栗城史多と平出和也は同じリングにいた――未知なき時代のアルピニズム・スタイルウォーズ


1 栗城史多と平出和也は同じリングにいた

栗城史多の死について、ぼくはずっと消化しきれないものを抱えていた。

栗城を応援していた人たちの空気は、正直に言えばかなりきつかった。夢をあきらめない。否定の壁を越える。一歩を踏み出す勇気。そういう言葉が、エベレストという巨大な山の現実を、自己啓発の教材へ変換していく。山は危険である。登山は失敗すれば死ぬ。高所登山はなおさらである。にもかかわらず、茶の間の観客は、そこに「感動」を見たがった。

その感動は、栗城を本当に見ていたのだろうか。

ぼくには、そうは思えなかった。

一方で、栗城を「偽物」と切り捨てる登山界側の空気にも、ぼくはずっと違和感を持っていた。もちろん、栗城の登山技術や高所登山家としての実力について、厳しい評価があること自体は当然だと思う。そこは甘く見る必要がない。山は優しくない。登山界の内部には、技術、経験、判断、実績の積み上げによってしか共有されない基準がある。その基準から見れば、栗城は弱かった。そこを無理に擁護する気はない。

しかし、それだけで終わるのか。

栗城を笑っていた側は、栗城を感動コンテンツとして消費していた茶の間と、どこまで違っていたのか。片方は「夢をありがとう」と言い、もう片方は「だから言っただろ」と言う。だが、どちらも結局は、他人の死を自分の言葉の正しさに回収していなかったか。

そこが、ぼくにはずっと引っかかっていた。

その違和感がはっきりしたのは、平出和也と中島健郎の死だった。

平出と中島は、K2西壁未踏ルートに挑み、帰ってこなかった。平出和也は、世界的にも評価されたアルピニストである。栗城史多とは、登山家としての格が違う。そんなことは、わざわざ言うまでもない。技術も、実績も、登山界内部での評価も、まったく違う。栗城と平出を同格に扱うつもりはない。

だが、そこで終わらせるなら、何も考えたことにならない。

栗城と平出は同じリングにいた。

この一文は、たぶん誤読される。栗城と平出を同列に並べるな、と怒る人もいるだろう。栗城と平出は違う。そんなことは分かっている。違うに決まっている。だが、違うからこそ、同じリングにいたことが見えてくる。

ここで言うリングとは、登山家としてのランキングではない。技術水準の比較でもない。人格評価でもない。ぼくが言っているのは、未知なき時代において、アルピニズムは何によって成立するのか、というリングである。

かつて、登山には分かりやすい未知があった。未踏峰があった。未踏壁があった。誰も登っていない山があり、誰も越えていないルートがあった。そこへ行き、登り、帰ってくる。それだけで巨大な意味があった。もちろん、実際の登山史はそんな単純な話ではない。登山には最初から、国威発揚、植民地主義、科学調査、冒険、スポーツ、信仰、観光、階級文化などが絡んでいた。だが、それでも「まだ誰も登っていない」という事実は、強い正当性を持っていた。

しかし、その大きな未知は、かなりの程度で失われた。

山は残っている。壁も残っている。危険も残っている。死も残っている。だが、「人類初」という大文字の未知は、昔ほど単純には機能しない。エベレストは登られた。八千メートル峰は登られた。地図は埋まり、衛星画像があり、気象予報があり、GPSがあり、ガイド会社があり、商業遠征がある。もちろん、今でも未踏のルートはある。だが、登山の価値は、単に「登ったかどうか」では測れなくなった。

そこで残るのが、スタイルである。

どう登ったのか。何を使わなかったのか。どれだけ少人数だったのか。酸素を使ったのか。固定ロープを使ったのか。シェルパにどこまで依存したのか。アルパインスタイルだったのか。単独だったのか。冬季だったのか。未踏ルートだったのか。撤退の判断はどうだったのか。映像は残したのか。スポンサーはいたのか。観客はいたのか。SNSで共有したのか。死んだあと、誰が何を語ったのか。

これらは全部、スタイルである。

アルピニズムは、未知の征服から、スタイルの闘争へ移行した。ぼくはこの論考で、そのことを「スタイルウォーズとしてのアルピニズム」と呼ぶ。

この視点から見ると、栗城史多と平出和也は同じリングにいた。もう一度言うが、同格だったという意味ではない。栗城は栗城のスタイルで、平出は平出のスタイルで、同じ問いに巻き込まれていたという意味である。

未知が弱くなった時代に、何をもってリアルな登山とするのか。

栗城は、それを観客との共有に賭けた。平出は、それを未踏壁とアルパインスタイルとプロフェッショナルな映像表現に賭けた。両者はまったく違う。だが、どちらもスタイルを賭けていた。

そして、どちらも死んだ。

この事実を、感動で消費するのも、正統性の裁判で終わらせるのも、ぼくは違うと思う。

栗城を笑うだけでは足りない。平出を神格化するだけでも足りない。山は人を殺す。だが、人は山だけで死ぬのではない。スタイルによっても死ぬ。スタイルを選び、そのスタイルを維持し、そのスタイルから降りられなくなったとき、人は死へ近づく。

だから、これは登山技術の話であると同時に、スタイルの話である。

そして、スタイルの話である以上、ぼく自身も外に立てない。

2 未知は死んだ。残ったのはスタイルである

アルピニズムを厳密に定義するつもりはない。これは登山史の専門論文ではない。細かな系譜を追うなら、もっと慎重な言葉が必要になる。登山、登攀、アルピニズム、ヒマラヤニズム、フリークライミング、スポーツクライミング、山スキー、バックカントリー。これらは全部違う。違うに決まっている。

だが、この論考で問題にしたいのは、細かな分類ではない。

ぼくが見たいのは、未知が弱くなったあとに、登山がどのように自分の意味を作り直していったかである。

分かりやすく言えば、極地法はチートなのか、という話がある。

もちろん、極地法には極地法の合理性がある。大規模遠征を組み、キャンプを設営し、固定ロープを張り、物資を上げ、支援体制を作り、山頂を狙う。それは巨大な組織行為である。国家やスポンサーや軍隊的なロジスティクスと相性がよい。高所登山を成立させるための方法としては、非常に合理的だった。

だが、アルピニズムのスタイルから見ると、それはだんだん野暮になっていく。

なぜなら、登山の価値が「登頂したかどうか」から「どう登ったか」へ移るからである。

酸素を使わない。固定ロープを使わない。大人数を使わない。シェルパに依存しない。キャンプを積み上げない。少人数で、軽量で、速く、自分たちの力で登る。登って、下りて、生きて帰る。そこに一つのスタイルが生まれる。

このスタイルは、単純な安全性から見れば逆である。媒介を減らすほど危険になる。酸素を減らせば危険になる。固定ロープを減らせば危険になる。人数を減らせば危険になる。支援を減らせば危険になる。単独にすれば危険になる。冬に行けば危険になる。未踏ルートへ行けば危険になる。

だが、危険になるほど、純粋に見える。

ここがややこしい。

アルピニズムは、安全な方法を積み上げればよい、という世界ではない。もちろん、死んではならない。生きて帰らなければならない。だが、ただ安全に山頂へ行けばよいのなら、登山はどんどん旅行に近づく。ガイドがいて、固定ロープがあり、酸素があり、天気のよい日を選び、写真を撮り、証明書をもらう。それも登山ではある。だが、アルピニズムの核心からは遠ざかる。

アルピニズムは、何かを削ることで自分の意味を作る。

何を削るか。どこまで削るか。削ったうえで、どこまで生き残れるか。そこにスタイルが出る。

これはフリークライミングでも同じである。ロープを使うかどうか。人工登攀を使うかどうか。ボルトを打つかどうか。トップロープかリードか。オンサイトかレッドポイントか。グレードは何か。どれだけクリーンに登ったのか。クライミングもまた、単に「上まで行ったか」ではなく、「どう上まで行ったか」を問う文化である。

