マックス・シェーラーはなぜ忘れられたのか――全集を全部読んだぼくが受け取った三つのもの
マックス・シェーラーという哲学者がいる。
いや、「いた」と書いた方が現在の扱いには近いのかもしれない。
二十世紀初頭のドイツでは、フッサール、ハイデガーと並ぶほど巨大な哲学者だった。倫理学、現象学、宗教哲学、感情論、人格論、社会学、知識社会学、哲学的人間学。手を出した分野を並べるだけで、いったい何人分の仕事なのかと思う。
1928年、シェーラーが54歳で急死したとき、ハイデガーは彼を、
現代ドイツにおける最強の哲学的力、それどころか現代ヨーロッパ、現代哲学そのものにおける最強の力
と追悼した。
ハイデガーによる単なる社交辞令ではない。当時のシェーラーは、それほどの存在だった。スタンフォード哲学百科事典も、死の時点で彼がドイツを代表する知識人の一人であり、初期現象学者の中でもとりわけ創造的な人物だったとしている。
ところが現在、シェーラーの名前を聞くことはほとんどない。
知識社会学といえばカール・マンハイムである。哲学的人間学といえば、知っている人でもシェーラー、プレスナー、ゲーレンを三人並べる程度だろう。現象学ならフッサールとハイデガー、倫理学ならカント、実存思想ならキルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、サルトルが先に出てくる。
英語版Wikipediaを見ると、主要な関心として、価値論、倫理学、哲学的人間学、知識社会学などが一応列挙されている。だが「哲学的貢献」の本文では、なぜか「愛と現象学的態度」だけが異様に詳しい。シェーラーが何をした哲学者なのか、全体像はほとんど分からない。
日本語版はさらにひどい。私生活の記述に比べて、哲学的業績は各項目一文程度で終わる。
これほど巨大だった哲学者は、なぜ忘れられたのか。
全集を全部読んだ
ぼくは大学時代、シェーラーをかなり読んだ。
卒業論文の主題が、ニーチェとシェーラーのルサンチマン論だったからである。
当時、日本ではシェーラー著作集が全十五巻で刊行されていた。主要著作だけを選んだ選集ではない。倫理学、共感論、宗教論、知識社会学、哲学的人間学、戦争論、資本主義論まで、シェーラーの異常に広い仕事を日本語で追うことができた。
ぼくはそれを全部読んだ。
卒業論文で直接使う範囲を明らかに超えていたが、もともと関心のある分野ばかりだった。倫理学、宗教論、知識社会学、哲学的人間学まで、シェーラーの仕事を全体として追いたかったのである。一部はかなり読むのがきつかったが、それでも最後まで読み通した。
全部その人である。
当時、シェーラーの日本語研究書は驚くほど少なかった。ぼくが読んだのは金子晴勇『マックス・シェーラーの人間学』だった。早稲田大学でも所沢キャンパスにしか所蔵されておらず、わざわざ借りに行った。
全集がほぼ完備されているのに、それを読み解く研究書がほとんどない。
翻訳の量だけなら大哲学者である。しかし日本の哲学界は、その遺産をほとんど受け取らなかった。
いま振り返ると、ぼくはシェーラーから少なくとも三つのものを受け取っている。
第一の貢献――ニーチェを受け入れながら、ニーチェに抵抗した
第一は、ルサンチマン論と実質的価値倫理学である。
シェーラーのルサンチマン論は、ニーチェを否定したものではない。むしろニーチェの心理学的洞察をかなりの範囲で受け入れている。
人間は、自分が直接実現できない欲望や敵意を抑圧する。その感情が長く蓄積すると、自分が得られないものの価値を引き下げ、逆に自分の弱さや無能力を道徳的優越として語り始める。
ニーチェが描いたルサンチマンの構造を、シェーラーも認める。
両者の違いは、その先にある。
ニーチェにとって、価値は生や力から独立して存在するものではない。何を善とし、何を悪とするかは、ある生命類型が世界を評価し、意味づける働きによって生まれる。ルサンチマンもまた、新しい価値体系を作り出す力になる。
シェーラーはそこを拒否した。
価値は人間が作るものではない。快適なもの、生命的に高貴なもの、精神的なもの、聖なるものという価値の秩序は、人間の欲望や社会的立場とは独立して存在する。人間は感情的直観によって、その価値を発見する。
ルサンチマンが行うのは価値創造ではなく、価値認識の歪曲である。
ここには明確なカトリック的背景がある。少なくとも中期までのシェーラーは、神、人格、愛、価値秩序を客観的なものとして守ろうとした。
