見返りを求めてしまう心の仕組み~瞑想で気づいた60代からの「分離の幻想」と愛の学び
誰かにしてあげたのに、何も返ってこない。
そんなとき、心の奥に小さな痛みが生まれたことはありませんか?
感謝されたいわけではないのに、悲しみや怒りが湧く。
瞑想を続けるうちに、その感情の正体が少しずつ見えてきました。
それは“分離”という幻想の中で、自分の価値を外に求めていた私の声でした。
○○してあげたのに。
こんなにやっているのに。
…に続くのは、
「なんで一言もないんだろう?」という思い。
その一言は。。。「ありがとう」
でも決して言葉が欲しいのではなくて、
感謝されていないことに悲しみを感じて、
相手に怒りを感じてしまう。
見返りを求めている。
そう、理屈ではわかっているのです。
でも、どうしても悲しみや怒りが湧く。
その根っこはいったい何だろう?
瞑想を続ける中で、ようやく気づいたのです。
私は、見返りを得ることで
「自分の価値を感じたい」と思っていました。
それこそが“分離の意識”でした。
他人はいない。
私と思う“わたし”も、本当はいない。
分離しているからこそ、比較して、
「わたしの方が」「わたしには」と
価値を確かめようとしてしまう。
けれど、もともと私たちは
ひとつの意識体。
完全な存在であることが腑に落ちていれば、
そんなふうに思う必要すらない。
そうなんです…
分離しているわたしに気づかせてくれるために、
あえて現れてくれる相手がいる。
その人は、愛のメッセンジャーでした。
「ありがとう」と言われなかった悲しみも、
「どうしてわかってくれないの」という怒りも、
すべては、愛を思い出すためのサイン。
そう気づいた瞬間、
胸の奥で何かがすっと溶けていきました。
見返りを求める私も、
悲しむ私も、責める私も、
すべてはひとつの私の中にある優しい光。
いまはそのすべてを、
ただやさしく見つめてあげたいと思っています。