ヒップホップで言えば、realnessの問題に近い。

何がリアルなのか。誰が本物なのか。誰がワックなのか。どのスタイルが立っているのか。どのスタイルが借り物なのか。誰が現場を持っているのか。誰が消費されるための記号なのか。

だから、これは「スタイルウォーズ」なのである。

ここで言うスタイルとは、単なる見た目ではない。服装や言葉遣いやポーズではない。もちろん、それらもスタイルの一部ではある。だが、もっと根本的には、スタイルとは、自分が何を引き受け、何を拒否し、何を削り、何を残すかである。

酸素を拒否する。固定ロープを拒否する。大人数を拒否する。ガイドを拒否する。共同体を拒否する。観客を拒否する。あるいは逆に、観客へ接続する。映像へ接続する。スポンサーへ接続する。公共性へ接続する。

全部、スタイルである。

問題は、そのスタイルが何を隠し、何を引き受けているかである。

ここで「スピる」危険が出てくる。

山は、すぐに大きな言葉を呼び寄せる。生と死。自然。人間。限界。夢。挑戦。孤独。自由。祈り。魂。そういう言葉は、使おうと思えばいくらでも使える。だが、そういう言葉が、具体的な技術、装備、天候、ルート、体力、判断、撤退、失敗、責任を飛ばしてしまうなら、それはスピである。

山はスピりやすい。

なぜなら、山には本当に死があるからである。死がある場所では、人は簡単に大きな意味へ逃げる。死を意味で包みたくなる。挑戦だった。夢だった。美しかった。彼は山に愛された。山が彼を呼んだ。そう言えば、何か分かった気になる。

だが、分かった気になるだけである。

山で死ぬということは、まず身体が壊れるということだ。落ちる。埋まる。凍る。滑る。酸素が足りなくなる。判断が鈍る。時間が足りなくなる。戻れなくなる。助けが来ない。そういう具体的なことが起きる。

そこを飛ばして、死を美しい物語に回収してはいけない。

だから、栗城の死も、平出の死も、感動で包んではいけない。もちろん、敬意は必要である。哀悼も必要である。だが、敬意や哀悼の名の下に、具体的なスタイルの問題を見ないなら、それは結局、死を消費しているだけである。

アルピニズムがスタイルウォーズであるなら、死もまたスタイルの中で考えなければならない。

なぜその山だったのか。なぜそのルートだったのか。なぜその人数だったのか。なぜその方法だったのか。なぜ撤退しなかったのか。なぜ行けると思ったのか。なぜ観客がいたのか。なぜ映像があったのか。なぜスポンサーがいたのか。なぜそれでも行ったのか。

これは死者を裁くための問いではない。

生きている側が、自分のスタイルを点検するための問いである。

3 栗城史多はワックだった。だが、スタイルではあった

栗城史多はワックだった。

まず、ここは曖昧にしない。

栗城の登山を、世界トップレベルのアルピニズムとして扱う必要はない。登山界内部の厳しい評価を無視して、「いや、彼もすごかったんです」と情緒でかばう必要もない。彼の実力、判断、言葉の使い方、メディアへの出方については、批判されて当然の部分があったと思う。

特に、「単独」や「無酸素」といった言葉の扱いは、かなり危うかった。登山において、言葉は単なる宣伝文句ではない。単独とは何か。無酸素とは何か。どこから支援なのか。どこまでが自己完結なのか。これらは、登山のスタイルを構成する重要な言葉である。そこが曖昧になると、スタイルそのものが崩れる。

アルピニズムにおいて、言葉のごまかしは重い。

なぜなら、山では、言葉のごまかしが判断のごまかしにつながるからである。自分が何をしているのかを正確に言えない人間は、自分が何を引き受けているのかも正確に見えなくなる。自分のスタイルを言葉で正確に定義できない者は、自分のリスクも正確に定義できない。

その意味で、栗城は弱かった。

だが、栗城は無意味ではなかった。

ここを間違えると、栗城論はただの「本物か偽物か」の審判になる。正統な登山界の基準で見れば弱い。だから偽物。だから終わり。そういう話ではない。むしろ、栗城がワックだったからこそ、彼はこの時代のアルピニズムの一つの真実を露出させた。

栗城は、観客と直接つながった。

彼の登山は、山岳共同体の内部評価だけではなく、インターネット、テレビ、講演、自己啓発、応援、共感、感動と接続していた。彼は「冒険の共有」を掲げた。山頂に立つことだけではなく、その過程を見せること、失敗を見せること、再挑戦を見せること、応援させること、泣かせること、勇気を与えることを、自分のスタイルにした。

これは、「正統な」登山界から見ればワックである。

だが、現代的には強い。

なぜなら、現代ではスタイルがメディアを通じても成立するからである。正統な登山界の内部でどれほど評価されなくても、茶の間が感動すれば、メディア的には成立する。専門家が眉をひそめても、観客が涙を流せば、コンテンツとしては成立する。山のリアルではなく、物語のリアルが勝つ。

栗城は、その構造を使った。

あるいは、その構造に使われた。

ここは微妙である。栗城を悪質な演出家としてだけ見るのは、少し単純すぎる。彼自身も、自分の物語を信じていたのだと思う。夢をあきらめない。否定の壁を越える。冒険を共有する。そういう言葉を、彼は本気で語っていたのだろう。本気だったからこそ、多くの人が乗った。

だが、本気であることは、正しいことを意味しない。

むしろ、本気だから危ない。

本気の感動は、人の判断を鈍らせる。本人の判断も、観客の判断も、スポンサーの判断も、メディアの判断も鈍らせる。泣ける話になるほど、具体的な技術の話は後景化する。応援したくなるほど、撤退の合理性は見えにくくなる。失敗が美談になるほど、失敗から学ぶべき技術的・判断的な問題は消えていく。

栗城の登山は、失敗さえコンテンツ化できるスタイルだった。

そこが怖い。

普通、登山では失敗は重い。撤退は重要である。撤退できることは、むしろ良い登山者の条件である。だが、失敗や撤退が「また挑戦する勇気」の物語に吸収されると、撤退の意味が変わる。合理的な撤退ではなく、次の感動の前振りになる。失敗が検証されるのではなく、消費される。敗退が分析されるのではなく、応援される。

栗城を見ていた茶の間は、そこをどれだけ分かっていたのか。

おそらく、あまり分かっていなかった。

茶の間は、山を知らない。もちろん、山を知らない人間が登山について感じること自体は自由である。誰もが専門家である必要はない。だが、死ぬ可能性のある行為を、自己啓発コンテンツとして消費するなら、その無知は無罪ではない。

「勇気をもらいました」

この言葉は、ときに暴力である。

山に行くのは本人である。寒さに耐えるのも本人である。落ちるのも本人である。凍傷になるのも本人である。死ぬのも本人である。にもかかわらず、観客は安全な場所から「勇気」をもらう。自分は死なない。自分は凍らない。自分は撤退判断をしない。自分は責任を負わない。ただ、感動する。

これが、お茶の間である。

ぼくは、栗城を応援していた人たちを、単に善良なファンとしては見られない。もちろん、個々人に悪意があったとは思わない。むしろ善意だったのだろう。だからこそ問題である。善意の応援が、危険なスタイルを支えることがある。善意の感動が、本人をスタイルから降りにくくすることがある。

栗城は、観客に応援された。

だが、その応援は、彼を救ったのか。

むしろ、彼を追い込んだのではないか。

これは、栗城だけの問題ではない。現代の冒険、スポーツ、登山、格闘技、エンタメ、SNS全体の問題である。観客は、挑戦を見たがる。限界を見たがる。失敗を見たがる。復活を見たがる。死にそうで死なないところを見たがる。ときには、本当に死んだあとで泣きたがる。

だが、それは本当に応援なのか。

栗城史多は、登山界の鼻つまみ者だったかもしれない。技術的には弱かった。言葉の使い方も危うかった。ワックだった。ここは変えない。

しかし、彼は単なる例外ではない。

栗城は、未知なき時代のアルピニズムが、メディア、自己啓発、観客参加型コンテンツへ接続されたときに生まれる、一つの必然だった。彼でなければ、別の誰かが似たことをしたかもしれない。山岳共同体の内部評価から外れたところで、観客に直接接続する登山家。失敗を物語化し、撤退を感動化し、挑戦を共有し、死のリスクを自己啓発へ変換する登山家。

