自分の素晴らしさに気づいてますか 嫌われる勇気
ぼくは わりかし最近 攻めていたとおもうのです じぶん の やり方だけど 世のなかに隙間をつくっていた こういう行為が 献身的になりすぎてしまう ぼくはそして 勝手なヒーロー像を作られる人間じゃない というか なんで 人は 憎しみと許諾が裏返しなのか
ただ人は 憎まれる というだけでは 動きが取れなくなってしまう 友達 が いてくれて・・・ だ 理解者がいてくれて ありがたい事だ
かつては外でも変わった行動をするものはリンチ てきとうに足首に紐を通して窓から身投げする そういう行為を少年少女じだいに トラウマとしてすりつける おどし として そうしたら誰も逆らわなくなるだろう
ヒカキン達のおかげでだいぶネットはラクになったけど むかしは 外も内もおなじだった
勝負をするとピリッと痛みがはいる それが人の為になりすぎていても 人の為と書いて 偽り か
ぼくは ミヒャエル・エンデのモモ カシオペイア🐢のように ゆっくりゆっくり じぶんの暮らしを立てたい
志茂田景樹先生が おっしゃっていた ゆっくりゆっくり じぶんのやり方でやっていこう 好きな事をやっていこう あなたは十分人に気をつかって生きているよ と
ぼくは 嫌われてもいいじゃないか 勘ちがいされてもいいじゃないか
ぼくは 人の為には十分やったよ と おもうのだ
じぶんの日々生活=社会利他献身貢献 これでいい のだ
だいたい 鬱病 双極性しょうがいからもどって来ているだけ すごいのだから

1日のエネルギーは使い切りでいきたい
なりたくて 鬱病になる人はいないし 双極性障害なんて難儀だ
そう攻めすぎて背負うこむかたちになるから 苦しいのだ
そこで じぶん としてやって 嫌われたっていいじゃないか 勘ちがいされたっていいじゃないか
過去を払しょくするという意味でも ちゃんとしたい
毎日を生きれる事は切実だし 主張 自由
ピリッと行動すると ひらいてくるけど 言われるのも自由言うのも自由 というか 人のために動きすぎる事はない
ぼくのような人間は毎日の切実さだけがある ちゃんとしない過去にもどってしまいそうで・・・
ピリッと痛みがはしる行動に 無理やりにでも動かないといけない いつも会えないじぶんがいる のだけど 人のために と やりすぎてはいけない
ある程度つっぱって生きないと 生きる気力はでてこないのではないか? なんだかよのなかが自然とするという事がなくなった 動物たちの方が岸前としているきがしてくる

