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依存症からの回復は、きれいな物語ではなかった

毒親/機能不全家族育ち、吃音、ギャンブル依存症、うつ病、ひきこもり、発達障害。

これまで、いろいろな「生きづらさ」を抱えながら生きてきた。
自ら望んでそうなったわけではない。
ただ、人より生きる難易度の高い人生を歩んできたように思う。

どれも劇的に克服したわけではない。

正面から向き合い続けたものもあれば、経験の積み重ねや時間の経過によって少しずつ解決に向かったものもある。また、偶然が転機になったこともあった。

今ではそれらを意識せずに暮らせるようになっている。

これは、そんな「生きづらさ」と共に生きてきた記録である。

その過程や、今振り返って思うことを、マガジン「生きづらさと共に生きる」で書いていこうと思う。

今回は、その中でも「ギャンブル依存症」について書いていく。


依存症は、誰にでも起こりうる

依存症と聞くと、どこか遠い世界の話に聞こえる人は多いだろう。

しかし私は、依存症は決して特別な人だけがなる病気ではないと思っている。

寂しさ、退屈、生きづらさ、不安、喪失感、自己否定、孤独。

そうした感情は、誰もが人生のどこかで経験する。

問題は、それらを感じることではない。
それを一人で抱え込まなければならなくなったときだ。

人はそのつらさを和らげるために、何かに頼る

アルコール。
薬物。
ギャンブル。
スマホのSNS、ゲーム、動画。
買い物。
風俗や性行動。
恋愛。
仕事。
過食。

もちろん、それらを利用する人すべてが依存症になるわけではない。

ただ、つらさが深くなったとき、人は自分でも気づかないうちに、その痛みをまぎらわせてくれる何かにすがってしまうことがある

依存症は、決して遠い世界の話ではない。


私は、なぜ依存症になったのか?

これは、私が20代前半から30代手前、今からおよそ20年前の話だ。

振り返ると、私が依存症になった原因は、3つあったように思う。


高校を卒業し、18歳で上京した当初、私は友達がおらず、寂しい日々を送っていた。

地元には友達がたくさんいた。
だから上京して彼らと離れたことは、思っていた以上にこたえたのだと思う。

「孤独」と「寂しさ」は似た言葉である。
「孤独」とは状態を指し、「寂しさ」とは感情を指す。
一人でいるという状態そのものよりも、そこから滲み出てくる「寂しさ」という感情のほうが、私を深く苦しめた。

また、友達がいなかったぶん、退屈でもあった。

さらに、機能不全家族育ちや吃音という生きづらさも抱えていた。

そんなときに出会ったのがパチスロだった。


パチンコ屋でアルバイトをしていた私は、同僚に誘われて、初めてパチスロを打った。

気づけば、一人でも通うようになっていた。

こんな私にとって、パチンコ屋は絶好の居場所だった

明るく、人がいて、賑やか。
それでいて誰にも干渉されない。

当時のパチンコ屋には、「どんな人」でも受け入れてくれる、優しさと懐の深さがあった。

パチスロを打っている時だけは、寂しさも退屈も、生きづらさも忘れ、没頭することができた。
そして、図柄が揃うかもしれない瞬間の高鳴りもあった。

私は勝つためというより、そこに「居る」ために通っていたのだと思う。

今振り返ると、パチスロは私にとって心の痛みを和らげる「鎮痛剤」のような存在だった。


私は最終的にギャンブル依存症を発症し、多重債務者となり、借金を任意整理した。

こうなる前に、なぜ私は誰にも相談しなかったのだろう


当時、ギャンブルで多額の借金を作る人は、社会から「クズ」「ダメな人間」「意思の弱い人」と見られていた。

ギャンブル依存症が病気だということは、今でこそ知られているが、当時はほとんど知られていなかった。

そういう人は、病気を抱えた人ではなく、自己責任で失敗した人として扱われ、同情よりも非難を浴びた。


また、精神科に通う人も、社会から「危ない人」「社会不適合者」と見られていた。

通っていると口にすれば、今よりはるかに強い偏見を持たれた。
だから、その事実を隠す人は多かった。


ギャンブル依存症にせよ、精神科通院にせよ、今なら病気と理解されるものが、当時は人間性の問題として扱われた。

そのスティグマ(烙印・偏見)は、現代では想像しにくいほど強かったのだ。

このような時代背景もあり、誰かに相談し、助けを求めること自体が恥だった。


しかし、もしこうした時代背景がなくても、私は誰かに頼ることはなかっただろう。

というか、当時の私には、誰かに頼るという発想そのものがなかったのだ。

機能不全家族の記事でも書いたが、子どもは親との関係の中で「困ったら助けを求めていい」という感覚を学ぶ。

私には、それが十分に育っていなかった。

寂しい。苦しい。生きづらい。
ギャンブル依存症と多重債務を抱え、どうしていいかわからない。

そんな苦しみに、一人で耐えるしかなかった。

パチスロは、寂しさをまぎらわせる場所であり、退屈を埋める場所であり、生きづらさを忘れられる場所だった。

それと同時に、「誰にも頼らずに済む方法」でもあったのだ。


私が依存症になった原因を、あらためて整理してみる。

ひとつは、寂しさ退屈、そして生きづらさ
もうひとつは、助けを求めることが恥とされた、当時の時代背景
そして、「困ったら助けを求めていい」という感覚が、十分に育っていなかったこと