それはワックである。

だが、スタイルではある。

そして、スタイルである以上、批評しなければならない。

栗城を笑って終わるな。栗城を感動で包むな。栗城を「本物ではなかった」と切り捨てて安心するな。問題は、栗城が本物だったか偽物だったかだけではない。問題は、なぜ彼のようなスタイルが成立したのかである。誰がそれを求めたのか。誰がそれを見たのか。誰がそれを応援したのか。誰がそこから勇気をもらったのか。

栗城史多は、ワックだった。

だが、そのワックさは、ぼくたちの時代のワックさでもある。

4 平出和也は本物だった。だが、本物もスタイルウォーズの外部にはいない

栗城史多について書いたあとで、平出和也について書くのは難しい。

なぜなら、平出は本物だったからである。

ここは変に相対化しない方がいい。平出和也は、栗城史多とはまったく違う。技術も、実績も、判断力も、登山界内部での評価も、国際的な評価も違う。平出は、日本のアルピニズムが世界に出した、明らかなトップクラスの一人だった。そこを曖昧にする必要はない。

栗城と平出を同じリングにいたと言うとき、ぼくは栗城と平出が同じレベルだったと言っているのではない。むしろ逆である。両者がまったく違うからこそ、同じリングの構造が見える。

栗城は、観客と直接つながった。山岳共同体の内部評価を飛び越え、茶の間、インターネット、自己啓発、応援、感動とつながった。彼のスタイルはワックだった。だが、ワックなスタイルとして成立していた。

平出は違う。

平出は、正統なアルピニズムの内部で評価された。コアな登山共同体の基準に耐える実績を持っていた。いや、耐えるどころではない。その基準の中で、世界的に高く評価された。だから、平出について「本物だった」と言うことは、情緒的な賛辞ではない。登山界内部の評価としても、国際的な評価としても、そう言ってよい。

だが、そこで終わるなら、やはり何も考えたことにならない。

平出は本物だった。だが、本物もまたスタイルウォーズの外部にはいない。

平出和也と中島健郎が挑んだのは、K2西壁の未踏ルートだった。K2という山そのものが未踏だったわけではない。K2はすでに登られている。だが、西壁の未踏ルートに、少人数で、新しいラインを引こうとした。そこに意味があった。

これが、未知なき時代のアルピニズムである。

山頂そのものは、もう誰かが踏んでいる。だから、山頂へ行けばよいのではない。どこから登るのか。どう登るのか。どれだけ少人数で行くのか。どれだけ軽く行くのか。どれだけ支援を減らすのか。どれだけ自分たちの力で完結させるのか。そこにスタイルが出る。

平出のスタイルは、栗城のスタイルとは違う。栗城が観客へ接続したのに対して、平出は山そのもの、未踏の壁、そしてコアなアルピニズムの基準へ接続していた。だが、それもまたスタイルである。

ここを見落としてはいけない。

「本物」は、スタイルの外にあるのではない。本物であることもまた、一つのスタイルである。

もちろん、これは「本物など存在しない」という相対主義ではない。そんなことは言っていない。平出は本物だった。栗城とは違う。そこを混ぜてはいけない。だが、本物であることは、スタイルの終わりではない。本物であることは、むしろ最も厳しいスタイルの一つである。

本物であり続けるには、本物らしい山を選ばなければならない。本物らしいルートを選ばなければならない。本物らしい方法を選ばなければならない。本物らしい撤退をし、本物らしい記録を残し、本物らしく語られなければならない。

ここに、危うさがある。

本物であることは、人を自由にする。だが、同時に人を縛る。正統な登山共同体の内部で高く評価されるほど、選べる山は狭くなる。選べるルートは厳しくなる。選べるスタイルは純化していく。より困難な壁。より少人数。より未踏。より軽量。より速く。より美しい、ではなく、より立ったスタイルで。

その先に、K2西壁がある。

もちろん、ぼくは平出の判断を外から裁きたいわけではない。そんな資格はない。K2西壁で何が起きたのかを、ぼくはその場で見ていない。高所、壁、雪、氷、天候、体力、時間、ロープ、支点、コミュニケーション、判断。その全部を外から分かったように語ることはできない。

だから、ここで言いたいのは、事故原因の推理ではない。

ぼくが言いたいのは、平出のような本物であっても、スタイルの重力から自由ではなかった、ということである。

平出は、観客向けの感動コンテンツとして山に入ったのではない。栗城とは違う。だが、平出も映像を残す人だった。登るだけではなく、撮る人だった。自分自身の登攀を、山の姿を、相棒の姿を、映像として残す人だった。そこには、プロフェッショナルとしての強さがある。現代のアルピニズムは、もはや登るだけでは成立しない。記録され、語られ、共有され、スポンサーがつき、映像になり、評価される。その回路を完全に外に置くことはできない。

ここでも、栗城と平出はまったく違う。

栗城の映像は、観客の感情を動員するための装置だった。平出の映像は、山の現実と登攀のリアルを伝えるためのプロフェッショナルな記録だった。そう言ってよいと思う。だが、それでも、どちらも映像の時代にいた。

本物であることも、メディアから完全に自由ではない。

ここで平出を神格化すると、栗城を感動消費した茶の間と、結局は同じ構造に入ってしまう。栗城に対して「夢をありがとう」と言った人間と、平出に対して「彼こそ真のアルピニストだった」とだけ言う人間は、もちろん同じではない。だが、死を自分の語りたい物語に回収するという意味では、似た危うさを持っている。

平出の死を、ただ美しいものにしてはいけない。

本物が本物のスタイルを貫いて死んだ。だから崇高である。そう言えば、何かを理解したように見える。だが、それだけでは足りない。平出の死が示したのは、本物であっても死ぬ、という当たり前の事実である。そして、本物のスタイルであっても、純化すれば死に近づく、という冷たい事実である。

栗城は、ワックなスタイルで死に近づいた。

平出は、本物のスタイルで死に近づいた。

この二つは、同じではない。だが、どちらもスタイルが人を死へ近づけるという点では、同じリングにある。

そこを見なければならない。

栗城を笑う人は、平出をどう語るのか。平出を神格化する人は、栗城をどう語るのか。栗城を感動消費する茶の間は論外としても、平出を本物としてだけ語る正統な登山界も、死をスタイルの問題として引き受けているのか。

これは、平出を貶める問いではない。

むしろ、平出を本当に尊重するなら、彼をただの神話にしてはいけない。彼は山に消えた英雄ではない。具体的な技術と判断と準備とスタイルを持った、一人のアルピニストである。ならば、その死も、神話ではなく、スタイルの問題として考えなければならない。

ここで必要なのは、哀悼をやめることではない。

哀悼したうえで、考えることである。

平出和也は本物だった。

だが、本物であることは、スタイルウォーズの外に出ることではない。本物であることは、スタイルウォーズの最も厳しい場所に立つことである。

そして、その場所では、本物も死ぬ。

5 フリーソロという補助線――純化するほど死に近づく

この構造を、もっと分かりやすく示す補助線がある。

フリーソロである。

フリーソロとは、ロープを使わずに単独で岩壁を登るスタイルである。落ちれば、基本的に死ぬ。もちろん、低い岩や安全な場所でのソロ的な登攀まで含めれば話は広がる。だが、一般にフリーソロが強烈な意味を持つのは、高い壁をロープなしで登るときである。

ここでは、スタイルの問題が極端な形で現れる。

ロープを使えば、安全性は上がる。パートナーがいれば、安全性は上がる。支点があれば、安全性は上がる。事前練習を重ねれば、成功率は上がる。だが、ロープを外すと、登攀は一気に別の意味を帯びる。支援が減る。媒介が減る。失敗の余地が消える。身体と岩のあいだにあるものが、ほとんどなくなる。

