【毒親育ち/HSP】機能不全家族から考える″生きる意味″とは
機能不全家族のいちばんの問題は、感情の居場所がないことだ。
感情を扱う能力が、家族全員にない。祖父母にもない。父や母にもない。そして、私たちアダルトチルドレンにもない。
子どもは、豊かな感情を持って生まれてくる。そして、それを当たり前のように表現する。
「楽しい」
「怖い」
「痛い」
「つまんない」
それに対して、
「楽しいね」
「怖いよね」
「痛かったね」
「つまんないね、楽しいことしたいね」
と共感されることで、感情は消化されていく。
しかし、感情の扱い方を知らない親は、感情そのものを嫌う。
「楽しい」→「お前だけ楽しそうでいいね」
「怖い」→「もうお姉ちゃんなんだから怖がるな」
「痛い」→「痛くない、痛くない」
「つまんない」→「私だってつまらない」
こうして、子どもの感情は行き場を失っていく。
感情を受け取ってもらえないこと。感情に共感してもらえないこと。それは、子どもにとっていちばんつらいことなんだ。
なぜなら、【感情を受け取ってもらえない=ありのままの存在を否定される】ということだから。
だから子どもは、そのつらさに耐えられなくなる。感情を出したときの痛みに耐えられず、「どうにか感情を出さないようにしよう」と学んでしまう。
恋愛に絶望して、「最初から好きにならなければ傷つかない」と考える大人のように、「最初から感情を出さなければ、傷つかずにすむ」と、小さな子どもが追い込まれてしまう。これが、機能不全家族に生まれた子どもの悲劇なんだ。
こうして、【感情を出すこと=悪】という、ねじ曲がった価値観が出来上がる。それが、機能不全家族の最大の問題だ。
感情は、なかったことにはできる。でも、消えることはない。
だから機能不全家族には、感情のゴミ箱=スケープゴートが必要になる。感情をどうにかして消化しなければ、正気を保てない。しかし、家族同士の共感や寄り添いでは消化できない。
そこで血祭りにあげられるのが、優しく、共感性が高く、家族思いの子どもだ。反抗しない子どもを標的に、理不尽に感情を捨てていく。まるで、感情のゴミ捨て場のように……。
そして、機能不全家族では、お互いの感情を言葉にして伝え合えない。話し合いができない。言語化できない感情は、舌打ちになり、生活音の大きさになり、無視や不機嫌という形で表現される。こうして、機能不全家族特有の、異様な空気の悪さが作られていく。
さらに、感情を抑圧すると、不安の感情が膨らんでいく。その不安は、子どもへの過干渉として現れる。子どもの感情は扱えない(=無関心)。けれど、子どもの行動には干渉する。そして、家族内の不安を、「外面を良くすること」で解決しようとする。
こうして、無関心なのに過干渉内側は不安だらけ、外面だけが良い、機能不全家族が出来上がる。
すべては、感情の行き場がなかったからだ。
最近、機能不全家族で育った人(30歳前後)が、自殺する前に書いたブログが、Xで回ってきた。
「家にいるのに感情を出せないんですよ」

そして最後に、
「自分の存在を示すために、生きた証が欲しくて、このHPを作った」と綴られていた。

感情を表現し、それに共感されること。
それは、自分の存在を確認することだ。
それがなければ、人は生きていけない。
お金でもない。
地位でもない。
名誉でもない。
感情を表現し、それを受け止めてくれる人がいること。
それこそが、生きる意味なんだと、深く感じた。
そういう意味で、機能不全家族の中で生きることは、とても難しい。生きるための土台が、最初から作られない家族なんだ。
だからこそ、それに気づく必要がある。
「自分の家族は機能不全家族だった」
そして、自分で土台を作っていく必要がある。
自分の感情に共感してあげる。
自分の気持ちを、ちゃんと受け取ってあげる。
いつからでも、どこからでも、
立て直すことはできる。
機能不全家族を生き抜いたことは、
本当に大変なことだ。
よく頑張ったね。
よく、ここまで生きてきたね。
まずは、
そこに誇りを持っていい。
そこを、何よりも最初の自信にすべきなんだ。
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