路芝(みちしば)風流堂 島根松江 和菓子なスクチャイ101 2025.09.03
和菓子なスクチャイ101 島根 > 松江
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
路芝(みちしば)風流堂 島根松江




1.路芝(みちしば)の歴史
「路芝」は、明治23年(1890年)創業の風流堂の創業者である内藤隆太郎によって、明治時代に考案された。
これは日本三大銘菓の一つ「山川」を風流堂二代目内藤隆平が大正7年(1918年)の不昧公の100年忌に合わせて復刻させる以前のことで、このことから「路芝」は風流堂の初期からあったお菓子であることがわかる。
2.「路芝」の意味
「路芝」の名前は茶室に至るまでの庭園、いわゆる露地に敷かれた苔むした芝生をイメージしてつけられたようだ。
松江藩7代藩主で茶人としても名高い松平治郷(不昧公)が好んだ茶の湯の世界観を表現しているのだ。
不昧公は、茶の湯を「侘び」や「寂び」の精神だけでなく、風雅な美しさも追求した。
風流堂の創業者は、その風雅な世界観を菓子で表現しようと「路芝」を生み出したといわれている。
3.見た目と食感




「路芝」はその名の通り苔むした芝生を思わせる独特な見た目と、繊細な味わいが特徴だ。
抹茶を練り込んだ求肥を餡で包んだ後に炒ったもち米を砕いて作られた「落とし粉」をまぶしている。
この粉が霜が降りた芝生のように見えるのだ。
そも中に抹茶のほろ苦さが効いたやわらかい求肥と上品な甘さの餡が層になっている。
繊細でほろほろと崩れるような落とし粉と、中のもちもちとした求肥が、口の中で独特の食感を生み出す。
一見きな粉を固めた「すはま(洲浜)」に見えるので、初めて食べる吾輩は口に入れる瞬間まで吾輩自身の好物である「すはま」を思い描いていた。
そして、実際の食感と味は「すはま」のようであり、想像はあながち間違っていないと思った。
しかし詳しく言うと「すはま」より弾力を感じて食べる楽しさは「すはま」より上だった。
後で原材料の構成を見たが、なるほど求肥がその役目をしているのだとわかった。
ただ単にきな粉を水飴で固めた「すはま」よりも手をかけているお菓子だということだ。
形は棒状でもいいところをわざわざ180度捻ってある。
ほんの少し混ざって見えている白ごまが芳ばしい風味を醸し出している。
そして囓ると断面はより鮮やかな緑色を呈していた。
緑色は抹茶の風味だ。
かすかにほろ苦い抹茶が餡の甘さを引き立て全体を上品な味わいに仕上げていた。
インゲン豆、求肥、白ごま、抹茶のハーモニーだ。
甘すぎず、それぞれの素材の持ち味が生きていると感じ、吾輩は多いに気に入った。
「路芝」は松江の茶の湯文化を象徴するお菓子として観光客用のお土産や贈答品などとしてだけでなく、松江の地元の人々の日々の暮らしにも深く根ざしているとのことだ。
4.購入場所と値段
島根県アンテナショップ「日比谷しまね館」で購入。
路芝6本入り税込605円。
5.(参考)風流堂の創業と商売替えから現在まで
風流堂は明治23年(1890年)に創業した。
創業者の内藤竹次郎は、もともと「伊野屋」という屋号で、新潟と松江間の回船業を営んでいた。
しかし陸運の発達により海運業が衰退したため商売替えを決意し、松江の地で菓子屋を始めた。
松江は、江戸時代後期の大名茶人松平治郷(不昧公)によって育まれた茶の湯文化が深く根付いた町だ。
風流堂の創業者はこの文化に触発され、京菓子や江戸菓子の職人たちを招き様々な技術や味を学んだ。
現在まで創業以来130年以上にわたり風流堂は伝統的な製法を守りながらも地元の良質な素材を使い職人が手作業で一つひとつ丁寧に新しい時代に合わせた菓子作りにも挑戦し続けている。
「山川」「路芝」「朝汐」といった伝統銘菓に加え、最近では一口サイズの羊羹や地元のコーヒー店やチョコレート店とコラボした商品も開発するなど若い世代にも和菓子の魅力を伝えている。
風流堂の和菓子作りの情熱に歴史そのものが、松江の茶の湯文化をこれまで支え発展させてきたと言えるのだ。
(おわり)