だから、フリーソロは強い。

登るという行為を、極端に純化するからである。

だが、純化すればするほど、死に近づく。

ここがスタイルウォーズの核心である。

アレックス・オノルドがヨセミテのエル・キャピタンをフリーソロで登ったことは、現代のクライミングにおける最大級のスタイル事件だった。エル・キャピタンは巨大な壁である。それをロープなしで登る。もちろん、オノルドは無準備で突っ込んだわけではない。ルートを知り、ムーブを分解し、何度も練習し、リスクを可能な限り管理した。その上で、最後にロープを外した。

ここが重要である。

フリーソロは、ただの無謀ではない。少なくとも、オノルドのフリーソロはそうではない。ロープを外すという一点だけを見ると狂気に見える。だが、その前には膨大な準備と検討がある。ホールド、ムーブ、天候、コンディション、メンタル、体調、時間帯、すべてを詰める。媒介を減らすために、準備を増やす。ロープを外すために、事前の計算を増やす。

ここに、スタイルとリスクマネジメントの関係がある。

スタイルは、無謀の別名ではない。

スタイルとは、何を削るかを決めることである。そして、削ったものの分だけ、別の場所でリスクを管理することである。ロープを削るなら、ムーブの不確実性を削る。パートナーを削るなら、判断の迷いを削る。支援を削るなら、準備を増やす。媒介を削るなら、身体と判断の精度を上げる。

そうでなければ、ただの自殺である。

ただし、どれだけ準備しても、フリーソロは危険である。そこは動かない。落ちれば死ぬ。どれだけ強くても、どれだけ準備しても、死ぬときは死ぬ。だからこそ、フリーソロはスタイルの純化と死の接近を、もっとも露骨に見せる。

ジョン・バーカーは、その象徴として置ける。

バーカーは、フリークライミングの伝説的存在だった。ヨセミテで名を上げ、ロープなしの登攀でも知られた。自分について来られる者がいるなら金を出す、という挑発的な言葉まで残している。これは単なる冗談ではない。自分のスタイルに対する、強烈な自己提示である。やれるならやってみろ、である。

そして、バーカーはフリーソロ中に墜落死した

この事実は重い。

成功したフリーソロは、神話になる。失敗したフリーソロは、死になる。だが、その二つは別の世界にあるわけではない。同じスタイルの、成功した面と失敗した面である。オノルドは生きて戻った。バーカーは戻らなかった。もちろん、二人の具体的な状況は違う。技術も準備もルートも時代も違う。だが、スタイルとして見れば、同じ問いがある。

どこまで媒介を削るのか。

どこまで自分の身体と判断に賭けるのか。

どこまでリスクを計算し、どこから先を引き受けるのか。

これは、アルピニズムにもそのまま戻ってくる。

酸素を外す。固定ロープを外す。大人数を外す。ガイドを外す。既成ルートを外す。夏を外す。情報を外す。観客を外す。あるいは、逆に観客を入れる。映像を入れる。スポンサーを入れる。メディアを入れる。

何を外し、何を入れるか。

それがスタイルである。

栗城は、正統な山岳共同体の承認を十分には持たないまま、観客とメディアを入れた。冒険を共有し、失敗を物語化し、挑戦を自己啓発化した。そのスタイルはワックだった。だが、スタイルではあった。

平出は、観客への感動消費ではなく、コアなアルピニズムの基準へ深く入った。未踏ルート、少人数、困難な壁、プロフェッショナルな記録。そこに立った。そのスタイルは本物だった。だが、本物のスタイルもまた、死に近づく。

フリーソロは、その構造をもっと露骨に見せる。

ロープを外すほど、スタイルは立つ。

ロープを外すほど、死に近づく。

この二つは、矛盾していない。むしろ、同じことの裏表である。だからこそ、スタイルを語るときには、必ずリスクを語らなければならない。スタイルだけを語れば、死は感動になる。リスクだけを語れば、スタイルは無謀になる。どちらも足りない。

スタイルとリスクを同時に見る必要がある。

ここで、茶の間の感動消費は完全に失格である。茶の間はスタイルを見ない。リスクも見ない。ただ、物語を見る。挑戦する人を見る。泣ける言葉を見る。帰ってきたら拍手し、死んだら泣く。そこに技術はない。判断もない。撤退もない。装備もない。天候もない。あるのは、安全な場所から消費される感動だけである。

正統な登山界も、油断すれば失格になる。

なぜなら、正統な登山界はしばしば「本物か偽物か」の審判に寄りすぎるからである。もちろん、その審判は必要である。登山の世界で、技術と実績の差を曖昧にしてはいけない。だが、栗城は偽物、平出は本物、だから終わり、では足りない。

本物も死ぬ。

そして、本物が死ぬとき、その死は本物のスタイルと無関係ではない。

フリーソロが教えるのは、その冷たい事実である。純化されたスタイルは、美しいのではない。強いのでもない。まず、危ないのである。その危なさを計算し、引き受け、それでも生きて戻ったときにだけ、スタイルは立つ。

死んだら終わりだ。

だが、死の可能性を完全に消したら、スタイルも変質する。

この厄介な矛盾の中に、アルピニズムはある。

だから、ぼくは「無謀な挑戦」を称賛しない。だが、「安全第一」の名でスタイルを殺す気もない。そんなものは、ただの管理である。管理された登山には、管理された登山の意味がある。商業登山には商業登山の意味がある。観光には観光の意味がある。だが、それをアルピニズムの核心と呼ぶ必要はない。

アルピニズムは、スタイルを要求する。

そして、スタイルはリスクを要求する。

問題は、そのリスクが計算されているかどうかである。何を削ったのか。削った分をどこで補ったのか。何を引き受けたのか。どこで撤退するつもりだったのか。何が起きたら終わりなのか。帰ってくる見込みはあったのか。

フリーソロは、その問いを極端な形で突きつける。

栗城にも、平出にも、その問いを戻さなければならない。

そして、ぼく自身にも戻さなければならない。

6 服部文祥は名乗らない。だが、アルピニズム的である

ここで服部文祥を置く。

服部文祥は、前の第3章で取り上げた栗城史多や、後で触れる野口健をかなり厳しく批判してきた側にいる。栗城を「登山家としては3.5流」と評したことはよく知られている。野口健本人も、服部がテレビ番組で栗城と野口を「3.5流」と評したと回想している。

言い方は強い。だが、正統な登山界内部の基準から見れば、そこで言われていること自体はかなり正しい。

栗城は弱かった。野口も、少なくとも正統なアルピニズムの基準から見れば、強いアルピニストとして語るのは難しい。そこを曖昧にする必要はない。

しかし、ここで服部を単なる「本物側の審判員」として置くと、話が浅くなる。

服部文祥もまた、スタイルウォーズの外部にいるわけではない。

むしろ、服部ほどスタイルの人も少ない。

服部は、自分の活動を必ずしもアルピニズムとは呼ばない。彼の中心にあるのは、サバイバル登山であり、狩猟登山であり、近代登山が当然の前提としている装備、食料、補給、快適性、管理を削っていくスタイルである。山へ入り、獲り、食い、歩き、戻る。便利な道具を減らし、文明からの距離を取り、山の中で自分の身体と技術を使って生きる。

これは、登山なのか。狩猟なのか。サバイバルなのか。文学なのか。思想なのか。

その分類は、ここでは重要ではない。

重要なのは、服部のスタイルが「山に対してフェアであること」を強く志向しているように見えることである。

山に対してフェアであること。

これは、かなりアルピニズム的な言葉である。本人がそう呼ぶかどうかは別として、その感度は、アルパインスタイルやフリークライミングの感度にかなり近い。何を使うのか。何を使わないのか。どこまで自分の力でやるのか。どこから先は山を消費しているだけなのか。どこから先はチートなのか。

服部のスタイルは、そこを問う。

だから、服部は名乗らないが、アルピニズム的である。

ここが面白い。

野口健は「アルピニスト野口健」としてメディアに出る。だが、その中身はあとで問う。服部は、少なくとも自分のサバイバル登山を「アルピニズム」として売り出しているわけではない。にもかかわらず、彼のやっていることには、アルピニズムの核心に近いものがある。

