無と休
この文章は、私の頭の中がテーマです。
大きな海の波の上で、空の色を静かに眺めていたい。
(無)はなにもない状態をさします。
何もないから何にも産まれない。動かない。そのまま。
無は全てに共通する空間みたいなもの。
禅の瞑想でよく(無)を意識するというイメージありますね。
空海が言った、
色即是空
空即是色
というものがあります。
色は全ての物象のことです。対して、空はエネルギーや、気、分子、のような見えないものと捉える。
それがイコールで結ばれて、全ては同じものだといいます。
仏教ではもう一つ、因果、因縁というものがあります。
全ては因(はじまり)があり→縁(繋がり)から発生した→果(今)があります。
色即是空と繋げると、
雷で木の枝が海に落ち、流木となり波が運んでいく、いずれその流木も分解されて完全に姿を消すが、その分子がめぐりめぐって、今世では海の珊瑚になっているかもしれない。
消えた先は(空)なので、また何かの因縁で新しい現象(色)に戻ることがあるといった感じです。
この世界観では、まるで無というものは無いという感じがしますね。
これは私の頭の中なので、そこまでで解釈すると
無はその先にあるような気配があります。
色即是空も、因縁も全ては動いている。
しかし、動きが止まれば何処にいるのか。
そういえば、意識がなくなれば、(無)になったような気がします。
人は眠っているうちは意識がない。
そう思うと(無)をいつも感じているかもしれないですね。
眠りから醒めて活動が始まる。
その起きるプロセスの中で夢が出てくるのかもしれません。
そして、醒めなければ、死(無)ともいえる。
ただ、(無)とは無いものであるならば、
無の上で全ての動いている物事があるという事。
私はその動き中で静かに休みをとって、
大きな海の波の上で、空の色を静かに眺めていたい。
と思ったりします。
