Halo in reverseとしての色彩――『ブルーアーカイブ』百花繚乱編第1章と対策委員会編 第3章との関連
はじめに――俺たちは雰囲気でブルアカをやっている
Depeche Mode「Halo」の“worlds”について書いているあいだ、当然ながら『ブルーアーカイブ』のヘイローが頭にあった。
キヴォトスの生徒たちの頭上に浮かぶヘイローは、単なるデザイン上の記号ではない。生徒の存在そのものに結びつき、破壊されれば死に至る。覚醒しているときに見え、睡眠時には消えるらしい。少なくとも、これまでの描写からはそう読める。
しかし、ヘイローが結局何なのかは、まだ完全には説明されていない。神秘とは何か。恐怖とは何か。色彩とは何か。なぜ一人ひとり異なる図形を持つのか。なぜそれが個体の生存と結びついているのか。
俺たちは雰囲気でブルアカをやっている。
ただし、この作品は、その「雰囲気」を作るのが非常にうまい。最初に像だけを置き、後からその像を読むための規則を与える。公開時にはただの意匠に見えたものが、数年後、別の設定や物語を通過したあとで、過去へ遡って意味を帯びる。
その典型が、2020年7月公開のティザーPVにある。
ホシノがベッドに横たわり、昼寝をしているように見える。しかし、彼女の頭上にはヘイローが浮かんだままだ。
公開時点で、その異常性に気づくことは難しい。睡眠中にはヘイローが消えるという規則が、まだ視聴者に共有されていなかったからである。
だが、その後の描写が蓄積し、眠っている生徒のヘイローが消えると分かってくると、あの映像を別の仕方で読めるようになる。
ホシノは眠っているのではない。
目を閉じて、横になっているだけなのではないか。
彼女は最初から眠れていなかったのではないか。
ティザーPVが公開された時点では、ただの「だらしない昼寝好きの先輩」に見えた。ところが後から振り返ると、その姿は、休んでいるようで一度も休めていない人物の像に変わる。
ホシノの闇、ユメとの過去、アビドスの秘密が最終的に大きく開かれるのが、対策委員会編第3章「夢が残した足跡」である。
【メインストーリー追加・予告】
— ブルーアーカイブ公式 (@Blue_ArchiveJP) February 4, 2024
先生、お待たせしました!
「対策委員会」の皆さんが紡ぐ新たなストーリー。
遂に始まります…!
メインストーリーVol.1「対策委員会」編 第3章「夢が残した足跡」プロローグ 2/7(水)メンテナンス後 公開です!#ブルアカ pic.twitter.com/QD8n2jUIlQ
しかし、あの章も単体で読むと、作品が仕掛けた面白さの一部を逃す。
対策委員会編第3章が始まる直前、作品は百花繚乱編第1章を置いていたからである。
【メインストーリー追加・予告】
— ブルーアーカイブ公式 (@Blue_ArchiveJP) November 4, 2023
20年ぶりに開催される百鬼夜行燈籠祭。しかし、そこには不穏な影が…。
少女の願いと祭りに潜む影。それぞれの思惑が交錯する――
Vol.5「百花繚乱」編 第1章「いつかの芽吹きを待ち侘びて」前編公開です。
「百花繚乱は――身共にとって、憧れの存在ですから」#ブルアカ pic.twitter.com/V8657VGYiR
ぼくは両方をリアルタイムで読んでいた。そして、対策委員会編第3章の終盤、ホシノ、ヒナ、地下生活者の展開まで来たところで、ようやく腑に落ちた。
このために、その前にシュロと百花繚乱を置いたのか、と。
1.ヘイローは祝福であり、同時にShackleである
ヘイローは、キヴォトスの生徒を生徒として成立させるものに見える。
それは個人を識別する紋章であるだけでなく、生存と意識に結びついている。ヘイローがあることで、その人物はその人物としてキヴォトスに存在している。
しかし、存在を成立させるものは、同時にその存在へ本人を拘束する。
強い神秘を持つことは、単純な祝福ではない。
強いから守れる。
強いから頼られる。
強いから前へ出なければならない。
強いから、自分が壊れることを代価として計算できてしまう。
ホシノはその典型である。