名乗る者が必ずしも持っているわけではない。

名乗らない者が、むしろ持っていることがある。

これもまた、スタイルウォーズである。

服部のスタイルは、リスト消化ではない。記録型でもない。誰より若く、誰より速く、誰より多く、という競争ではない。もちろん、そこに自己演出がないとは言わない。服部もまた書く人であり、語る人であり、メディアに出る人である。サバイバル登山というスタイルもまた、読まれ、見られ、消費される。純粋な外部などない。

だが、それでも、服部のスタイルは消費されにくい。

なぜなら、それは記録ではなく、態度だからである。

何歳で達成したか。何座登ったか。何大陸を制覇したか。そういうリストは更新される。より若い者が出れば更新される。より金のある者が出れば更新される。より強い支援を受けた者が出れば更新される。記録は、更新されるためにある。

しかし、態度はそう簡単には更新されない。

山に対してフェアであろうとすること。装備を削ること。食料を削ること。現地で獲り、食い、歩くこと。便利さから距離を取ること。失敗し、汚れ、飢え、疲れ、それでも戻ること。

これは、誰かが数字で更新すれば終わるものではない。

服部のスタイルが強いのは、そこにある。

もちろん、服部のスタイルが万人に勧められるとは思わない。真似すればいいというものではない。むしろ、安易に真似すれば危ない。サバイバル登山は、サバイバルごっこではない。狩猟登山は、野生ごっこではない。そこには技術があり、経験があり、身体があり、判断がある。

スタイルだけを借りれば、死ぬ。

これは、アルピニズム全体に言えることである。スタイルは、見た目ではない。服装でもない。言葉でもない。スタイルとは、削ったものの責任を、自分で負うことである。

服部は、その責任をかなり強く負っているように見える。

だから、ぼくは服部を評価する。

ただし、服部を正統な外部者として神格化する必要もない。服部もまた、スタイルウォーズの中にいる。栗城を批判し、野口を批判し、自分のスタイルを立てる。そのとき、服部自身のスタイルもまた批評対象になる。

だが、少なくとも服部のスタイルには、スタイルとしての強度がある。

それは、山に対してフェアであろうとするスタイルである。

記録ではなく、態度としてのスタイルである。

だから消費されにくい。

ここで、次の問いが立つ。

では、野口健はどうなのか。

7 野口健は何のスタイルでアルピニストなのか

野口健は「アルピニスト野口健」としてメディアに出ている。

ならば、アルピニズムのリングに上がってもらう。

ここで「野口健は登山家ではなく社会活動家だから、アルピニズムとして評価するのは筋違いだ」と逃がす必要はない。本人がどういう自己理解であれ、公式サイトでも、講演プロフィールでも、メディアでも、野口健は「アルピニスト」として流通している。ならば、その肩書は批評対象である。

アルピニストを名乗るなら、アルピニズムのリングに上がれ。

もちろん、野口の社会活動そのものを全否定する気はない。エベレストや富士山の清掃活動、環境問題への発言、災害支援、釧路湿原保護のような公共的活動には、それぞれ評価すべき点がある。そこは切り分ける。社会活動家としての野口健と、アルピニストとしての野口健は、同じ人間ではあるが、評価軸は同じではない。

ぼくがここで問うのは、社会活動家としての野口健ではない。

アルピニスト野口健」である。

野口健の登山家としての中核にあるのは、七大陸最高峰である。彼は若くして七大陸最高峰を登り、当時の世界最年少記録としてメディアに流通した。それは事実である。そこを無理に否定する必要はない。

だが、それは何のスタイルなのか。

七大陸最高峰とは、ピークハント型のリスト消化スタイルである。

もちろん、簡単だと言っているのではない。エベレストを含む七大陸最高峰を登るには、体力も必要である。高所順応も必要である。寒さに耐える必要もある。危険もある。誰でも散歩のように行けるわけではない。

だが、それはアルピニズムの核心なのか。

ここで問うべきなのは、難しいか簡単かだけではない。スタイルとして何が立っているのかである。

七大陸最高峰は、リストである。

大陸ごとの最高峰を並べ、それを一つずつ埋める。埋め終われば達成である。しかも、現代ではその多くが商業登山として商品化されている。ガイド会社がある。遠征プランがある。費用の目安がある。装備リストがある。サポートがある。金と時間と体力と支援があれば、リストは埋められる。

そして、リストは更新される。

野口が当時最年少だったとしても、後続のより若い登山者によって更新される。実際、更新されている。そういう種類の記録なのである。誰より若く達成したか。何歳で終えたか。どれだけ早くリストを埋めたか。

これは、スタイルとして消費されるのが早い。

なぜなら、リスト消化型の記録は、より若い誰か、より早い誰か、より強い支援を受けた誰かによって上書きされるからである。そこに残るのは、山との関係ではなく、達成履歴である。もっと言えば、肩書である。

七大陸最高峰最年少。

これはメディアに強い。分かりやすい。説明しやすい。講演プロフィールに載せやすい。テレビに出しやすい。子供にも伝わる。企業にも伝わる。行政にも伝わる。

だが、分かりやすさは、しばしば浅さでもある。

アルピニズムにおいて、分かりやすい記録は強い。しかし、強いからこそ危うい。山の複雑なスタイルが、リストに圧縮される。ルート、季節、方法、支援、酸素、固定ロープ、撤退判断、登攀内容、山との関係が、すべて「七大陸最高峰」に吸収される。

それは、スタイルとしてワックではないのか。

少なくとも、正統なアルピニズムの基準から見れば、相当ワックである。

もちろん、ピークハント型のスタイルを全否定する必要はない。山頂を目指すことには、山頂を目指すことの意味がある。リストを埋めることにも、リストを埋める楽しさがある。百名山をやる人もいる。七大陸最高峰をやる人もいる。そこには、それぞれの登山文化がある。

だが、それをアルピニズムの核心として掲げるなら、話は別である。

アルピニズムは、単なるリスト消化ではない。

少なくとも、この論考ではそう考える。アルピニズムとは、何を登ったかだけではなく、どう登ったかである。何を使わなかったかである。何を引き受けたかである。どのように山と向き合ったかである。スタイルである。

ならば、野口健は何のスタイルでアルピニストなのか。

ここで見えてくるのは、アルピニズムそのものというより、アルピニストという肩書の公共化である。

野口は、アルピニストという肩書を、社会活動へ接続した。これは事実として、かなり成功している。清掃活動、環境問題、講演、メディア、災害支援、政治的発言。そこに「アルピニスト野口健」という記号が効いている。山を知る人。現場を知る人。地球環境を語る人。行動する人。そういう公共的イメージが作られる。

この能力は、軽く見てはいけない。

野口は、メディアの人である。肩書の使い方がうまい。公共性への接続がうまい。行政や企業や教育現場に届く言葉を持っている。そこは強い。社会活動家としては、むしろ優秀なのだと思う。

だが、だからこそ問われる。

その公共的信用の元本として使われている「アルピニスト」とは何なのか。

アルピニストという肩書を使うなら、その肩書がどのスタイルに支えられているのかを問われるべきである。七大陸最高峰というリスト消化なのか。清掃活動なのか。環境問題なのか。講演なのか。メディア露出なのか。公共性なのか。

どれなのか。

あるいは、それら全部をまとめたものが「アルピニスト野口健」なのか。

もしそうなら、それはアルピニズムではなく、アルピニストという記号の運用である。

ここに野口健のスタイルがある。

野口は、山で立つスタイルというより、山の外で立つスタイルを作った。山で獲得した記録と肩書を、社会活動、講演、メディア、公共性へ変換した。これはこれで一つのスタイルではある。だが、それはアルピニズムのスタイルというより、アルピニスト記号を公共的信用へ変換するスタイルである。

