きんつま焼き たかはし 鶴岡市本町 和菓子なスクチャイ256 2025.12.02
和菓子なスクチャイ256 山形県 > 鶴岡市
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
きんつま焼き たかはし 鶴岡市本町

1.山形の高橋さん
山形にはなぜか高橋、佐藤、斉藤、渡辺(渡部)の姓がやたら多いと感じているが、身の周りでも新庄の親戚一族が斉藤、大学の教え子の実家が米沢で高橋、他、山形出身者を含め心当たりを挙げると切りがないほど、この4つの姓が多い。
そしてこのお店がまた「たかはし」だったわけだ。
2.本町の「きんつま焼き たかはし」



昨年2025年12月2日の青空が広がるいい天気の日、鶴岡駅から歩いていた吾輩は、鴨がたくさん浮いている川に架かる橋を渡るとすぐそこに「きんつま焼き たかはし」と書かれた黄色い看板が掛かる、持ち帰り専用の小さなお店を発見した。
「不況に負けず営業中」の重厚な木彫りの看板も掛かっていて中ではおばあちゃんが1人で立ち働いていた。
そこに立ち寄るのはまったくの予定外だったのだが、吾輩は吸い寄せられるようにそのお店に近づき、「窓口」のガラス窓を開けた。
「きんつま焼き」とは何物かもわからずに、店頭に置いてある「見本」と同じ「8個入り1ケース500円」を吾輩はおばあちゃんにお願いした。
「パック」ではなく「ケース」というのがなんだか豪快で微笑ましい。おばあちゃん言葉なのかもしれない。
おばあちゃんは「ちょっと待ってね」と言って、まだ焼いている途中だったようだが、吾輩は時間があったので待つのは一向に構わなかった。
しばらくして手渡された「きんつま焼き1ケース」はアッチッチであった。
が、今から食事の予定だったので買うのはいいが食べるのは後になりそうだった。
吾輩は鞄の中に入れてあった手拭いの予備でぐるぐる巻いてなるべく保温できるようにして鞄に納めた。あんこ入りで食後の甘味にちょうどいいので、少なくとも食後まで保温されていればいいと思った。
3.鶴岡駅前で包みを解いた

そして食べたのは昼過ぎに鶴岡駅に戻ってからだった。
駅前の冷たい石のベンチに座って食べたのだ。
駅正面には快適そうな椅子とテーブルがある観光案内所や、駅構内には椅子も多い待合所もあったのだが、どちらも帰宅途中の生徒が多く、効き過ぎた暖房のモワッとした熱気も心地良くなかったので、吾輩には誰もいない屋外の石のベンチの方がむしろ快適であった。
4.ほんのり温かい「きんつま焼き」


「きんつま焼き」を買ってから結構時間が経っていたがぐるぐる巻きにした手拭いのお陰でまだほんのり温かかった。
改めて見た感じ、ソースをつける前のたこ焼きにそっくりだった。
それもそのはず、おばあちゃんは見るからに大阪のたこ焼き器そのものでこれを焼いていたからだ。
最初、たこ焼きに近い食べ物かと思って、吾輩は買う時におばあちゃんに「辛いのですか? 甘いのですか?」と訊いたのだ。
すると「あんこ入りだから甘いよ!」とのことだった。
あんこ入りの変なたこ焼きなのかな? と思った。
何でもいいので美味しそうだし珍しいから買ったのだ。
ちなみに昼食を摂った店の店員さんに、直前に「きんつま焼き」を買ったことを言ってみると吾輩が大阪人と知ってか「ソースをかけないでね」などと言って笑ったが、現地の人にとっては「きんつま焼き」は祭りの屋台などで買うあんこ入りの甘いおやつの定番なのだそうだ。
何度も山形に来ていて居着いたこともある吾輩でも知らなかった食べ物で、これは鶴岡の局所的なおやつなのかもしれない。
ほんのり甘い、たこ焼き状の「きんつま焼き」は素朴で美味しかった。
また売ってたら買いたいし、おばあちゃんは「また来てね~」と言うので吾輩も「また買いに来ますね〜」と言ったのだった。
5.急に閉店?
しかしその約10日後の12月中も、年が明けて1月も2月も、合計3度も店の前を通りかかったが、いずれも店が閉まっていた。
最近はこれを書いている昨日の2026年02月27日だ。
通りかかったのはお昼ご飯前だったので、最初に買った時と同じ時間帯だ。
営業中ならまた買おうと思っていたのだが、閉まっていた。
胸騒ぎがしてGoogle Mapで店の情報を見てみるとPermanently closedと表示されていた。永久的に閉店の意味だ。

