見出し画像

「ガザとは何か」 岡 真理 著

#ガザ とは何か。
ガザ、それは巨大な #実験場 です。 
#イスラエル の最新式 #兵器 の性能を、実戦で実験するところ。大規模攻撃を仕掛ければ、 #世界 のニュースがそれを放映してくれる。ガザは、その兵器の性能を実演して見せるショーケースです。 #新兵器 の開発で用済みになってしまう古い兵器の在庫も一掃できる、ガザはそういう便利な場所です。
 ガザ、それは実験場です。
 百万人以上の #難民 たちを閉じ込めて、五十年以上も #占領下 に置き、さらに十六年以上完全封鎖して、 #食料 #水 #医薬品 も、辛うじて生きるのに精一杯という程度しか与えないでいたら、 #人間 はどうなるか、その #社会 はどうなるか、何が起こるのか、という実験です。 

#世界は何もしない  

 ガザは実験場です。
 二○○七年当時で百五十万人以上の人間を狭い場所に閉じ込めて、 #経済基盤 を破壊して、 #ライフライン は最低限しか供給せず、 #命 を繋ぐのがやっとという状況にとどめおいて、何年かに一度大規模に #殺戮 し、 #社会インフラ を破壊し、そういうことを十六年間続けた時、世界はこれに対してどうするのかという実験です。

そして、分かったこと──世界は何もしない

#ガザとは何か  


────
何もしない世界に先駆けて、 #日本 が #日本国憲法 に則って、明白な #憲法違反#戦力保持 )に該当する在日駐留 #米軍  には撤退を求め、同じく明白な憲法違反(戦力保持)に該当する現状の #自衛隊 は必要最小限の規模に縮小し、 #国連憲章 第7章第43条 #特別協定 に基づき #国連#兵力提供 し、 #国連安保理  が指揮する #国連軍 として、 #国際平和#安全 の維持に挺身せしめ、自国による戦力の保持と #武力行使  はこれを永久に放棄すると改めて #全世界 に向かって誓うなら、少なからぬ賛同国や追随国が現れぬとも限りません。

難しいこと(簡単なことであれば、とっくに実現しています)は重々承知のうえですが、国際連合設立(1945年)以来、これまで、この兵力提供協定を結んでいる国がないため、国連憲章第7章に基づく、国連安保理が指揮する国連軍が組織されたことが一度もない中で、 #平和憲法 を持つ日本が世界に先駆けて #国連軍創設 の端緒を開く意義はとても大きいはずです。
────

#ブトロスガリ #国連事務総長 #平和への課題 ( #AgendaForPeace )

────
明治20年(1887年) #中江兆民 著「 #三酔人経綸問答#太平洋戦争 敗戦より遥か昔に日本人の手によって、完全非武装中立平和思想が書かれていることを、いまこそもっと多くの日本人に知ってもらうべき時だと思います。

かつて日本#豪傑君暴論を実践し、完膚なきまでに叩きのめされたのち、70年以上にわたって #南海先生#専守防衛 論を建前としてきました。

唯一、 #洋学紳士君 の説く理想論非武装中立平和主義)だけがまだ試されていません。

それどころかまた凝りもせず豪傑君の過激思想に傾きそうな気配すら感じる昨今、「 #官僚たちの夏 」のモデル #佐橋滋 が書いた平和戦略も是非ご一読ください。
────


佐橋滋著「平和の戦略─実験国家への道」1973年 #毎日新聞 創刊百年記念事業として「 #日本の選択 」と題して全国から募集した論文の入選作

1973年毎日新聞社創刊百年記念事業「日本の選択」
佐橋滋著「平和の戦略ー実験国家への道」

引出される結論は、われわれは完全な非武装国家として国際場裡に立つこと以外に道はないということである。これは決して夢物語ではない。日本の憲法に書いてある字句の通りのことを、その希求する精神にそって現実に完全に実行しようというだけのことであって、全く新しい発想ではない。簡単にできることではないかも知れない。簡単にできることならもうできているはずであろう。難しい道だからこそ、また、だれかがいつかはやらなければならないことだから、われわれが先鞭をつけるべきだと思う。幸いにしてわれわれはわれわれの理想を明文化した憲法を持つ。この文言通りに実行する決意を持つことである。一切の武器を捨てて丸腰になったら、いつ無法に、理不尽に侵略を受けるかもしれないという危惧が頭をもたげてくるであろう。そういう事態は絶無であると断定することはできないであろう。その時はその時で仕方がないというのではない。しかしその時はもはや戦争ではない。相手が武器をもって攻め込んで来ても、こちらは武器を持たない。したがって戦いはないのであるから戦争ではない。相手の蹂躙に任すのである。乱暴な意見のように聞こえるかも知れないが、武器をもって戦った場合と、どちらの損害が大きいのだろうか。人命についても、物的施設にしても、議論の余地なく武器をもって戦う場合の方が大である。丸腰の人間が一億人も殺傷されるであろうか。物的施設が破壊されつくすだろうか。その前に反問したいのは何のために非武装の日本を相手国は攻撃するのであろうか。平和な国づくりに挺身して相手に迷惑をかけない日本人を地球上から抹殺しようと考えるものがいるであろうか。そして世界中の国がこの暴挙を拱手傍観しているだろうか。残るところは民族の名誉だけである。世界の人類の平和を希求して、自ら実験台になる、これほどの名誉がほかにあるだろうか。戦って死ぬだけが英雄であったり、勇気であるのではない。理想に挺身する姿が尊いのであり、武器をもって戦うよりはるかに勇気を必要とする。世界は決して見殺しにはしないであろう。これは他力本願の非武装とは本質的に異なる史上初めての実験であるという自負を持つべきものと考える。

1972年(昭和47年)にこんな本が毎日新聞社から発行されているのです。
2025年(令和7年)のいまこそ #民族 #名誉 にかけて日本が「完全な非武装国家として国際場裡に立つ」時ではないでしょうか。

日本の選択 毎日新聞社

2025年の毎日新聞社は52年前(1973年)の創刊百年記念事業をふりかえってみて、恥ずかしくはないのだろうか?

いいなと思ったら応援しよう!