だから、野口はリング外ではない。

むしろ、リングに上げた上で、こう問うべきである。

野口健は、何のスタイルでアルピニストなのか。

服部文祥と対比すると、ここはさらに明瞭になる。

服部は、アルピニストを名乗らない。だが、彼のサバイバル登山には、山に対してフェアであろうとするスタイルがある。記録ではなく、態度がある。だから消費されにくい。

野口は、アルピニストを名乗る。だが、その元本にある七大陸最高峰は、リスト消化型の記録であり、更新され、消費される。その後に残るのは、山との関係というより、社会活動へ転用可能な肩書である。

この差は大きい。

もう一度言う。野口の社会活動そのものを否定しているのではない。むしろ、公共性へ接続する能力は評価してよい。クライミングで言えば、平山ユージがクライミングを競技やジム文化や公共性へ接続したことは、偉いことだと思う。公共化それ自体が悪いわけではない。

問題は、公共化の元本となるスタイルが何かである。

平山には、クライマーとしての圧倒的な実績がある。競技、外岩、開拓、ジム文化への接続。その公共化は、スタイルの強度に支えられている。

野口の場合はどうか。

七大陸最高峰というリスト消化型記録があり、それをメディア的に展開し、社会活動へ接続した。これはスタイルである。だが、アルピニズムの核心から見れば、そのスタイルはかなり浅い。消費されやすい。更新されやすい。肩書化されやすい。

だから、ぼくは野口健を、アルピニストとしてはワックだと思う。

ただし、ワックだから無意味だとは言わない。

ここは栗城と同じである。

栗城もワックだった。だが、栗城のワックさは、未知なき時代のアルピニズムが観客と感動へ接続されたときの一つの真実を露出させた。野口も同じである。野口のワックさは、アルピニストという肩書が公共的信用へ変換されるときの一つの真実を露出させている。

栗城は、感動消費のスタイルだった。

野口は、肩書公共化のスタイルである。

どちらも、正統なアルピニズムから見ればワックである。

だが、どちらも現代的には強い。

だからこそ批評しなければならない。

本物だけを語っていても、この時代のアルピニズムは見えない。平出だけを語っていても見えない。服部だけを語っていても見えない。栗城や野口のような、ワックだが強いスタイルを見なければならない。そこに、現代のスタイルウォーズのかなり嫌な部分が露出している。

栗城は、観客に接続した。

野口は、公共性に接続した。

服部は、山に対するフェアネスに接続した。

平出は、コアなアルピニズムのスタイルに接続した。

問題は、どの接続が立っているかである。どの接続が浅いかである。どの接続が消費されやすく、どの接続が消費されにくいかである。そして、その接続が、どんなリスクと責任に支えられているかである。

野口健は、何のスタイルでアルピニストなのか。

ぼくの答えはこうである。

野口健は、アルピニストという肩書を公共的信用へ変換するスタイルの人である。

それは現代的には強い。

だが、アルピニズムとしてはワックである。

8 ぼくのスタイル――ヒトリストとしての山スキー

ここまで、栗城史多、平出和也、服部文祥、野口健について書いてきた。

栗城は、観客に接続した。平出は、コアなアルピニズムのスタイルに接続した。服部は、山に対するフェアネスに接続した。野口は、アルピニストという肩書を公共的信用へ接続した。

では、ぼくはどこにいるのか。

もちろん、ぼくは平出ではない。服部でもない。山野井泰史でもない。世界的アルピニストでもなければ、登山界で名のある人間でもない。そこは最初に断っておく。ここから書くのは、有名登山家と自分を同列に置く話ではない。

だが、ロッキングチェア探偵として語るつもりもない。

ぼくも、自分の小さなリングでは、自分のスタイルを引き受けていた。

ぼくのスタイルは、ヒトリストだった。

ヒトリスト、というのは古いネットスラングめいた言い方である。一人で走る人。一人で滑る人。一人で行く人。ぼくはこの言葉を、オートバイライダーのkitaringさんの用法から借りている。ここでは、山スキーやスノーボードを、仲間やガイドや山岳会に依存せず、一人で組み立てる人間、という意味で使う。

山スキーやスノーボードは、普通は仲間とやる。山岳会、先輩後輩、ショップ、ガイド、常連グループ、そういう人間関係の中でルートを覚え、危険を覚え、経験を積んでいく。もちろん、それは合理的である。雪山で単独行動をするのは、基本的には危ない。

だが、ぼくはその人間関係を山に持ち込みたくなかった。

山へ行くために、人間関係を調整する。誰かの都合を待つ。誰かの判断に乗る。誰かの空気を読む。そういうものを、ぼくは山に持ち込みたくなかった。

だから、ぼくはヒトリストを選んだ。

ただし、最初から完全な孤立者だったわけではない。最初の山スキーは、かつての同僚に連れて行ってもらった。その同僚は当時、ぶなの会という山岳会に所属していた。

ここは誠実に書いておく。ぼくは山スキーの入口を、すべて自分ひとりで発明したわけではない。初回のルート選定もお任せだった。場所は、赤倉観光リゾートスキー場から入る妙高前山だった。初めてだから、当然手加減もしてもらった。

その後、別のぶなの会関係者ともTwitter経由でつながり、花見や飲み会やボルダリングジムで会う程度の関係はあった。つまり、ぼくは山岳会的な世界を完全に知らなかったわけではない。ネット以後の山岳文化にも触れていた。そこにいる人間たちの技術や経験を、軽く見ていたわけでもない。

しかし、ぼくはそこに入らなかった。

元々、山スキーに惹かれた背景には、新井裕己の活動への関心もあった。急峻な雪壁を滑る。登山と滑降を接続する。山を、登るだけでなく、滑って降りる対象として見る。そのスタイルに惹かれていた。だが、新井は亡くなった。ぼくが本格的にバックカントリーを始める前後のことだったと思う。

人は死ぬ。

それでも、山へ行く人間は行く。

ぼくも行った。ただし、ぼくは共同体の中へ入らなかった。師匠につくのでもなく、山岳会で積み上げるのでもなく、ガイドに連れて行ってもらうのでもなく、自分で調べ、自分で装備を選び、自分でルートを読み、自分で撤退を決めた。遭難論も、雪山のリスクマネジメントも、書籍や記録を読みながら自分で組み立てた。仲間の承認ではなく、自分の判断で山に入った。

当然、失敗もした。

春のかぐらで沢に落ち、下手をすればそのまま死んでいたかもしれないこともある。周囲に人がいる可能性もあると思ってホイッスルを吹いたが、何の役にも立たなかった。結局、持っていたシャベルなどを使い、自分ひとりで脱出した。

ここで大事なのは、ホイッスルが役に立たなかったことではない。

シャベルを持っていたことである。

ヒトリストは、一人で行く。だから、助けが来ない可能性を前提にしなければならない。もちろん、すべてを自力で解決できるわけではない。雪山で本当に壊れたら終わりである。だが、少なくとも、自分で処理できる範囲の失敗は、自分で処理できる装備と技術を持っていなければならない。

ぼくは沢に落ちた。

ホイッスルは無駄だった。

だが、シャベルはあった。

だから戻れた。

これがヒトリストである。

自由とは、助けてもらわなくてよいということではない。助けが来ない可能性を、自分の側で引き受けるということである。人間関係を山に持ち込まないなら、人間関係によって分散される判断責任も持ち込めない。全部、自分で引き受けるしかない。

剱岳ダイレクトルンゼもそうだった。

これは、その場の勢いで突っ込んだ山行ではない。GWに休みをつなげ、雷鳥沢キャンプ場に一週間ほど滞在した。もちろん、暇な長期滞在でもあった。だが、その暇の中で天候を見て、体力を戻し、下見をし、実行日を測った。

手続きも踏んでいる。少なくとも当時の剱岳周辺の積雪期登山では、登山届の提出と許可証の所持が必要だった。ぼくはそれもクリアしていた。登山届には過去の山行歴も書かされた。そこには、それなりのロングルートをすべてソロでやってきたことを書いた。

だから、ソロの登山届は受理された。

ここは大事である。ぼくは「誰にも止められなかったから勝手に行った」のではない。制度上の手続きを踏み、過去の山行歴も示し、その上でソロの山行として通した。山岳会に所属せず、ガイドも使わず、仲間も連れない。だが、それは単なる無手勝流ではない。自分の過去の山行歴、自分の技術、自分の準備、自分のリスク判断を、全部まとめて引き受けるということだった。

