アルフォートが溶けるから
一日中曇り空、最高気温三十三℃。
昨晩も今朝も天気予報がそう告げたから、油断した。
ランチどきに日差しが肌を突き刺した瞬間、めまいがした。
「晴れてきたね」
日傘の下でつばの広い帽子をかぶり、長袖長ズボンに身を包んだ妹が、力なく言う。その鼻の頭には玉が浮いている。
ぎゃーとかわーとか子供たちの歓声が、空に向けて響く。雲を吹き飛ばしているのかもしれない。普段は幼児向けのすべり台。でも夏休みシーズンのいま、すべり台のそこかしこから水が噴き出している。というより滝のごとく絶えず流れゆき、ゆるやかなすり鉢状の地面に溜まり、極浅のプールと化している。
夏休み三週間目。
だんだん生活にハリがなくなってきた息子を、この水遊び広場に連れ出した。水着に着替えると一目散に子供たちの集団に紛れ込み、走って騒いでずぶ濡れだ。
夫は仕事を休めない平日の昼間。荷物番の交代や場所取りダッシュに自信が持てず、専業主婦の妹も駆り出した。猛暑を通り越した酷暑のため、自宅から出ないで毎日を過ごしているらしい妹は、顔が赤らんでいる。
「お茶とかお菓子とかあるから好きに飲んで。やばかったらあっちの室内休憩所に行けばいいよ。いま十一時だから、十二時に一回、にっとも休憩させるから」
水陸両用の上下に着替えたわたしは、空いているベンチを見つけて妹を座らせると、保冷バッグを預けて水辺へと向かった。
もう小学一年生だから、バリバリ水遊び装備で子供の遊具に付きっきりでいなくたっていい。
でもひとりっ子だから家族で出かけたって、一緒にはしゃぐ「子供」はいない。
二つの気持ちで揺れ動き、今日、この水陸両用上下セットを身にまとっている。
水陸両用っぽい格好のお母さんはわりといた。が、彼女たちが手を振る先には、または追いかける背中は、息子と比べてまだぽてぽてしている。息子と似た年頃の子供たちは、どの子の親がどこにいるのかよくわからない。このすべり台周辺を囲むベンチやテーブル、張られたテントには、大人だけで佇む姿が多くある。大人はそれとなく見守り、子供だけで遊ばせていた。
それでもよそはよそ、うちはうち、だ。
夏休みとはいえ学童で過ごす日も多く、自宅にいても慌ただしい。
八月に何日かいただいた「夏休みを遊ぶための希望休」なのだから、わたしはバリバリ水遊び装備で、一年生の子供を追いかける。
高い位置の巨大バケツに水が溜まるのを目を細めて見上げ、いよいよひっくり返ったバケツの洗礼を頭から浴びる。大人にはずいぶんと冷たくて、少しの飛沫でも触れれば下腹部が引き締まった。……要するに、おトイレを思わせる震えがあった。
それでいて、全く水に触れない妹も気がかりだった。
気温は明らかに三十三℃を上回っている。日焼け対策のために全身布で覆った彼女を、屋外で一人にさせている。話し相手もおらず、しかも本来は子供嫌い。蝉があっちの木からこっちの木からじゅわじゅわ叫び続け、日差しを抜きにしても息苦しい。
誘ったのはこちらで、妹も断ることはできただろうけれど、どんな心境でここにいるのだろうか。
十五分おきくらいですべり台とベンチとを往復し、息子と妹、交互にご機嫌をうかがう。どちらも晴れやかだ。
なんだか少し前にもこんなことがあったな、と思い出す。
梅雨明け前から夏日を連発した七月上旬。
パートの休憩時間に、先輩からお菓子をもらった。
午後も頑張ろうねと微笑む先輩は、個包装のアルフォートを四つもくれた。
お礼を告げて、ひとつ食べた。リッチじゃない、青い袋のミルクチョコレート味。水色の袋のリッチミルクチョコレート味は息子の好物だから、持ち帰って、おやつに食べさせようと思った。
アルフォートをかばんに眠らせて、午後の業務をこなし、退勤する。ロッカールームにエアコンはないけれど、開けっぴろげのため、廊下からの冷風で暑くはない。
