間の姉の方は、紺色のスーツにタイトスカートという出で立ちで、前回見た婦警の格好ではない。すらりとした細身で脚が長く、切れ長の瞳は見る人によっては冷たい雰囲気と映るだろうが、見た目の雰囲気は相変わらず美人モデルそのものだ。聞いたことはなかったが、雑誌にでも載っていそうな姿勢から見るに、あるいはそうした仕事の経験でもあるのかもしれない。

対して、佐久間葵の方は、顔立ちこそ近しい造形ではあるものの、妹という立場のせいか、姉と比べて全体的に幼い印象を受ける。身長は160ほどで、白衣を纏った体型は特別細身というわけでもなく、せいぜいが中肉中背、目鼻立ちも雰囲気も、綺麗というよりは可愛い印象の方が強い。

「葵ちゃーん!」

よーっす、とゴンは二人を見るや、ガキのように声をあ上げて二人に大きく手を振ってみせる。広いラウンジとはいえ、人がそんなにいるわけではないから、バカの声はフロア中にイヤというほど響き渡る。

少ないとはいえ、ラウンジ中の注目を一斉に浴びる形で、佐久間姉妹の二人も驚き、ぎょっとした様子でこちらを見返している。俺は条件反射とも言うべき動きで、ゴンの後頭部をひっ叩く。

「こんの阿呆っ、場所を考えやがれ!」
「いってえ! 殴ることねーじゃねーっすか!」

阿呆が抗議をしてくるが、うっかり手を出しちまったせいで、更に無駄に注目を集めちまった。しかも佐久間がまた、呆れた様子でこちらへ近づいてくる。

「お前な、、私の目の前で暴行罪か? しょっぴかれたいのか?」
「バカ言え、不可抗力ってやつだろう」

そういや、こいつもくそ真面目な警視様だったな。俺は佐久間から目をそらし、若干ばつが悪い気になりながら、両手を上げて詰め寄ってくる佐久間を押さえる。その後ろでゴンのバカがあっかんべーなんかしてやがるが、後で覚えてろよこいつ。

佐久間は、やれやれと肩を竦めて、とりあえず保留にしておいてやる、と言うと、後ろに隠れていた妹の肩に手を回して、俺たちの前へと引き立てる。

「これが妹の葵だ。とはいえ、ゴンくんは昨日会っているし、お前も初見ではなかったよな?」
「ああ、何年前かに何度か会って話したと思ったぜ」

確か、その時は佐久間が捜査に出ている間、犯人が狙うかもしれないっていうんで、葵のお守りを頼まれたんだったな。2、3日一緒にいることになったが、無事犯人も捕まり、それきり会ったことも話したこともなかったはずだ。

葵は俺に、当時はお世話になりました、と両手を前に揃えて頭を下げ、はにかんだような笑顔を向けてくる。妹属性ってやつか、人懐こい笑みで、こいつを向けられて勘違いした男って奴も一定数いそうな笑顔だった。ーー宇津木帯人とかな。

ちなみに、葵の俺への応対に、何故かゴンも軽く仰け反り、口を開けてショックを受けたような反応を返していた。楓の不意討ち弱気発言と並んで、葵スマイルは佐久間姉妹の強烈な必殺スキルだってのにな。こいつも勘違いしてた口か。

「とにかく、ここは目立つし、声も通りすぎる。場所を移動しよう」

佐久間は周囲を見渡し、顎に手を当てて、さてどこがいいか、と思案する。社員用にカフェも併設されているはずだが、基本的に、人の入りが多く、事件について話すにはあまり向かない場所だ。

かといって、俺も密談に適した場所と言われると、少し悩むんだよな。実験室や研究室はいくらでもあるが、どのタイミングで、どこを使っているかまでは把握していない。レイラなら空き部屋の判別も簡単だろうが、ここで呼び出すわけにもいかない。