ぼくはニーチェの側に立っていた。
客観的価値秩序というシェーラーの答えには納得できなかった。だが、シェーラーを読むことで、ニーチェが破壊したものを守ろうとする人間が、何を守ろうとしているのかは少し理解できるようになった。
宗教的な人間が、単に権威に服従しているのではなく、愛、罪、悔恨、聖性、人格といった価値を現実のものとして経験している。その心性を、内側から理解するための回路ができた。
これは後にDepeche Modeを理解するうえでも役に立ったと思う。
Martin Goreの歌詞には、罪、欲望、服従、贖罪、救済、神への呼びかけが繰り返し現れる。もちろん彼は正統的なキリスト教徒ではない。むしろ信仰を失った後にも残る、キリスト教的な感情形式を書いている。
ニーチェだけで読めば、それを道徳の病理や欲動の偽装として切断することもできる。
シェーラーを読んでいたから、ぼくはそれを、価値に引かれながら、その価値を信じきれない人間の運動としても読めた。
納得しない思想を読むことにも意味はある。
反対側の人間が、何を見ているのかが分かるからである。
第二の貢献――ニーチェの系譜学を知識社会学へ接続した
第二は知識社会学である。
知識社会学といえば、現在ではほぼマンハイムの名前で知られている。
しかし、シェーラーもまた知識社会学の創始者の一人だった。彼は、知識がどのような社会的条件のもとで成立し、どの集団によって選択され、どの時代に現実的な力を持つのかを問うた。スタンフォード哲学百科事典も、シェーラーの知識社会学を、彼の哲学的人間学や精神と生命の関係を社会的次元へ展開した仕事として扱っている。
シェーラーの考えでは、真理そのものが社会によって作られるわけではない。
しかし、無数にあり得る知識のうち、何が発見され、何が重視され、何が制度化されるかは、その社会の利害、衝動、階級構造、時代的状況によって規定される。
この発想の背後にはニーチェがいる。
ニーチェは、哲学や道徳を、その命題内容だけで読まなかった。
誰がそれを必要としているのか。
どのような生理、衝動、弱さ、強さが、その思想を要求しているのか。
その道徳を語ることで、誰が利益を得るのか。
思想を、それを語る主体の生と位置へ差し戻す。これがニーチェの系譜学である。
シェーラーは、その問いを社会的集団、知識形態、歴史的条件の問題へ広げた。
マンハイムはさらに、それをイデオロギー、ユートピア、世代、階級、知識人の社会的位置という、社会学として扱いやすい形へ整理した。
そして、この問題系はブルデューにもつながる。
もちろん、シェーラーからブルデューへ直接一本の継承線がある、と言いたいわけではない。ブルデューにはマルクス、ウェーバー、デュルケーム、モース、バシュラールなど、より直接的な系譜がある。
しかし、思想や判断を、無場所的な純粋意識の産物として扱わないという点では、ニーチェ、シェーラー、マンハイム、ブルデューは同じ問題圏にいる。
人はなぜ、その思想を自然で合理的なものとして感じるのか。
どのような教育を受け、どの制度に所属し、どの位置から世界を見ているのか。
何を問題として認識し、何を見落とすのか。
どの趣味を高級と感じ、どの言葉遣いを知的と感じるのか。
ブルデューはそれを、ハビトゥス、界、資本、位置関係として、はるかに精密に記述した。
ぼくがシェーラーの後にブルデューを読んで、比較的すんなり入れたのは偶然ではなかったのだと思う。
ぼくが現在やっている「社会学」にも、この視線は残っている。
誰かの発言を批判するとき、命題の正誤だけを見ない。
その人がどの制度に所属し、どの肩書を持ち、どの世代に属し、どの媒体で発言し、何を当然視しているのかを見る。
思想の内容だけでなく、その思想を自然なものとして生み出す社会的位置を見る。
これは広い意味で、ニーチェからシェーラーの知識社会学を経て、マンハイムやブルデューへつながる視線である。
英語版Wikipediaは、シェーラーの主要関心として sociology of knowledge を掲げてはいる。しかし、その哲学的貢献を説明する本文では、知識社会学について実質的に何も説明していない。
シェーラーの仕事は英語圏で完全に失われたわけではない。『知識社会学の諸問題』は英訳され、彼の現象学・知識社会学・愛の哲学をまとめて扱う英語研究も存在する。
しかし、現在の知識社会学の一般的な系譜では、マンハイム以後が前景化し、シェーラーは創始期の名前として通過されることが多い。
