自分だと思っていたエゴの声は、恐怖から守ろうとしていた声だった
いまいる場所の中で、
なんとなく息苦しい。
でも、
「何が苦しいの?」 と聞かれると、
うまく説明できない。
そんな感覚を、
抱えたことはないでしょうか。
私は最近、
職場の同僚との関係の変化をきっかけに、
自分の中にあった
「ある前提」に気づき始めています。
それは、
「変わろうとすると叩かれる」
という前提でした。
私は昔から、
田舎が嫌いでした。
もちろん、
自然や風土、
守ったほうがいいものもたくさんある。
でも、
私が苦しかったのは、
「変わろうとする人」を、
無意識に引き戻そうとする空気でした。
浮かないように。
出過ぎないように。
みんなと同じでいるように。
変わろうとすると、
空気が変わる。
距離を置かれる。
噂される。
笑われる。
直接何か言われなくても、
「なんか変わったよね」
という視線が飛んでくる。
だから私は、
ずっと【出過ぎないように】
生きてきたんだと思います。
「出る杭は打たれる」
と言うけれど、
「打たれないためには、 出過ぎればいい」
「出過ぎた杭は打たれない」
そんな話を、
成功者の言葉として聞くことがあります。
でも、
本当に突き抜けられる人なんて、
ほんの一部。
私は、そうでした。
まだ、
怖いもの知らずだった頃に、
何度も叩かれて、
傷ついて、
怖くて、
もう二度と、
こんな思いはしたくない。
そうやって、
染みついた恐怖から、
私は、
無意識に決めていたのだと思います。
「出過ぎないようにしよう」
「嫌われないようにしよう」
「波風を立てないようにしよう」
と。
出過ぎないように生きてきた
田舎での記憶が、
いつの間にか職場のデスクでも、
私の背中を丸めさせていたのかもしれません。
誰かに叩かれないよう、
噂にならないよう、
無意識に、
同僚の機嫌を伺うことで、
自分を守ろうとしていたようです。
でも、
違和感が、 もう抑えられなくなった。
そして、
現実として、 関係が変わった。
いま、
その同僚とは、 ほぼ話していません。
以前の私なら、
耐えられなかったと思います。
周りから何か言われる。
責められる。
居場所がなくなる。
そんなふうに、
本気で思っていたから。
だから、
同僚と何も話していないことで、
何か言われるんじゃないか…と、
ずっと身構えていました。
でも実際には、
いまのところ、
何も言われていません。
もちろん、
みんな気づいていると思う。
でも、
何も起きていない。
「この緊張感は、
いったい何だったんだろう?」
と、
少し肩透かしみたいな気持ちでいます。
あんなに怖がっていたのに。
「叩かれる」 と思っていたのに。
もしかしたら私は、
【まだ起きていない未来】
に、 ずっと怯えていたのかもしれない。
そんなことを、
最近思い始めています。
もちろん、
恐怖が消えたわけじゃない。
でも今は、
「あぁ、怖かったんだな」 と、
その声と少し距離を取れるようになった。
そうやって叫んでいたのは、
「自分そのもの」ではなく、
私を恐怖から守ろうとしていた
「エゴの声」だったのかもしれません。
だから今は、
恐れていても大丈夫なんだと思う。
怖がっている声がある。
でも、
それを見つめている私も、
ちゃんといるから。
それがいま、
不安になっても
大丈夫と思える安心の素になっています。
もし今、
言葉にできない息苦しさや、
閉塞感の中で、
「本当はどうしたいのか」
わからなくなっている方がいたら。
私は今、
書いて、
言葉にして、
自分と対話することで、
少しずつ、
「自分の声」 を取り戻す練習をしています。
その時間を、
必要な方とご一緒できたらと思っています。
また、
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いつでも受け取りに来てください。

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