「じゃあ、いっそのこと葵ちゃんの研究室はどうっすか? ついでに、施設案内って感じで中を案内してくれたら嬉しいんすけど」

ゴンの提案に、葵が、一瞬だけ肩を跳ね上げ、固い笑顔で同意する。自分の居室なら他の人間に話を聞かれる心配もないし、居心地も悪くないだろうから、悪くない判断には思われる。

「えーっと、、じゃあ、案内するので、お姉ちゃんのついでに付いてきてください」

葵はそう言って三人を振り返り、佐久間の腕を取って先導する。恋人のように両腕を佐久間に絡ませて、頬擦りまでしていて、お姉ちゃんのついで発言といい、相変わらずのお姉ちゃんっ子らしい。

オフィスビルを出て、隣の巨大な研究棟へ向かい、プレートを使って研究棟のセキュリティを抜け、病院のような雰囲気の廊下を通って、三つほど並んで設置されたエレベーターへ。そういえば、オフィスビルの方はただの自動ドアだったが、こっちにはセキュリティがあるんだったな。

この研究棟では、各研究室や実験場の前にも同様のセキュリティがあって、この全ては中央のシステム管理室が保守、管理を行っている。製薬会社にも様々な機械があるから、普段はそれらの実験器具の管理が主な仕事になるわけだが、新入社員のIDの登録、離職者のID抹消なんかもそこが担当しているわけだ。

つまり、ここの通過履歴を調べれば宇津木は勿論、佐久間葵の細かな動きも知ることができる、という意味でもある。宇津木は普通に退勤してセキュリティゲートを通過いたから無視していたが、実は葵の当日の動きは、既に改めてレイラに検証させていた。

その結果、わかった事実は佐久間には勿論、ゴンにすらまだ話してはいない。ここでの葵の言葉と照合し、不自然な点や疑わしい点がないかを確認するために。

なにせ宇津木の奴、浮き名は無限に流しているくせに、本気で恨みを買っていそうなのは大学時代の連中くらいで、製薬会社内では葵と楓の佐久間姉妹に、どうにか排除したい理由があるくらいだ。かといって、大学時代の連中に関しては、宇津木にわざわざ関わりたがる理由のある奴が存在していない。少なくとも、レイラで追える範囲では。

恨みつらみなしに、あんな風に路上で首を落として殺害しようと思う奴など、そうはいるはずがないんだが、、今朝ゴンに報告を受けた、束原周二の死とどのような関係性があるかも考慮しなければならないが、あるいは警察の見解通り、通り魔の線というのも、考えなくてはならないのかもしれなかった。

そうして、あれこれと思考する間にエレベーターは6階に到着し、

「、、っ!!」

丁度その、出入り口にいたスーツ姿の男にーー俺よりも上背があり、広い肩幅に鍛え上げた筋肉質の身体、強情そうな顔立ちに太い眉、力強い眼差し、40は確実に越えているであろう、その中年の男の姿に、俺は文字通り全身の毛が逆立つのを感じ取っていた。

こいつは、、この野郎は、、っ!

ぎりっと奥歯を噛んで声を上げるのだけは耐えた俺をよそに、佐久間は妹を連れ、エレベーターを出て、その男を敬礼で出迎える。ごく慣れ親しんだ同僚として。

「これは、蓼沼捜査官。お疲れ様」
「おや、佐久間警視。お疲れ様です。今日も妹さんとご一緒とは羨ましい。それに、、」

、、やっぱり気付いてやがった。蓼沼捜査官、と呼ばれたおっさんは、ゴンに続いてエレベーターから出てきた俺を見て、急ににやついた笑みを浮かべてくる。それも、ゴンのような劣情に駆られた笑みではなく、心底人を小馬鹿にしたような、性格の悪さが滲み出るような笑みで。

そのおっさんは、いやいや、などとのたまって、わざとらしく肩を上げてみせる。そして、俺に向けて、ふん、と鼻で笑ってきやがった。ーーとんでもねえ爆弾発言を降らせながら。

