記事タイトル じぶんの癇癪持ちが 禅 的に? 精神修養てきにおち着くか ためしてみたかった
2010ねん から だった ( 2011311から 日本はかわっちまった! ) 原発作業員になって 国のために死ね! しか 就職先が なくなったのは
インターネットでなにかをやれば 殺し 殺害予告 爆破予告 犯罪予告 プライバシーなんて なかった 無法地帯 だった
そこに ヒカキン ヒカキンたちが現れたのは 地獄に仏 だった
若者には なかなか つたわりにくいかもしれないけど 彼の 存在 が いかにスーパーで 救いになったか かおを張れる わけだ インターネットで それで あれだけ おもしろく 楽しい ぼくは ありえないやつが現れたな・・・ と おもったね😅
ヒカキン 加藤純一の 槍持ちとして 働けたとおもう 楽しかった
若きときに 冷静さがあれば なかった 鋭くあれば かっこいい と おもっていた
ちがった チームワークの 縁 がなさすぎたのか???
セルフィッシュ より セルフーレス である
この セルフィッシュ より セルフーレス というところまで それを言えるところまで来られた 幸せ だ
そういや他人の文章なんて 興味はない じぶんの内省をするだけで 精一杯だった 小説家志望の友だちはいるけど ぼくは文章で飯を食おうとおもった事はない ( 乙武さんがスポーツライターを やっていたね )
よのなか カオスでめちゃくちゃだ この4ねんかん じぶんの癇癪持ちが ド を越えて それでも 殺人をせずに 生きられた
ラッキー も あったとおもう
ああ
禅
じぶんの 禅的姿勢が通用するか 試してやろうじゃん なめやがって!
という感じ だ
ぼくは じぶんの日々生活 じぶんの暮らし = 社会利他献身貢献 という事を 信じている
