【#創作大賞2026 オールカテゴリ部門 私小説】『スタンド・アップ』第02話「少年の日々」
《第02話 本文》
振り返れば、挫折と後悔ばかりの三年間だった。
選ぶ学校を間違えた、と気付いたのは高校二年の時である。
おれがいたのは私立の、いわゆる進学校だった。高校受験時のおれにとって学校など映画さえ撮れるなら何処でも良かったが、それでもこの私立を選んだのには一応理由があった。学校見学時、雰囲気が良いと感じる写真部があったのだ。
正式なカメラの使い方をいい加減学んでおきたかったし、動画と静止画で違いはあっても後々何かしらの応用は効くだろうと考えた。学校には「部活と学業の両立は可能です!」と説明されていた。
結論からいうと、写真部へは入部どころか在学中は見学にすら行けなかった。クラス担任が一切の告知なく放課後姿を現さず、クラス全員の帰宅も解散も事実上阻止する暴挙を年中無休で続けたからだ。自習を強制したかったのだろうと気付いたのは、大分後になってからの話だった。
課外授業のある日もない日も、完全下校寸前までは決してホームルームを終わらせず、散々遅れて始めたと思えば肝心の内容は意味不明かつ脈絡のない不機嫌や癇癪のオンパレードという有様で、一学年の終わりには何名かの生徒が『降格』してクラスを去っていった。
入試成績を理由に配置された上級クラスであったが、誰もが内心何かがおかしいと感じていたのだ。しかも悪いことに、この担任は三年間連続の持ち上がり式だった。
この担任がある日、おれを進路指導として空き教室へ呼びつけた。
当時既におれは芸大受験を決めていて、学校見学で作品集すら入手していたぐらいだったので、正直これ以上何を話すことがあるんだとイライラしていた。
同じ頃、足掛け二年の自主映画企画が破綻に直面していた。中学の終わり頃、海外の有名な悪魔祓い映画を見ておれは感銘を受け、以来本格的な物語重視の長編ホラーに取り組んでいた。が、それは失敗だった。
重要な位置のスタッフ・キャストと次第に連絡がつかなくなっていった。仲の良いクラスメイトを誘ったり、鉄男の学校で人集めまでしてもらったが、土日しか使えないのもあって二年かけて全体の半分も撮り終わらなかった。
物語重視のつもりで実際はエキゾチックな雰囲気に憧れただけだから、時間が経ち改稿や再撮を繰り返すうち、何がしたいのか自分でも分からなくなっていった。家庭環境の悪化で、ホラーを撮りながらも無自覚に重苦しい話を忌避したのかもしれなかった。
おれの高校進学から程なく、妹が学校へ行けなくなり真っ暗な部屋でパソコン画面にしがみついて生活するようになった。
母は安易に賛成した私学の予想以上の出費に苦慮していたし、当時やっていた派遣事務の仕事を切られるか否かの瀬戸際にあったから終始不機嫌で、家庭内の空気は年中最悪状態だった。
結局当時のおれには自分で思うより遥かに、長期プロジェクトを完遂する実力も計画性もまるで不足していたのだ。特に環境変化の影響を考慮しなかったのが致命的であった。それでも大勢を巻き込み、方々に宣伝して回った以上、勝手に放り出してウヤムヤにする気にだけはなれなかった。
せめて見映えするシーンを集めてナレーション対応でどうにか乗り切れないか、などと考えていると、対面の席に座った例の担任はいきなりおれにこんなことを言った。
「芸大は先生のクラスでは受験しないよ?」
「……いや、受験するかどうか決めるのはおれなんですけど」
「だけど教室のポスターで黒く塗った学校は受験しないよ?」
「だからそれを決めるのはおれなんですけど……」
当時三〇を過ぎて自他境界希薄な未就学の幼児めいた喋り方をするこの男を、クラスの殆んど全員が大なり小なり嫌っていた。
ポスターとは大手予備校が配布した著名ないし主要な大学の一覧表だった。担任は教室にこれを張り出すと、およそ三分の二の大学名を独断でマジックで黒く塗りつぶした。もうこの時点で何かが明らかにおかしかった。
おれが自主映画を撮っていることはクラス全員が知っていたので、担任も当初は妥協案のつもりなのかいくつかの大学や学部をおれに提示してきた。が、それらは如何にも分かりやすい国公立ブランドや難関私大ばかりで、ブランドありきで選んだとしか思えなかった。
正直学校側の利益追求がどうというより、おれ自身の選択はまるで最初から存在しない前提で話を進めようとする姿勢に違和感を覚え、しばらく押し問答が続けられた。すると担任は突然おれの二の腕を異様な力で掴んできて、
「――遊びはいい加減切り上げなさいッ、先生だってナマモノなんだからァァァァッ!」
思わず怖気が走り、おれは思考が停止した。
言葉の意味が何ひとつ理解できなかったのだ。青髭の浮いた鼻の下の長い年長者の男に、至近距離からいきなりそんなことを言われた生理的嫌悪感だろうか。
あるいは真剣に打ち込んできたつもりの映画制作を遊び呼ばわりされたことで、脳が理解を拒んだのか。今となってはもはや分からない。