先に問題を作った者より、それを使える理論にした者の名前が残る。
ここでもシェーラーは負けた。
第三の貢献――実存をヘーゲル的総体へ戻そうとした
第三は哲学的人間学である。
哲学的人間学という言葉は、現在では曖昧である。単に「人間とは何かを考える哲学」という意味でも使われる。
しかし、シェーラー、ヘルムート・プレスナー、アルノルト・ゲーレンらが二十世紀前半に構想した哲学的人間学には、もう少し特定の歴史的意味がある。
それは、実存思想によるヘーゲル批判を受け入れたうえで、失われたヘーゲル的総体性を、人間・生命・社会の側から再建しようとした運動だった。
ヘーゲルは、個別的な意識の不安、疎外、対立、自己喪失を、自然、社会、歴史、精神の総体的運動の中へ位置づけた。
『精神の現象学』では、個別意識の経験する否定性が、歴史的・社会的・精神的な全体へ統合される。
しかし、ショーペンハウアー、キルケゴール、ニーチェは、その統合から実存を取り戻した。
ショーペンハウアーにとって、世界の根底は合理的精神ではなく盲目的意志だった。
キルケゴールにとって、単独者の実存と神との関係は、普遍的な体系へ回収できなかった。
ニーチェにとって、道徳も真理も歴史の合理的自己展開ではなく、生と力による価値設定だった。
ヘーゲルは実存を総体の中に統合した。
ショーペンハウアー、キルケゴール、ニーチェは、総体から実存を取り戻した。
哲学的人間学は、その実存を失わずに、もう一度自然、生命、社会、歴史の総体へ接続しようとした。
これは明らかにヘーゲル的な試みである。
ただし、ヘーゲルの答えには戻れない。
絶対精神も、歴史の目的も、理性と現実の最終的な和解も、もはや無条件には信じられない。
哲学的人間学とは、ヘーゲル的な総体化への要求を維持しながら、ヘーゲル的総体を保証する根拠を失った思想だった。
だから、当然に失敗する。
しかし、失敗するから無意味なのではない。
神が死に、進化論によって人間が動物の一種に戻され、マルクスによって意識が社会的存在へ差し戻され、フロイトによって自我が自分の家の主人でなくなった後で、人間をどこへ置くのか。
哲学的人間学は、その問いをまともに引き受けた。
シェーラーは、生命と精神、衝動と価値、個体と共同体、人間と神を結び直そうとした。
プレスナーは、人間の自己距離化を、生命体と環境の関係から説明しようとした。
ゲーレンは、人間を本能的に未規定な欠陥存在として捉え、その不安定性を制度と文化によって補う構造を描いた。
ゲーレンの制度論もまた、シェーラーの知識社会学と接続する。
人間の世界像や知識体系は、単なる真理の表象ではない。行為を可能にし、世界の複雑性を縮減し、不安定な人間を社会的に安定させる制度でもある。
知識はどの社会的位置から作られるのか、というシェーラーの問いと、人間はなぜ固定された知識・制度・慣習を必要とするのか、というゲーレンの問いは連続している。
哲学的人間学は、哲学、社会学、生物学、心理学をまたいで、人間の位置を定位しようとした。
現在なら、認知科学、進化心理学、社会学、政治学、AI研究までを統合しなければならない問題である。
だからこそ、シェーラーがAI時代に生きていたら、とんでもないことになっていた気がする。
彼の弱点は、発想が少なかったことではない。
多すぎる問題を同時に開き、整理し切れなかったことである。
AIは、シェーラーの代わりに哲学を考えるのではなく、彼が生涯かけても統合できなかった膨大な概念、文献、学問領域の関係を保持し、矛盾を検査し、複数の理論案を比較する補助装置になったはずだ。
シェーラーは、AIによって凡庸になる哲学者ではない。
過剰な問題発見力が、ようやく体系化能力に追いつく哲学者だったと思う。
ハイデガーは戻ってきた
哲学的人間学を考えるとき、ハイデガーとの関係は外せない。
前期ハイデガーは、人間を理性的動物や精神的実体として定義する従来の人間学を批判した。
『存在と時間』の現存在は、孤立した内面主体ではない。最初から世界内存在であり、道具、他者、公共性、歴史性の中にある。
それでも思想史的に単純化すれば、前期ハイデガーは、存在への問いを有限な実存の側へ引き戻した哲学だった。
死、不安、被投性、決意性。
キルケゴール以後の実存思想の線上にいる。
ところが後期になると、人間は「存在の牧人」となり、言語は「存在の家」となり、大地、天空、神的なもの、死すべき者からなる「四方界」の中へ置かれる。