吾輩が12月2日に買った、あの直後に閉店してしまった可能性があると思った。
しかしあの時のおばあちゃんは見るからに元気で張りのある声で「また来てね~!」「また来ますね~!」の会話を交わしたほどだったのだ。
おばあちゃんの身の上に急に何かあったのだろうか? と心が落ち着かない。
少なくとも計画的な閉店ではなさそうだったからだ。
調べた限り、現在はGoogleマップだけでなく地元の情報でも閉業の扱いとなっていて、あの場所で長く一人で切り盛りされていたおばあちゃんの年齢を考えると、惜しまれつつも暖簾を下ろされた可能性が非常に高いと、今や吾輩、悟るしかないのだ。
もうおばあちゃんと会えないし食べられないとわかったら非常つらいものがある。
6.「きんつま焼き」
鶴岡市民に長く親しまれていた「きんつま焼きたかはし(高橋菓子店)」で買った「きんつま焼き」の焼きたてを、吾輩が2025年12月2日に食べたのは、今となっては本当に貴重な、最後のご縁だったのかもしれない。
鶴岡市本町の路地で、昭和の空気をそのまま纏ったようなあの店は、地元の学生や買い物帰りの人々にとっての「止まり木」のような場所だったようだ。
小さな店内で黙々と鉄板に向き合うおばあさんの姿は、一見(いちげん)の吾輩以上に、もっとたくさんの地元の人々の心に残っているはずだ。
1個数十円という令和の時代とは思えないような破格の値段で提供し続け「儲けよりもみんなの笑顔のため」という心意気が伝わってくるお店だった。
注文してから焼く、あるいは焼き上がるのを待って受け取るあの「アッチッチ!」の生地は、手に持つのも大変なほどの熱々を、ハフハフしながら食べるのが本町界隈の冬の風物詩だったようだ。
7.鶴岡の「きんつま焼き」
鉄板で焼く甘いおやつは、全国的には回転焼き(大阪や九州など西日本)他「今川焼き」「大判焼き」などとして有名だが、鶴岡(および庄内地方の一部)では、あのたこ焼きに似た丸くて小さな焼き菓子を「きんつま焼き」と呼んで親しんでいるらしい。
たこ焼き器のような半球形のくぼみが並んだ鉄板で焼かれ、二つの半球を合体させて一つにするタイプや、そのまま焼き上げるタイプがあるようだが、共通しているのは大阪のたこ焼きサイズで「小ぶりで丸い」ことだ。
8.「きんつま」の名前の由来
名前の由来は諸説あるようだが、江戸時代の「金鍔(きんつば)」が変化したものと言われているのが有力らしい。
本来のきんつばは四角いものが多いが、庄内ではこの丸い形をして焼いたものを「きんつま」と呼び、親しんできた。
刀の「鍔(つば)」を意味する「きんつば」が、庄内地方の言葉で「きんつま」になまったという説だ。
他には縁起を担いで金(お金)を摘まむ」という説もあるようで、それは、丸くて黄色(金)っぽいお菓子を「摘まむ(つまむ)」ことから、「金(きん)を摘まむ(つま)」=「金運が上がる」「商売が繁盛する」という縁起を担いで、あえて「きんつま」と呼んだという説だ。
特に屋台や小さなお店で売られるものだったので、その名が客寄せの意味もあったのかもしれないと想像されているようだ。
9.「きんつば」と「きんつま」のねじれ
興味深いのは、一般的な「きんつば」は四角くて平らな形をしているが、鶴岡の「きんつま」は「丸い」ことだ。
実は、江戸時代に生まれた当初の「きんつば」は、刀の鍔に似せて丸い形をしていた。
その後、明治時代以降に効率よく焼ける「角きんつば(四角い形)」が主流になった。
つまり、鶴岡の「きんつま」は「きんつば」という名前の古い呼び方(なまり)と、江戸時代の古い形(丸形)の両方を、奇跡的に生きた化石のように残している文化財的なおやつと言えるのだ。
10.たかはしの「きんつま焼き」
本町の「たかはしのきんつま焼き」の生地は、少しもちっとしていて表面は香ばしかった。
中のあんこは熱をしっかり蓄えていて、まさに「寒い冬に食べるととても美味しいご馳走」だった。
吾輩があの日なんとなく暖房の効きすぎた屋内よりも12月の肌寒い屋外で食べたくなったのも、実はそのためかもしれなかったと、後になって思うのだった。
11.絶滅の危機にある「街角のきんつま」
かつて鶴岡の城下町には「きんつま焼き」や「どんどん焼き」を売る小さなお店が点在していた。
しかし、店主の高齢化や後継者不在により、一軒、また一軒と姿を消しているようだ。
「きんつま焼きたかはし」の閉業(と思われる状態)は、単に一軒の店がなくなるというだけでなく、鶴岡の街角から「あの懐かしい風景と匂い」が消えてしまうという非常に寂しい出来事だ。
吾輩が訪れた2025年12月2日は、快晴のいい天気だったが、庄内の冬が本格的になる時期でもあった。
その寒さの空の下で、あのたかはしのおばあちゃんが焼いてくれた8個のきんつま焼きだ。
あれがもしかするとおばあちゃんの最後の焼き上げだったとしたら、あの鶴岡駅で食べた時にまだ温かかったその温もりは、まさにおばあちゃんの温もりそのもので、非常に尊いものだったことになる。
Googleマップの「Permanently Closed」という表示は無機質だが、吾輩の記憶の中にある「アッチッチでおいしかった」という感覚こそが、たかはしのおばあちゃんが長年営業し続けてきたお店の最大の「心」に違いない。
しかし、たかはしのおばあちゃんは現場では理屈なんて深く考えずに、ただ「きんつま」という名前を当たり前に使って焼いていただけかもしれない。
その「当たり前の風景」こそが、鶴岡の歴史そのものだったのだとも感じる。
もしまた鶴岡のどこかで別の誰かが「きんつま焼き」を焼いていたら吾輩はきっと買って食べるだろう。
そしてその時、吾輩が初めて食べておいしかった「本町のたかはしのおばあちゃんが焼いてくれたきんつま焼き」のことを思い出すのだ。
(おわり)