彼女は強いからアビドスを守れる。だが、強いからこそ、守る役を降りられない。誰かに頼る前に、自分一人で背負う。自分の損傷や死を、他人を守るための合理的なコストとして扱う。
その強さは自由ではない。
強さそのものが、彼女をホシノという役割へ縛る。
ヘイローが存在を成立させる印だとすれば、同時にそれはShackle、足枷でもある。
You wear guilt
Like shackles on your feet
Like a halo in reverse
存在の証明であると同時に、その存在から逃れられなくする枷である。
シロコとクロコにも、同じ構造が別の形である。
通常世界のシロコは、強さや異常な行動力をしばしばコミカルに処理される。銀行強盗、乗り物、過剰な運動能力。どれも日常の笑いへ回収される。
しかし、プレナパテス世界線のクロコでは、その同じ強さが破局的な形で露出する。
強さが別物へ変わったのではない。
強さが、本来の修正機構を失った。
誰かとの関係、日常、先生、仲間によって抑えられていたものが、孤立したまま極端な形で残った。
ホシノの場合、その危うさは最初から重い。
ティザーPVの昼寝の像は、そのことを最初に置いていたように見える。
横になっていても休めない。
目を閉じても意識を手放せない。
ホシノは「ホシノであること」から一度も降りられない。
ここで、色彩を暫定的にHalo in reverseと呼んでみたい。
もちろん、色彩の正体はまだ分からない。ヘイローとの関係も、神秘との関係も、設定上の答えは示されていない。
ただ、もしヘイローが個人を個人として成立させるものなら、色彩はその成立条件を反転させるものではないか。
単純にヘイローを消す力ではない。
個人を成立させていた強さ、神秘、記憶、役割を、別の秩序へ接続し直す力ではないか。
強さを弱さへ変えるのではなく、強さそのものを破滅の条件へ変える。
自己を消すのではなく、自己の最も強い部分を、自己を破壊する装置へ反転させる。
その意味で、色彩はHalo in reverseなのではないか。
答えはまだない。
だが、『ブルーアーカイブ』は、その答えを明かす前に、反転が人物へ何をするかを繰り返し描いている。
2.百花繚乱編第1章は対策委員会編第3章の前奏だった
百花繚乱編第1章は2023年11月に始まり、対策委員会編第3章「夢が残した足跡」は2024年2月に始まった。
この順序は、単なる更新上の偶然には見えない。
百花繚乱編で先に提示されたのは、先代の不在、組織の継承、罪責、役割の空洞化、そして外部者が共同体内部の亀裂を利用する構造だった。
アヤメは眠ったままである。
ナグサは自分を責め、百花繚乱から距離を取っている。
組織は先代の不在を処理できず、継承の意味も定まっていない。
現在の構成員たちは、何を継ぐのか、誰が代表するのか、自分たちは何者なのかを確定できない。
そこへシュロが介入する。
シュロは百花繚乱に、外部からまったく新しい葛藤を注入したわけではない。
すでに存在していた喪失、罪悪感、継承の失敗、組織の亀裂を拾い上げ、それを怪談として演出し直した。
本人たちがもともと持っていた感情が、本人たちを破壊する物語へ変換される。
その直後、対策委員会編第3章では、ほぼ同じ作用がホシノ個人の内部で反復される。
ユメは不在である。
ホシノは自分を責め、ユメの死とアビドスの衰退を一人で背負っている。
先代の意思を継いだつもりで、実際には失われた過去の内部から出られなくなっている。
そこへ地下生活者が介入する。
地下生活者も、ホシノへ外部から無関係な欲望を植え付けたわけではない。
ホシノがすでに持っていた罪責、責任感、ユメへの執着、強者としての自己像を組み替え、それらをホシノ自身を破壊する論理へ変換する。
百花繚乱では、共同体の自己物語が乗っ取られる。
対策委員会では、個人の自己物語が乗っ取られる。
百花繚乱では、組織が自分について語ってきた物語が罠になる。
対策委員会では、ホシノが自分について語ってきた物語が罠になる。
ぼくが地下生活者によるホシノ操作を見て、それほど唐突に感じなかったのは、直前にシュロを見ていたからだと思う。
すでに作品は一度、対象の内部にある語りを利用し、本人や共同体を内側から崩す敵を提示していた。