ぎらつく日差しの中を自家用車まで歩き、エンジンをつけた車内は三十五℃を越えていて、冷え切るより先に学校についた。
学童の迎えに降りる間、かばんを持って行こうか、置いていこうか。
普段は置いていく。でも今日はチョコレートが入っている。車なんて鉄の塊だ、そんな中にわずかな時間でも置き去りにしたら。いやしかし、外も大概な暑さだ。持って行った方が太陽に晒されるリスクも高い。
充満せずとも冷風が漂った車内を信じることにした。わずかな冷気の残り香が、アルフォートを守ってはくれないか。
小学校の片隅にある学童の呼び鈴を鳴らす。保護者は立ち入れない決まりだった。インターホン越しに先生に挨拶をして、名乗る。お待ちくださいと言われてから、いつもそこそこ待つけれど、よりにもよって、なかなか待った。
ようやく現れた息子は、先生の横でふくれっ面だ。先生とさようならをして二人きりになると、大声でうなだれる。
「いまからそうくんと人生ゲームするとこだったんだよ! せっかく準備したのに片付けなきゃいけなくて、もう、大変だったんだから! 車に人間全部刺したやつ全部外したんだからね!」
「それは……大変だったね。二人でやるなら人間全部はいらんのやないの。てか、そうくんと、別の子にそのまま貸してあげてもよかったんじゃない?」
「帰る子はお片付けなの! ぼくが帰るからそうくんも人生ゲームやめるんだって。ママ、なんで今日早くきたの!?」
いつもと同じ時間だけれど、急ぐ理由があるとすれば。
「……アルフォートが溶けるから?」
手をつなぐのを嫌がる息子は、額から鼻から首から汗をかき、全力でむくれている。すんなり歩いてくれない暑がりと、車内放置されているチョコレート。どちらもがわたしの焦りを呼んでいて、ひとり反復横跳びで気にかける。
そんな器用には生きられないのに、あっちにもこっちにもいい顔を見せていないと落ち着かない。
この日のアルフォートは帰宅後、冷蔵庫で三日ほど忘れられ、パキッとしたチョコレート菓子らしさで息子の腹に収まった。
そして今日の妹も真面目な顔で、
「暑いけど世の中みんな、こんなに外に出歩いてるんだね。たまには外気も吸わなきゃね。連れ出してくれてありがとう」
と、なにか噛み締めていた。
毎日が熱中症警戒アラート、食中毒注意報の酷暑の岐阜で、出歩かないことこそ正解な気もする。でも、出歩かないで、夫とのみ接する日々を送る妹には、妹なりの「そうじゃないのに落ち着かない」があるのかもしれない。妹は水陸両用上下セットをほしがって帰った。
「ママ、今日はお水すごく楽しかったね。ママは楽しかった?」
息子は寝るまでに同じ質問を何度も何度も何度も繰り返し、次はパパもと、夫を何度も何度も何度も誘った。
さて、そんな息子との鉄道ぶらり散歩エッセイ、
乗り子鉄と揺られ旅、本当にただ乗るだけでなんにもしてない旅エッセイですが、在庫まだあるので文学フリマ大阪にも持っていきます。
アルフォートが溶けるから、溶けたら形がなくなってしまうから、一番素敵な状態っていうのはとてもとても貴重なことなのだと思う。
いまの息子はすっかりポケモンとスター・ウォーズとかいけつゾロリで構成されていて、電車を見ても名前が思い出せなくなってしまった。でも全然ケロッとしたもので「まあいいや、わかんないものはもういいよ」と次の瞬間から遊び出す。プラレールをおもちゃ箱からごっそり追いやり「違うおもちゃをしまいたいから、いらないもの屋さん(買取店)に持ってって」とか言い放つ。
子供の興味は変わるのが早い。それが成長。アルフォートが溶けるから、熱風の中でも目は開けて、いまある形を味わいたい。
文学フリマ大阪
9/13(日)
・12:00〜17:00開催
(→16時には撤収予定です)
・インテックス大阪
(→〒559-0034
大阪府大阪市住之江区南港北1丁目5−102)
・入場無料
・ぎゅっとしょてん
・え-29
・エッセイ