四日目には別ルートから下見をした。別山沢を滑り、剱沢を下部から登り返した。平蔵谷より下の剱沢はデブリだらけだった。シール登高はきつかった。だが、そこで分かったことがある。デブリの状態。剱沢を登り返す時間。自分のシール登高技術で、どれだけ時間を食うか。滑った後に戻れるのか。

つまり、ぼくは「滑れるか」だけを見ていたのではない。

滑った後、戻れるかまで見ていた。

五日目は軽めのルートにした。残っていたピークハントをさくっと終え、アクティブレストに当てた。完全休養ではない。だが、本番前に身体を壊すような動きでもない。山の中で動き続けながら、疲労を抜き、天候を見て、タイミングを測った。

そして六日目に、剱岳ダイレクトルンゼへ入った。

剱岳ダイレクトルンゼ滑走時のGPSログ

登りについては、ある程度誇っていいと思っている。スキーを担いだ状態で、カニのヨコバイのあたりまで上がった。前には一般登山のパーティがいた。パーティ登山は、一人が詰まると全体が詰まる。実際、そのパーティもそこで動きが鈍っていた。

ぼくは後ろで待っていたが、業を煮やした。

こちらはスキーを担いでいる。向こうは担いでいない。それでも、アイゼンとピッケルの処理ではこちらの方が速かった。登りにくい側から横に出て、そのパーティを抜いた。ごぼう抜き、と言っていい。

そこは誇っていい。

だが、問題はその後だった。

山頂に着く直前、ガスが出てきた。登ったはいい。しかし視界が悪くなる。ここで選択肢が分かれた。登ってきたルートを戻り、平蔵谷コルから平蔵谷を滑ることも考えた。だが、そのためにはカニのヨコバイをクライムダウンしなければならない。スキーを担いだ状態で、視界が悪くなりつつある中、そこを下り返す。それが本当に安全なのか。

もう一つの選択肢が、ダイレクトルンゼだった。

ダイレクトルンゼは実績のある滑降ルートである。もちろん簡単ではない。だが、滑られているルートではある。ならば、自分に滑れないわけがない。GPSもある。視界は悪い。だが、ルートを把握する手段はある。

そう判断して、ぼくはダイレクトルンゼへ入った。

美しい滑降ではなかった。完璧なラインでもない。ガスの中で、GPSを確認しながら、オンサイトで、不格好に降りた。プロの山岳映像のような、洗練された滑降ではなかった。

だから、ここで武勇伝にする気はない。

だが、それもリアルである。むしろ、そこがリアルである。スタイルとは、きれいに見えることではない。誰かに承認されることでもない。自分で選んだ条件を、自分で引き受けることだ。

ぼくの場合、それはヒトリストとして、自分で調べ、自分で下見し、自分で体力を計算し、自分で登り、自分で迷い、自分で判断し、自分で不格好に降り、自分で帰ることだった。

やれるならやってみろ、とは言っておく。

ここで言う「やれるなら」は、単に体力や根性の話ではない。むしろ、そこに行く前の段階から始まっている。

山の知識は、普通は共同体の中で得る。誰かに連れて行ってもらう。誰かに教えてもらう。先輩の背中を見る。危ない場所で怒られる。装備の選び方を覚える。雪の読み方を覚える。撤退の感覚を覚える。そういう蓄積は、山岳会や仲間やガイドの中で身体化されていく。

それは合理的である。

だが、ぼくはそこに乗らなかった。

ぼくは、知識を共同体から受け取るのではなく、書籍、記録、地図、天気図、山行報告、道具の情報を読み、自分で組み立てた。もちろん、完全な独学だったなどとは言わない。最初の一歩は人に連れて行ってもらった。ネット以後の山岳文化にも触れていた。だが、その後の基本姿勢は、自分で調べ、自分で試し、自分で失敗し、自分で修正することだった。

「見て体で覚えろ」という昭和的な徒弟制ではない。

頭は使った。かなり使った。

自分の身体能力、装備、ルート、天候、雪質、時間、帰還可能性を、頭で処理した。山スキーという身体的な遊びを、身体だけでなく、情報処理とリスク計算の対象として扱った。

だから、「やれるならやってみろ」というのは、単に剱岳を滑れるか、という話ではない。

共同体に乗らず、ガイドに乗らず、自分で知識を集め、自分で判断し、自分で失敗し、自分で戻る。その全体をやれるなら、やってみろ、という話である。

多分、できる人間はかなり少ない。というより、やろうとする人間自体が少ない。山スキーやスノーボードは、基本的には仲間とやるもの、ガイドに連れて行ってもらうものだからである。その文化を否定しているのではない。それはそれで合理的であり、安全でもある。

だが、ぼくは違うスタイルを選んだ。

人間関係を持ち込まない。自分で調べる。自分で判断する。自分で失敗する。自分で脱出する。自分で撤退する。自分で滑る。自分で帰る。

これがぼくのスタイルだ。

ただし、ここで勘違いしてはいけない。

スタイルを選ぶということは、死に近づくことではない。死に近づけばスタイルが立つわけではない。無謀であればリアルになるわけでもない。そんなものは、ただの馬鹿である。

スタイルを選ぶということは、何を削ったのかを理解することである。削ったものの分だけ、どこで補うのかを考えることである。仲間を削るなら、判断を増やす。ガイドを削るなら、下調べを増やす。人間関係を削るなら、装備と撤退判断を増やす。視界が悪くなるなら、GPSを使う。滑った後に戻る必要があるなら、下見をする。沢に落ちる可能性があるなら、シャベルを持つ。

媒介を減らすことだけがスタイルではない。

生きて帰るための媒介を選ぶことも、スタイルである。

ぼくはGPSを使った。シャベルも持っていた。登山届も出した。許可証も持った。下見もした。日程も組んだ。ピークハントをアクティブレストにした。つまり、何でも削ったわけではない。削ったのは、人間関係である。ガイドである。共同体の承認である。

その代わりに、自分で判断した。

これが、ぼくのスタイルだった。

だから、ぼくは栗城を外から笑って終わることはできない。栗城もまた、共同体から外れた人間だった。ただし、彼は観客へ大きく接続した。ぼくも、観客へまったく接続しなかったわけではない。POV映像も残していたし、そういう形式は早めに取り入れていた。自分の山行を記録し、見せることへの関心はあった。

だが、ぼくの山行は、観客を成立条件にはしていなかった。

そこが違う。

栗城は、観客の応援と感動を、自分のスタイルの中心に置いた。ぼくはそうではなかった。ぼくにとって中心にあったのは、観客ではなく、自分の判断だった。誰かに見せることはあっても、誰かに応援されるために山へ入ったわけではない。誰かの感動を燃料にしていたわけでもない。

ぼくは、自分の判断へ接続した。

ぼくは平出を神格化して終わることもできない。平出は本物だった。だが、本物のスタイルも人を死へ近づける。ぼくはそのスケールにはいない。だが、小さなスケールでは、自分のスタイルとリスクの関係を見てきた。

ぼくは服部のフェアネスを評価する。だが、ぼくは服部でもない。狩猟登山でもサバイバル登山でもない。

ぼくは野口の肩書公共化をワックだと思う。だが、ぼくもまた、自分の山行をこうして文章にしている。つまり、セルフボースティングしている。ここから完全に逃げる気はない。

何様かって、俺様だ。

ただし、俺様を名乗るなら、俺様のスタイルを示さなければならない。俺様のリスク管理を示さなければならない。俺様の失敗も示さなければならない。美しい滑降だけでなく、不格好な滑降も示さなければならない。登ったことだけでなく、沢に落ちたことも示さなければならない。

それが、ぼくにとっての誠実さである。

これがぼくのスタイルだ。

ヒトリストとして、自分で行き、自分で判断し、自分で失敗し、自分で戻る。

やるなら生きて戻れ。

その一線だけは、絶対に外してはいけない。

9 スタイルを磨け。リスクを計算しろ

ここまで書けば、最初の一文に戻ることができる。

栗城史多と平出和也は、同じリングにいた。

同格だった、という意味ではない。何度でも言う。栗城と平出は違う。技術も違う。実績も違う。登山界内部での評価も違う。平出和也は本物だった。栗城史多はワックだった。ここを混ぜる気はない。

