黄精飴 長沢屋 盛岡市 和菓子なスクチャイ198 2025.12.03
和菓子なスクチャイ198 岩手県 > 盛岡市
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
黄精飴 長沢屋 盛岡市

1.個数限定入荷「黄精飴」





盛岡駅ビルの名産品売り場で1箱だけ残っていて、そこには「黄精飴・個数限定入荷品」のようなメモ書きが貼ってあった。
そのスペースは結構広いにも関わらず、黄精飴と書いてある箱がぽつんと1箱だけ置いてあったのだ。
その黄精飴も製造元の長沢屋も初めて聞く名前で吾輩は単に「個数限定入荷品」のメモ書きに心が動いているだけなのであった。
なかなかミーハー気質ということがバレているわけだが、これはきっと名だたる和菓子で普段はなかなか手に入らない希少なお菓子かもしれない、と思い、吾輩の手はその最後の一個の箱を持ちかけていた。
しかし、だ。
「最後の一個」や「限定入荷」などという言葉は、単なる購買者のココロを揺さぶる売らんかなの営業戦略かもしれない・・・との疑り深い考えも湧き出し、持っていた箱をまた置いた。
それを2、3度繰り返したので、吾輩の本質はミーハー気質であり優柔不断であることが露呈しまくった瞬間だった。
2.脳細胞が吠えた
売値は税込1,000円だった。
「値段で買うかどうか決めるのか?」との吾輩の脳の一部の正義の味方細胞が吠えた。
「そんなことではいい和菓子とは出会えんぞなもし!」
吾輩の正義感逞しい一群の脳細胞は、なぜか松山弁を使うのであった。
これは吾輩の師匠が松山であったためか、あるいは過去に夏目漱石の坊ちゃんを読んだためか、おそらくその両方の影響が潜んでいる可能性があった。
ともかく、だ。
そうこうしてるうちに他の客が手を伸ばして買ってしまう恐れがある。
で、売れてしまって買えなくなってからネットでそのお菓子の情報を見て、「黄精飴」は実は千年に一度出会えるか出会えないかの幻の希少菓子で、一般人にはまず手に入らない高貴で貴重なものだとわかったりするのだ。
「そうなるとどうする? 人生の汚点をまた残すことになるぞなもし」
吾輩の正義の脳細胞がそうほざいた。
それにしても「また」とはなんだ「また」とは! 失礼にもほどがある。
吾輩は人生で汚点を付けまくっているのか!?
当たってるので反論の余地なく、吾輩は正義の脳細胞に折れて1,000円を出して購入することに決定した。
3.箱を開けた



新幹線に乗ってからさっそく箱を開けた。
そもそも黄精飴の黄精とは何ぞなもし?
説明の紙片が入っていていたが、それによると黄精とは「不老長寿の漢方薬」のようだ。
ネットで「黄精」を森田検索したところ、「精力剤」の効能もあるらしい。
うなぎパイと同じような夜のお菓子かもしれない。
この時点で吾輩は買って良かった! と思った。(理由はよくわからないが)
4.食べた

ひと口サイズの包みが整列していて食べやすい大きさで、「効きそうな」文字面で「黄精飴 盛岡 長沢屋」と書いてあった。(写真参照)
触るとフニャフニャで中には求肥のような柔らかい褐色の餅が入っていた。
飴と書いてあるので固いと思っていたが、フニャフニャの餅なのだ。
むしろ食べやすくていいと思った。
口含むと甘い餅菓子で、ほのかに漢方系の香りがするような気がした。
この独特なほのかな漢方の香りが吾輩の精力を高め寿命を伸ばすのだ!
そう思えばなかなか希少で珍しいお菓子で、買って良かったと心の底から思うのだった。
5.長沢屋
盛岡市の神明町に店を構える「黄精飴本舗 長沢屋(ながさわや)」は、江戸時代から続く盛岡を代表する老舗の一軒だ。
創業は嘉永6年(1853年)でペリーが黒船で来航した年と同じという非常に長い歴史を持っている。
初代は近江国(現在の滋賀県)長沢村出身の重吉という人物で、盛岡城下でも特に格式が高い「鍛冶町」に飴屋を開いたのが始まりだ。
店頭には明治の三筆の一人、巌谷一六(滋賀県出身)が書いた看板が掲げられている。
同郷の縁で、彼が長沢屋の黄精飴を大変気に入り、筆を振るったというエピソードが残っているとのことだ。
6.伝統銘菓「黄精飴」
「飴」という名前だが、実際には非常に柔らかい「求肥」のお菓子である。
黄精とはユリ科の多年草である「アマドコロ」などの地下茎を煎じたエキスのことで、漢方では滋養強壮や不老長寿の薬草として珍重されてきたようだ。
漢方由来と聞くと苦そうなイメージがあるが実際には苦味はなく、上品で優しい甘さが特徴だ。
もちもちとした求肥の質感と表面にまぶされた粉(片栗粉など)のすべすべとした手触りが心地よく、ほのかに野草の香りが漂う。
なぜ「飴」と呼ぶのかと言うと、江戸時代当時はお菓子全般を総じて「飴」と呼んでいた名残だと言われている。
7.歴史の深さを感じるエピソード
黄精の抽出方法が盛岡に伝わったのは江戸時代初期で、当時、対馬藩から南部藩へ身柄を預けられた学僧である方長老(ほうちょうろう)が伝えたと言われている。
その200年後、長沢屋の初代がこの技術を活かしてお菓子として完成させた。
その滋養の高さと上品な味わいから明治天皇や大正天皇にも献上された実績を持つ格式高いお菓子なのだ。
包装紙には南部地方に伝わる伝統的な絵暦「南部絵暦(なんぶえごよみ)」がデザインされており、盛岡らしい情緒を感じさせる。
保存料を極力使わない伝統的な製法のため、製造から数日が最も柔らかく美味しい状態で、その後もし少し硬くなっても素朴な風味は変わらない。
8.長沢屋本店
吾輩は駅で買ったので長沢屋の本店には行ってないが、本店は盛岡駄菓子の「関口屋」のすぐ近くの静かな裏通りにあるとのことだ。
一見すると普通の住宅のように見えるが、一歩入ると老舗の静謐な空気が流れているそうな。
9.盛岡の食文化遺産のひとつ
盛岡には多くの素晴らしい和菓子店があるが、この「黄精飴」の独創的な食感と歴史はまさに盛岡の食文化遺産とも言える存在だ。
そういうことで、このたび買える時に買って食べることができて良かった。
食べてから、身体も思いなしか以前よりも元気溌溂になった気分である。
「黄精」が効いているのかもしれない。
美味しくて「効く」のであれば大歓迎だ。
いちいち吾輩の生意気な脳細胞にあれこれ文句を言われる前に、また見つけたら速やかに買うつもりだ。
(おわり)
