月寒あんぱん 株式会社ほんま 札幌市豊平区 和菓子なスクチャイ298 2026.06.09
和菓子なスクチャイ298 北海道 > 札幌市
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
月寒あんぱん 株式会社ほんま 札幌市豊平区



<序>
吾輩の北海道在住時から普通のスーパーマーケットの和菓子売り場で見ていて珍しくないお菓子で何度も美味しく食べていたが、北海道を離れて久しぶりに目にすると懐かしさが込み上げて買わずにおれないのだった。
ちなみに吾輩が今回これを買ったのは水戸にあるセイコーマートだ。
北海道のコンビニエンスストアが本州にもある貴重な場所で、ソフトカツゲンやガラナ飲料などの北海道ならではの飲食物が売っているのだ。
そこで吾輩はめざとく「月寒あんぱん」を見つけて買ったというわけだ。
それにしても当時から思っていたことだが、「あんぱん」と言いつつ見た感じは「まんじゅう」だ。
そしてぎっしり詰まったあんこが言いようもなく美味しいのだ。
1.月寒あんぱんの誕生
1.1.噂だけで作った「あんぱん」
明治7年(1874年)、東京の木村屋が売り出した「桜あんぱん」が大ヒットしているという噂が、遠く北海道の地にも届いた。
東京への対抗心と「想像」が生んだ奇跡
このお菓子のルーツは、明治時代初期にまで遡る。
当時、陸軍の売店で菓子を売っていた大沼甚三郎という人物が、「自分もあんぱんを作ってみたい」と一念発起した。
しかし、本物のレシピやパンの製法が分からなかった。
1.2.月餅のような仕上がり
そこで、手探りの「想像だけ」で作り上げたのが、イースト菌で膨らませるパンではなく、小麦粉の生地で小豆餡を包んで焼き上げる、まるで月餅(げっぺい)や饅頭のような独自の「あんぱん」だった。
1.3.軍隊での大ヒット
当時、月寒には道内最大の軍隊(陸軍歩兵第25連隊)が置かれており、厳しい訓練や肉体労働をこなす兵士たちにとって、お腹にたまるこの「甘くてずっしりしたあんぱん」は瞬く間に大人気となった。
2.株式会社ほんまの歴史
2.1.伝統を守り抜いた唯一の1軒
明治39年(1906年)創業
大沼氏からその独自の製法を伝授された一人、本間与三郎氏が月寒村で「大原屋本間商店」を創業したのが現在の「株式会社ほんま」の始まりだ。
激戦から唯一の生き残りへ
当時、月寒あんぱんの人気にあやかって地域には7〜10軒ほどの製造業者があり、競い合うように作られていた。
しかし、太平洋戦争中の物資不足により全店が休業に追い込まれ、生産は一時途絶えてしまった。
2.2.戦後の復活
戦後、砂糖や小豆の配給が再開されると、ほんま(大原屋本間商店)の1軒だけが「月寒の伝統の味を絶やしてはならない」と立ち上がり、見事に復活を遂げた。
3.歴史に名を残す「アンパン道路」
月寒あんぱんの歴史を語る上で、外せない有名なエピソードがある。
道路開削のご褒美
明治44年(1911年)、平岸から月寒へ抜ける新しい道路を造る際、陸軍の兵士たちと地元の住民が協力して厳しい工事を行った。
1日5個の支給
この時、当時の町(豊平町)が、労働に励む人々への労いと間食として、毎日1人につき5個の月寒あんぱんを配り続けた。
愛称が正式な歴史に
人々は感謝を込めて、完成したその道を「アンパン道路」と呼ぶようになり、現在でも札幌市豊平区にその名が刻まれ、記念碑が建てられている。
お菓子が道路の名前になった、日本でも非常に珍しい歴史を持っているのだ。
4.味わいの秘密と「ゴールデンカムイ」
吾輩がいつも「とても美味しい」と感じているその味は、北海道産の良質な小豆を昔ながらの製法でじっくり練り上げた「特製こしあん」によるものだ。
キレの良い甘さと香ばしい薄皮のバランスは120年近く経った今も全く色褪せていないとのことだ。
また、吾輩は漫画を読まないので詳しくないが、北海道を舞台にした大人気漫画『ゴールデンカムイ』の作中にも、明治末期の月寒の味として(当時の呼び名である「つきさっぷあんぱん」として)登場し、全国のファンから聖地巡礼のお供として再び大きな注目を浴びているとのことだ。
5.日持ちする歴史ある和菓子
月寒あんぱんは水分が少なくぎゅっと詰まっているため日持ちがするのも特徴だ。
「冷たい牛乳」や、香ばしさを引き立てる「熱いほうじ茶」を飲みながら食べると、中のこしあんが口の中でなめらかに溶け渡り、さらに美味しさが引き立つ。
札幌の開拓時代や兵士たちの活気に思いを馳せながら食べると、素朴な香ばしさがより一層深く感じられるものだ。
(おわり)