だが、二人は同じ時代にいた。

未知が弱くなり、登頂そのものだけでは登山の意味が立たなくなった時代にいた。何を登ったかだけではなく、どう登ったかが問われる時代にいた。何を削り、何を残し、何に接続し、何を拒否するかが問われる時代にいた。

スタイルウォーズの時代にいた。

栗城は、観客に接続した。冒険の共有。否定の壁を越える。一歩を踏み出す勇気。彼は、アルピニズムを自己啓発と感動消費の回路へつないだ。そのスタイルはワックだった。だが、現代的には強かった。だからこそ、多くの人が応援した。だからこそ、多くの人が感動した。だからこそ、危うかった。

平出は、コアなアルピニズムのスタイルに接続した。未踏ルート。少人数。困難な壁。プロフェッショナルな記録。本物としてのスタイル。栗城とはまったく違う。だが、本物であることもまた、スタイルである。そして、本物のスタイルも人を死へ近づける。

服部は、山に対するフェアネスに接続した。名乗らないが、アルピニズム的である。記録ではなく、態度としてのスタイルを持っている。だから、彼のスタイルは消費されにくい。

野口は、アルピニストという肩書を公共的信用へ接続した。七大陸最高峰というピークハント型のリスト消化スタイルを元本にして、メディア、講演、環境活動、公共性へ接続した。社会活動家としての能力は評価できる。だが、アルピニズムとしてはワックである。

そして、ぼくはヒトリストを選んだ。

共同体に乗らない。ガイドに乗らない。人間関係を山に持ち込まない。自分で調べ、自分で判断し、自分で失敗し、自分で戻る。そのスタイルを選んだ。

全部、スタイルである。

問題は、どのスタイルが立っているかである。どのスタイルが浅いかである。どのスタイルが消費されやすいかである。どのスタイルがリスクを引き受けているかである。どのスタイルが、自分の削ったものの責任を負っているかである。

ここで、スタイルを単なる見た目だと思ってはいけない。

スタイルとは、何を削るかである。

酸素を削る。固定ロープを削る。人数を削る。ガイドを削る。共同体を削る。観客を削る。あるいは逆に、観客を入れる。映像を入れる。スポンサーを入れる。公共性を入れる。肩書を入れる。何を削り、何を入れるか。その選択がスタイルである。

だが、削ればよいわけではない。

ここが大事である。

削るだけなら、誰でもできる。ロープを外す。装備を減らす。仲間を減らす。情報を減らす。支援を減らす。だが、それだけではただ危なくなるだけである。削った分を、どこで補うのか。そこまで考えなければ、スタイルではなく無謀である。

ロープを削るなら、ムーブの不確実性を削る。仲間を削るなら、判断力と装備を増やす。ガイドを削るなら、下調べを増やす。支援を削るなら、撤退判断を厳しくする。観客を入れるなら、観客の感動に自分の判断を乗っ取られない仕組みを持つ。映像を入れるなら、映像のために死へ近づいていないかを疑う。肩書を使うなら、その肩書を支えるスタイルを示す。

スタイルを磨くとは、そういうことである。

だから、栗城を笑って終わってはいけない。

栗城はワックだった。だが、そのワックさは、ぼくたちの時代のワックさでもあった。観客は彼から勇気をもらった。メディアは物語を作った。スポンサーは挑戦を支えた。本人もその物語を信じた。誰も単独犯ではない。栗城の死を、本人の能力不足だけに押し込めれば、見るべきものを見失う。

茶の間は有責である。

安全な場所から感動を消費し、勇気をもらい、挑戦を応援し、死んだら泣く。その無邪気さは、無罪ではない。死ぬ可能性のある行為を、自己啓発コンテンツとして消費することには責任がある。

だが、平出を神格化して終わってもいけない。

平出は本物だった。だが、本物は死なない、ということではない。本物も死ぬ。本物のスタイルも人を死へ近づける。本物が本物らしい山を選び、本物らしいルートを選び、本物らしい方法を選び続けるとき、そこにも重力がある。

その重力を見ないなら、平出への敬意は神話化に落ちる。

神話化は、感動消費の上品な形でしかない。

死者を悼むことと、死者を神話にすることは違う。哀悼は必要である。敬意も必要である。だが、哀悼と敬意の名の下に、具体的なスタイルとリスクの問題を見ないなら、それは結局、死を美しい物語に回収しているだけである。

山では人が死ぬ。

これは、抽象的な言葉ではない。

落ちる。埋まる。凍る。滑る。酸素が足りなくなる。判断が鈍る。時間が足りなくなる。戻れなくなる。助けが来ない。身体が壊れる。そこで死ぬ。

そこを飛ばしてはいけない。

死を大きな意味で包むな。

山に呼ばれた、などと言うな。

夢をありがとう、で終わるな。

本物のアルピニストだった、で終わるな。

死は、まず具体的な失敗である。事故である。判断である。条件である。ルートである。天候である。装備である。時間である。身体である。もちろん、外からは分からないことが多い。だからこそ、安易に裁いてはいけない。だが、安易に美化してもいけない。

スタイルを語るなら、リスクを語れ。

リスクを語るなら、スタイルを語れ。

どちらか片方だけでは足りない。

リスクだけを語るなら、すべては安全管理になる。危ないことはやめましょう。ガイドをつけましょう。ルールを守りましょう。そういう話になる。それはそれで必要である。だが、それだけならアルピニズムではない。管理された登山には、管理された登山の意味がある。観光には観光の意味がある。商業登山には商業登山の意味がある。だが、それをアルピニズムの核心と呼ぶ必要はない。

一方で、スタイルだけを語るなら、死は感動になる。無酸素。単独。未踏。フリーソロ。ヒトリスト。そういう言葉だけが踊り、具体的なリスクが消える。それはただのロマン主義である。あるいは、スピである。現実の身体、制度、装備、天候、撤退判断を飛ばして、大きな意味へ逃げること。それをぼくはスピると呼んできた。

アルピニズムは、簡単にスピる。

だからこそ、スピらせてはいけない。

山に大きな意味を見てもいい。生と死を考えてもいい。自分の限界を問うてもいい。だが、その前に、装備を見ろ。天気を見ろ。ルートを見ろ。時間を見ろ。雪を見ろ。身体を見ろ。撤退ラインを見ろ。下山可能性を見ろ。登った後に戻れるかを見ろ。

そこからしか、スタイルは始まらない。

ぼくは、アルピニズムを安全な趣味にしたいわけではない。

そんなものはつまらない。

だが、死ねばいいとも思わない。

死んだら終わりだ。

この一文は、いくら言っても言い過ぎではない。死んだら終わりだ。どんなに立ったスタイルでも、死んだら終わりだ。もちろん、死によって完成する物語はある。死んだからこそ神話になる人間もいる。だが、それは残された側の物語である。本人は死んでいる。

生きて帰れ。

これは、凡庸な安全標語ではない。アルピニズムの核心である。登ること、滑ること、削ること、拒否すること、賭けること。その全部は、生きて帰るという一点に接続していなければならない。

生きて帰ってこそ、スタイルは批評可能になる。

生きて帰ってこそ、次の山へ行ける。

生きて帰ってこそ、自分の失敗を語れる。

生きて帰ってこそ、自分のスタイルを磨ける。

だから、ぼくはこう言う。

スタイルを磨け。

リスクを計算しろ。

観客の感動に乗るな。

肩書に逃げるな。

本物という神話に逃げるな。

共同体の承認にも、共同体への反抗にも、どちらにも酔うな。

何を削ったのかを見ろ。

何で補ったのかを見ろ。

どこで撤退するのかを決めろ。

どう戻るのかを考えろ。

そして、行くなら行け。

やれるならやってみろ。

ただし、生きて戻れ。

Word up.

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