だから地下生活者のマインドコントロールも、突然現れた万能洗脳能力には見えなかった。
ブルアカ世界において、物語が現実へ侵入し、人物の判断を内側から歪めることは、すでに可能なこととして示されていた。
3.シュロと地下生活者――怪談と地下室
シュロと地下生活者は、同じ能力を持つキャラクターではない。
文化的な出自も、演出の形式も違う。
だが、作用原理はよく似ている。
シュロの側にあるのは、日本の怪談、百物語、妖怪、土地と共同体に蓄積した噂や因縁である。
地下生活者の側にあるのは、ドストエフスキー『地下室の手記』を想起させる、西洋近代的な内面、過剰な自意識、屈辱、怨恨、自己破壊的な独白である。
シュロは、外部に怪物を出現させるだけではない。
人々がすでに知っている噂、恐れているもの、抱えている罪悪感を配置し、それらを怪談として成立する現実へ変える。
重要なのは、怪談が真実か虚偽かではない。
人がそれを怪談として受け入れ、その形式の内部で判断し始めることだ。
この点で、京極夏彦の〈巷説百物語〉シリーズとの比較が効く。
又市たちは、実在する妖怪を呼び出して事件を処理するのではない。人間の欲望、罪、土地の因縁、噂、視覚的な仕掛けを組み合わせ、事件全体を妖怪の仕業として演出する。
怪異が存在するから人が動くのではない。
人間が怪異として理解できる筋書きを作ることで、現実を動かす。
ただし、又市が憑き物を落とす側だとすれば、シュロは逆である。
シュロは憑き物を作る。
しかも、人がもともと持っていた罪悪感や恐怖を材料にして、本人が自分から抜け出せない怪談へ変える。
地下生活者が扱うのは、共同体に流通する怪談ではない。
個人の内部で反復される独白である。
ホシノには、すでにホシノ自身の物語がある。
自分が弱かったからユメを救えなかった。
自分が強くなければアビドスを守れない。
自分が責任を引き受けるべきだ。
自分の損傷や死は、他人を守るためなら代価として許容できる。
地下生活者は、その物語へ異質な命令を付け加えない。
むしろ逆である。
ホシノ自身の声だけを残す。
他の声を消す。
ヒナの声、先生の声、対策委員会の仲間の声を切断し、ホシノが自分について語ってきた独白だけを閉じた空間で反響させる。
地下生活者は、ホシノの内部に地下室を作る。
そこでは、ホシノ自身の論理以外の声が届かない。
したがって、両者は次のように対照できる。
シュロは、共同体の物語を怪談化して占拠する。
地下生活者は、個人の内面を地下室化して占拠する。
シュロは百花繚乱に、百花繚乱自身の物語によって自壊させる。
地下生活者はホシノに、ホシノ自身の論理によって自壊させる。
日本的な怪談と、西洋近代的な独白。
形式は異なる。
だが、作用原理は同じである。
対象へ異質な命令を注入するのではない。
対象がすでに持っている物語を閉鎖系へ変える。
本人は操られている。
だが本人には、自分の最も深い意志に従っているように感じられる。
4.ホシノの人格は消されていない――むしろ過剰に純化された
対策委員会編第3章だけを切り取れば、地下生活者によるホシノ操作には違和感が出てもおかしくない。
ホシノはこれまで、先生や対策委員会の仲間との関係を通じて少しずつ変わってきた。
自分だけで背負う。
他人を遠ざける。
自分の死を代価として計算する。
そうした振る舞いは一度、先生との関係によって修正されたように見えた。
それにもかかわらず、地下生活者に誘導され、再び周囲を拒み、破局へ向かう。
これだけを見れば、積み上げてきた成長を敵のマインドコントロールで無効化したようにも見える。
しかし、百花繚乱編を経由すると見え方が変わる。
地下生活者はホシノの人格を消したのではない。
むしろ、ホシノの人格を過剰に純化した。
責任を引き受ける。
他人を危険から遠ざける。
一人で解決する。
自分の痛みを説明しない。
自分の損傷や死を代価として計算する。
これらはすべて、以前からホシノの内部にあった。
地下生活者は、新しい人格を入れたのではない。
ホシノの強さだけを残した。
そして、その強さを修正する関係を切断した。
ヒナ。
先生。
ノノミ。
シロコ。
セリカ。