この3つが重なって、私は依存症になったのだと思う。


なぜ、パチスロをやめることができなかったのか?

借金が100万円に達した。

私は親に頭を下げ、借金を肩代わりしてもらった。
頭を下げているあいだ、親の顔を、まともに見られなかった。
時代背景も相まって、親に借金を告白することは、お金の問題というより、自分の価値そのものを否定される恐怖に近かった。

それでも私はやめられなかった。


再び借金を重ね、300万円多重債務者になった。

今思えば、あの頃がどん底だった。


借金そのものよりも、「二度としない」と決めたのにまた打ってしまうこと――そのことがつらかった。

今度こそやめる。
また打ってしまう。

今度こそやめる。
また打ってしまう。

その繰り返しだった。

私は少しずつ、自分を信じられなくなっていった

やめたいのにやめられない。
どうしてもやめられない。

その苦しさから、私は「いのちの電話」にかけたこともある。

当時の私は、自分が依存症という病気だとは知らず、ただ意志が弱いだけだと思い込み、やめられない自分を、情けないクズだと責めていた。


依存症には「底つき」という概念がある。
本人が「もう無理だ」と限界を感じる状態のことだ。
依存行動によって、仕事、人間関係、健康、お金、そして自尊心までもが損なわれ、人生が立ち行かなくなる。

私の底つきは、多重債務の任意整理だった。

弁護士に相談して借金を整理し、消費者金融からは一切借りられなくなった。

依存症からの回復というと、何か劇的な気づきがあり、やめられたように聞こえるかもしれない。

しかし私の場合、まず大きかったのは物理的な制約だった。

お金を借りられなくなった。
借金を重ねてまで打つことは、もうできなくなったのだ。

もちろん、それだけでやめられたわけではない。
手元にお金が入れば、パチスロへ行った。


何度もスリップした。

「スリップ」とは、回復の途上で、一時的に依存行動へ戻ってしまうことを指す。
たとえば、アルコール依存症の人が断酒を続けていても、ある日ふと飲んでしまう。
それがスリップだ。

それでも、借金ができなくなり、以前のようには打てなくなっていた。

依存の勢いは少しずつ衰え、私はようやく立ち止まることができたのだと思う。


なぜ、パチスロをやめることができたのか?

私がパチスロをやめられたのは、

消費者金融から一切借り入れができなくなったこと。
パチスロ台の基準が変わり、以前ほど魅力を感じなくなったこと。
本を読み、依存症のことを学び、少しずつ知識を得たこと。
少しずつ人を頼れるようになったこと。

物理的な制約環境の変化知識、そして人とのつながり
それらが重なった結果だった。

だから、回復はきれいな物語ではなかった
むしろ、泥臭く、地道で、行きつ戻りつの、つぎはぎだらけの物語だ。


もしも、あの頃……

今になって思う。

当時、

もし、ギャンブル依存症が病気だと知っていたら。
もし、あんな時代背景がなければ。
もし、友達や恋人に打ち明けられていたら。
もし、精神科や心療内科を頼れていたら。

私の人生は少し違ったものになっていたかもしれない。

今は、何でもAIに相談できるいい時代になった。
もし当時、こうしたテクノロジーがあったなら、私はもう少し早く助けを求められたかもしれない。


依存症が私に残したもの

依存症は、私に経済的にも、精神的にも、深い傷を負わせた。
死こそ免れたが、二度と立ち直れないところまで追い込まれた。
だから、依存症になってよかったとは、決して言わない言えない

それでも、ただ傷ついただけではなかった。
自分で自分をコントロールできなくなったとき、どうすればいいのか。
その答えを、私は依存症から学んだ。


あの頃の私は弱かった。
苦しみを一人で抱え込み、誰にも頼れなかった。

退屈をやり過ごす術も、持っていなかった。

だが、今は違う。

人を頼り、弱音を吐き、助けを求めることができる。
適切な相談先も知っている。
読書や、こうして文章を書くことで、一人の時間も楽しめるようになった。

弱さを抱えたまま、私は、強さとしなやかさを手にしたのだと思う。




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