空き家から始まる、人生後半のキャリアデザイン #9〜葬儀の段取りと現実対応。淡々と進む「喪主の時間」〜
2024年9月30日の朝、私は東京の大学で授業開始の準備中でした。準備をしていたところへ、ヘルパーさんからの電話。「お母さんの様子がおかしい」と聞かされた瞬間、頭が真っ白になったのを今でも覚えています。宮城にいる母は、その日の早朝に息を引き取っていました。突然でした。
すぐに大学の授業はペアを組む先生にリリーフ役をお願いし、新幹線に飛び乗りました。多賀城の病院に到着したのは昼前。前日の松島観光のときと同じ表情のまま眠る母と対面し、静かに現実を受け止めるより他ありませんでした。
午後になると、すぐに現実的な作業が始まりました。病院から搬送先を決めてほしいと言われ、父親のときにもお世話になった葬儀社へ連絡。一人っ子の私は、すべての判断と段取りを自分で決めていくしかありません。葬儀会館に母親ともに移り、担当者と祭壇、式の規模、日程、僧侶への連絡など一つひとつを詰めていきました。
参列は家族葬で10名程度。私の仕事の都合もあり、10月2日昼に通夜(昼に通夜とは違和感がありますが、諸般の事情により“通昼“になりました)、3日が告別式に決まりました。
打ち合わせが終わるころには夕方になっていましたが、ここで一度東京へ戻ります。着の身着のまま来たため準備が必要だったこと、急なことだったので東京の家族と打ち合わせの必要もありました。
この日の夜は取りあえず私のみ多賀城へ戻り、家族は翌10月1日の朝に多賀城で合流することになりました。自宅を夜に出て、最終の新幹線に飛び乗り、再び深夜の多賀城に戻りました。
翌日(10月1日)からは、役所の手続き、会場との確認、親戚への連絡、買い物など細々した対応が続きました。車を持たない私は、駅前にあるタイムズカーを何度も利用しました。こういうときに24時間いつでも使えるサービスのありがたさを実感します。
10月2日の夜には新宿で研修講師の仕事が入っていました。代役がいない個人事業主ゆえ、決まっている仕事は穴をあけることができません。10月2日昼の “通昼” を終えた後に一度東京へ戻り、19時〜21時のセミナーを終え、新幹線最終便でまた宮城へ戻る。
慌ただしい時間でしたが、それが現実でした。
そして10月3日。朝9時の出棺経から火葬、会場に戻っての午後からの告別式(地域にもよるかと思いますが、宮城では火葬後に式場で告別式という順番はよくあります)と淡々と一連の儀式は進みました。
すべてを終えたとき、ようやく「一区切り」が訪れた感覚がありました。
感傷に浸る余裕はほとんどなく、ただ段取りと移動に追われた数日間。けれど、これが私の「喪主としての時間」だったと、今では思います。