哲学的人間学を批判した人物が、別の語彙によって、大規模な「宇宙における人間の地位」論へ戻っている。
しかもシェーラーは、価値論、感情論、生物学、社会学、知識社会学、人格論という中間項を用意しながら、人間の位置を理論として説明しようとした。
後期ハイデガーは、そうした媒介を形而上学、技術、計算的思考として疑い、「存在からの呼びかけ」や「神的なもの」へ進んだ。
シェーラーは総合しようとして失敗した。
ハイデガーは総合を拒否した後、総合らしきものを詩的に語った。
結局、スピっているではないか。
従来の形而上学的人間像を解体した後、その空白を制度、身体、社会、因果によって埋めず、人間を不可視の巨大な秩序から呼びかけられる特権的な存在として再配置する。
これはぼくが「スピる」と呼んでいる構造にかなり近い。
ハイデガーの方が文章は精巧である。
だが、精巧なスピはスピではない、ということにはならない。
なぜシェーラーは負けたのか
シェーラーの三つの仕事を整理すると、こうなる。
第一に、ニーチェのルサンチマン心理学を受け入れながら、客観的価値秩序を守る実質的価値倫理学を構想した。
第二に、ニーチェの系譜学的視線を、知識と社会的位置の関係を問う知識社会学へ展開した。
第三に、実存思想がヘーゲル的総体から取り戻した個体的実存を、生命、社会、歴史、精神の全体へもう一度位置づけようとした。
どれも巨大な仕事である。
だが、どれもシェーラーの名前では残らなかった。
ルサンチマンはニーチェの概念として知られている。
知識社会学はマンハイムの仕事になった。
哲学的人間学はプレスナーやゲーレンと分有され、さらにハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティ、社会学、心理学、生物学へ分解された。
シェーラーは、多くの問題を最初に開いた。
しかし、後続者が使える標準理論を完成させなかった。
彼の仕事は広すぎた。
倫理学は宗教哲学に入り込み、宗教哲学は形而上学へ移り、形而上学は哲学的人間学へつながり、哲学的人間学は知識社会学と政治論へ広がる。
しかも本人の思想も変化する。
カトリックへ接近した後、教会的なカトリシズムから離れ、後期には生成する神と生命・精神の関係を語り始めた。
シェーラーを一つの教科書的命題へ圧縮することは難しい。
だから、問題ごとに別の哲学者へ分割相続された。
彼は決定打を持たなかったのではない。
決定打になる前の問題を、あまりにも大量に打ち込んだ。
その戦果が、後から来た者の名前で記録されたのである。
判官びいき
ぼくは、判官びいきなのだと思う。
須原一秀について書いた。
昨日はKOHEI JAPANについて書いた。
どちらも、まったく評価されていないわけではない。だが、実際にやったことの大きさに比べて、現在与えられている位置が小さすぎる。
シェーラーも同じである。
彼は二十世紀哲学の敗者ではない。
多くの勝者へ領土を分割された人物である。
ぼく自身も、シェーラー主義者ではない。
客観的価値秩序を信じてはいない。
後期の形而上学にも納得しない。
哲学的人間学による総合は、当然に失敗すると思う。
それでも、全集を全部読んだだけのものは、ぼくの中に残っていた。
ルサンチマンを、単なる悪口ではなく、価値判断を反転させる心理的・社会的機制として読むこと。
思想を、それを語る主体の社会的位置から読むこと。
人間を孤立した主体としてではなく、生命、制度、社会、歴史の交点に置くこと。
宗教的価値を信じなくても、それを経験する人間の心性を理解しようとすること。
ぼくが現在やっている哲学、社会学、批判、Depeche Mode論の中に、シェーラーはかなり残っている。
影響を受けた、と言ってよいのだろう。
シェーラーは54歳で死んだ。
ぼくも、もうすぐその年齢になる。
もちろん比較するような話ではない。
しかし、現在のぼくが、自分の中に残ったシェーラーをようやく発見していることには、少し奇妙な感じがする。
ハイデガーは、シェーラーを「最強の哲学的力」と呼んだ。
理論ではなく、力である。
その表現は正確だったのかもしれない。
シェーラーは、一つの完成された体系を残した哲学者ではなかった。
周囲の思想家へ問題を投げ込み、別の学問を始動させ、読んだ者の中に何十年も残る力だった。
少なくとも、ぼくの中には残っていた。
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