「さすがは佐久間警視です。この殺人鬼をついに署へと連行というわけですかな?」
「ーーー何?」

その、完全に予想外だっただろう言葉に、佐久間が、思わず目を見開いて固まる。それからこのジジイは間髪を容れず、わざとらしく驚いた動きで、手を上げて見せやがる。

「おや、存じませんでしたか? この男は3年前、強盗殺人の容疑で捕まった容疑者なのですよ。それも、円満な夫婦と幼い娘という、幸せな一家三人を皆殺しにした凶悪犯の、ねーー」
「ふっざけんじゃねえっ! デタラメ言ってんじゃねえぞこのクソ刑事がっ!!」

ドガンッ、と凄まじい音を立てて、昇りのため、閉まっていたエレベーターのドアが揺れ動く。フロアと言わず、建物中に響きそうな激昂の声に、誰もが例外なく驚愕の目を向けて来る中、このクソ野郎は全く驚きもせず肩を竦めてみせた。

「こんな殺戮者が、いまだに野に放たれている現状を憂えずにはおられんな、私は。くだらん、あんな反証とも言えぬ画像一つのせいでな、、」
「こっちぁ証拠不十分で解放されてんだよ!! てめえが勝手に描いたシナリオが間違ってたってだけだろうが!!」
「ふん、どうとでも言え。まだ起訴を見送ったに過ぎんからな、新たな証拠が見つかれば、今度こそこんな場所で彷徨いてなどいられぬと思え」

ここで、ピンポン、という間の抜けた音が響き、奴はもう一つ隣に開いた、下りのエレベーターへと乗り込んでいく。その際、いまだに驚きの表情で固まる佐久間に、そうそう、などと言って話しかけた。

「この男には注意することです。人を人とも思わぬサイコパス、それがこの男の正体です」
「、、蓼沼捜査官、詳しくは署でお伺いします」

、、クソが。最後まで意味深な台詞を吐いて、蓼沼はエレベーターへと消えていった。

誰もが何も言えず、俺の荒い息遣いだけがフロアに響き続ける。そんな、重苦しい沈黙が流れる中ーー、佐久間が、やれやれだな、と肩を竦めて、やや軽い調子の声を上げた。

「お前、そういえば私にそういう依頼をしていたんだったな。冤罪事件の真相か、、なるほどな」
「わかったかよ。だからお前はこんな事件なんかで立ち止まるんじゃねえ」

さっさと解決しろ、と俺は佐久間に強い調子で声をかける。どちらの事件とは言わなかったが、それがどちらでも、俺には問題ない。

「や、二人でわかりあわねーでほしいんすけど、、え? 結局どういうことなんすか?」

ここで、ゴンが本当にわからなかった風に、どこか夢でも見てるような雰囲気で話しかけてくる。日本語自体がよくわからなかった、外国人みたいな反応だった。

「だって、殺人鬼って、、ケイさんが? え?」
「ちげえよ、クソの言うことを真に受けんな阿呆。俺はただの冤罪被害者だ」
「冤罪って、、え、でも」

ちっ、仕方ねえな、、とりあえず、こんな廊下で話すような内容でもない。俺は一度心を静めて、まず研究室に行こうぜ、と葵とゴンの二人に声をかける。

ーー葵は、呆然と俺を見て、しばらく固まっていたが、佐久間が、葵? とその腕を取ったことで、ビクッと肩を跳ね上げる。こいつは、、マジだと思っちまったケースか。仕方ねえな。それくらいは、こっちも受け入れ済みだ。冤罪とはいえ、これが一度捕まっちまった人間の末路って奴だ。

だが、佐久間はそれを、失礼だぞ、と責める口調ではなく、優しく諭すようにして注意する。

「葵、真に受けるな。大丈夫、橘は信用できる男だ。どうしても怖ければ私を信用しろ。誰の手からも、私がお前を守ってやる」
「はい、、大丈夫、です」

葵は、心配そうな姉に向けて小さく頷くと、どこか怯えた目で俺を振り返り、改めて俺たちを先導していく。
その目はーー、けれど、単に怯えた色というよりは、何かへの理解を含んだもののように思えた。

#ミステリー小説部門

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