アヤネ。
他者の存在によって、ホシノの強さは初めて現実へ接続される。誰かが止め、誰かが問い、誰かが助けを求めることで、ホシノの自己犠牲は修正される。
地下生活者は、その関係だけを切る。
だからホシノは、ホシノらしく破滅する。
シュロも同じである。
百花繚乱の構成員から人格を奪うのではない。彼女たちがもともと抱えていた役割、罪責、先代への感情を極端な物語へ変える。
誰かを別人へ変えるのではない。
その人がその人である理由を、破滅の理由へ反転させる。
百花繚乱編第1章は、地下生活者の能力設定を説明する伏線ではない。
地下生活者のマインドコントロールを、ブルアカにおける「語りによる主体の侵食」として受け入れさせるための先行実演だったのだと思う。
シュロは地下生活者の前座ではない。
地下生活者を理解可能にする物語形式の前座だった。
5.色彩はHalo in reverseなのか
ここで、冒頭の仮説へ戻る。
色彩の正体について、現段階で確定的なことは言えない。
ヘイロー、神秘、恐怖、色彩の関係も、作品はまだ断片しか提示していない。
したがって、「色彩はHalo in reverseである」というのは、設定上の答えではない。
俺たちは雰囲気でブルアカをやっている。
ただ、その雰囲気のなかで、作品が何度も描いている反転の形式は見える。
強さは弱さへ反転するのではない。
強さそのものが拘束になる。
神秘は失われるのではない。
神秘の強さそのものが、別の秩序に捕捉される条件になる。
自己は消されるのではない。
自己の最も強固な部分が、自己を破壊する装置へ変えられる。
ホシノは強いから壊れる。
クロコはシロコではなくなるから成立するのではない。
シロコであり続けるから、その反転として成立する。
百花繚乱は継承を捨てたから壊れるのではない。
継承を守ろうとするから、継承の物語によって崩される。
Haloが個体を成立させるものなら、Halo in reverseとは、存在を外から消去する力ではないのかもしれない。
存在を成立させていた原理そのものを反転させる力なのではないか。
祝福を呪いへ変えるのではない。
祝福を、そのまま呪いとして作動させる。
強さを奪うのではない。
強さを、逃れられないShackleへ変える。
シュロと地下生活者は、その反転を引き起こす演出家である。
片方は怪談を使う。
片方は地下室の独白を使う。
そしてブルアカは、色彩やヘイローの設定上の答えを明かす前に、反転が人間へ何をするのかを、別々の文化形式で先に見せている。
結び――先に像を置き、後から文法を与える
ティザーPVのホシノを、公開当時に「眠れていない」と読むことはできなかった。
そのための文法が、まだ与えられていなかったからである。
後に睡眠中のヘイローの挙動が分かり、ホシノの過去と人格が明かされることで、2020年の像が遡及的に意味を持った。
百花繚乱編第1章と対策委員会編第3章の関係も同じである。
百花繚乱編を読んだ時点では、シュロの怪談が地下生活者によるホシノ操作の前奏だとは分からない。
そもそも百花繚乱編自体、まだ終わっていない。
シュロの背後にいるコクリコたちの目的は不明であり、アヤメも眠ったままである。
それでも、対策委員会編第3章を読み進め、ホシノ、ヒナ、地下生活者の対決まで来ると、配置の意味が見える。
先に、共同体の物語が怪談として乗っ取られる話を置く。
次に、個人の自己物語が地下室の独白として乗っ取られる話を置く。
先に像を置く。
別の物語で文法を与える。
読者が過去へ戻り、最初からそこにあった意味に気づく。
俺たちは雰囲気でブルアカをやっている。
しかし、その雰囲気は適当に作られているのではない。
説明されていない設定。
未完の物語。
日本の怪談と西洋近代小説。
数年前の短いPV。
別々に置かれたものが、後から一つの構造として読めるように配置されている。
「色彩はHalo in reverseなのか」という問いには、まだ答えはない。
ただし、その答えを受け入れるための雰囲気は、すでに何年もかけて醸成されている。
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