「そもそもプロになれるような人間はごく一部だ、よってそこまでしてプロになる必要はない! 映画か何か知らないがそんなものは完成させる必要がない!」
じゃあ何のために大学へ行くんだと思ったが、当時はそんなことより、心の奥の大事な部分を醜い手つきで汚されたような不快感で頭の中が支配され、具体的かつ理路整然とした反論なんて出来る余地もなかった。
元より、入学自体がおれの浅慮であるという負い目もあった。学力的に合格が容易だったというだけで、あの学校のあのクラスで明らかに異物なのはおれの方だった。おれは自身が消耗品の歯車や使い捨ての兵隊扱いされることを、まるで想定していなかったのだ。
元々既に下がり気味だった成績は以来一気に急降下して、グチャグチャになっていた頭の中身を落ち着いて整理する余裕すらも同時に奪い去っていった。
破綻した映画はそのまま永久に未完成となった。
* * *
三年時になるとまた別の問題が浮上した。
中学卒業後も家から一歩も出られずにいた妹が、全身に激痛を訴え四六時中泣き叫ぶようになった。生まれつきの側弯症が姿勢の悪さで急激に悪化したためだった。
入院と手術が必要とされたが費用が足りず、母はおれが自分専用のパソコンを買うためコツコツ貯金していた数万円を貸してほしいと頼んできた。元々一台しかない家族共用パソコンの使用権をめぐって、当時は兄妹ゲンカが度々起きていた。だが妹があまりに哀れに感じたおれは、当時の貯金を丸ごと母に差し出した。妹の手術は無事成功した。
退院した妹は以前にも増してパソコンにしがみつくようになり、事前に決めた交代時間を一切守らず、むしろ怒り狂って壮絶なギャン泣きを繰り返すようになった。
「日常のちょっとしたことでも大きいんだよ苦しい気持ちで生きてる中でお兄ちゃんは夢があっていいじゃん信じられる人がいていいじゃん私は何にもないんだよ私がどんな苦しい思いしてるかどんな気持ちで生きてるかどんな気持ちで外に出てたかどんな気持ちで学校行ってたか友達だって増えてて映画つくったり勉強で良い点とったり私がどんな苦しい思いしてるか分かんないんだろうね私はがんばろうって思ってるのに私がどんな気持ちで生きてるか!!!」
おれが少しずつでいいから貯金を返してくれないかと訊ねると、母はむしろ火が付いたように激昂した。
「どこにそんな金があるんだ! 払わないよ!」
これは仕方のないことだった。元々いくつかの公的扶助を受けてギリギリ生活していた状況下で、母はこの上おれの進学用の学費の積み立てまで支払っていた。おれが軽率に私学を選んだのも家計逼迫の原因だった。おれの悩みは全てぜいたく品だったのだ。
だから当時のおれは、本当はもう学校に行きたくないとか、志望校は担任に選ばされただけで正直魅力がひとつも分からないとか、テキストの内容が何も頭に入ってこないとか、そういう話を家族に打ち明けることは一切できなかった。たとえ言っても、聞きたくもない話として扱われたからだ。
こうしておれの高校三年間は、無意味な大金を支払い、無意味に家族を追い詰め、無意味な受験と不合格、そして無意味な浪人生活と心の傷だけを背負うかたちで幕を閉じたのだった。
* * *
卒業から半年ほど経った頃だった。
おれは久しぶりにかつての高校を訪れていた。あの芸大を今度こそ受験するため、元担任の発行する調査書がどうしても必要だったのだ。
しかし校門を入って調査書を受け取り出るまでの間、おれはずっと動悸と吐き気と冷や汗が止まらなかった。
元担任が電話口で受験先を知って露骨なため息をついたからでも、そんなやつのお情けがないと志望校へ出願すら出来ないからでもない。
在学中のある時、おれの自主映画を治安の悪さで知られる別の動画サイトに、次から次に無断転載するやつがいることに気付いた。おれは例の自主映画の破綻後も、一日か二日で撮り終わる短編映画に的を絞ってコンスタントに制作と公開を続けていたのだ。
鉄男は相変わらずおれを助けてくれたし、山本も学校は違ったが昔のよしみで何かと参加を続けてくれていた。辛い日々の中で、それだけが唯一の救いだった。そんな自主映画が転載先では殆んどずっと嘲笑に晒されていた。無法地帯と化したコメント欄の、いくつかの内容が目に入った。
ネット上に明かしていないハズの、おれの本名や学校での一部始終を執拗に嘲るものがそこには溢れていた。表向きは担任に従順で成績も良いクラスの上位層から、おれの自主映画は陰湿で幼稚な憂さ晴らしの的にされていたのである。
卒業式後、クラスメイトが開催したお疲れ様会の報せが、おれにだけは届いていないことが判明した。おれは何もかもみじめな気分だった。
数ヶ月後、おれは山本に絶交を言い渡されていた。
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