好きだから続けられない、という矛盾
若手教員が辞めていく、という話を聞くたびに、
どこか釈然としないものが残る。
「仕事がきつい」「給料が安い」
そういう声は確かに聞こえてくる。
でも、それだけじゃないと思っていた。
数字だけ先に置いておく。
若手教員の早期離職は、
この10年で3.8倍になった。
東京都では、新採教員の4.9%が
1年以内に職を離れている。
約7割は小学校の先生たちだ。
この数字を見て
「根性がない」と言う人がいる。
でも、そうは思わない。
好きなのに、続けられない
ある学校の若手の先生が、
こんなことを言っていた、
という話がある。
「子どもと向き合う時間は好きなんです。
でも、5年後の自分が
想像できなくて」
嫌いだから辞めるんじゃない。
好きなのに、
続けていく絵が描けないから辞める。
この違いは小さいようで、
対処の仕方がまったく変わってくる。
やりがいは見取り図にならない
「やりがいのある仕事です」
教員採用の場でよく聞く言葉だ。
それは本当だと思う。
子どもの表情が変わる瞬間、
クラスがひとつになる日、
そういう手触りのある喜びが
確かにある。
でも、やりがいだけでは
人は残れない。
やりがいは、
5年後の見取り図にはならない。
構造が違う
民間企業だって先は見えないでしょ、
という声はわかる。
でも構造が違う。
民間だって楽ではない。
閉塞感はどこにでもある。
でも、転職市場という「外」に
接続する道が制度的に開かれている。
職種を変える、部署を変える、
会社を変える、独立する。
「このまま」以外の選択肢が
少なくとも見えている。
教員は違う。
異動先は基本的に
同じ職種の別の学校だ。
指導主事や大学院派遣という道も
制度としてはある。
でもそれは一部のルートであって、
多くの若手にとって
「現実的な選択肢」としては
見えていない。
やりがいの先に、何もない。
壁というよりは、天井だ。
見上げると、そこで終わっている。
業務3分類の限界
教育新聞が伝えた記事には、
「業務3分類の徹底」
という話が出てくる。
教員がやる仕事、
教員でなくてもできる仕事、
そもそも誰もやらなくていい仕事。
この3つに分けて整理しよう、
という提案だ。
方向性としては正しいと思う。
業務量が減れば、
体力的には楽になる。
でも、「先が見えない」という感覚は、
業務量の問題だけではない気がする。
仕事が減っても、
5年後の自分が描けない構造は
変わらない。
疲労と閉塞感は、別の問題だ。
やりがいが縛りになるとき
「やりがいを前面に出して採用する」
という仕組みが、
じつは人を縛る道具に
なっている可能性がある。
やりがいがあるから、
きつくても我慢できるでしょ。
その構造に、若い人たちが気づいている。
気づいた上で、辞めていく。
これは「根性論の問題」じゃない。
やりがいが縛りになっている、という話だ。
どっちも一理ある、で止まらない
もうひとつ、
正直に言っておきたいことがある。
「でも、やりがいのある仕事が
あるだけいい」
という見方も、
完全には否定できない。
世の中には、
やりがいすら感じにくい仕事もある。
教員は、少なくとも
その手触りがある職業だ。
どちらの見方にも一理ある。
でも「どっちも一理ある」で
終わらせると、
10年で3.8倍という数字の前で
黙ってしまう。
問題は
「やりがいがあるかどうか」ではなく、
「やりがいの先に何があるか」を、
誰も用意していない、という話だ。
「5年後の自分が想像できない」
という声は、弱音じゃないと思う。
それは、かなり冷静な現状認識だ。
想像できないのは、
想像力が足りないからではなく、
想像できるような未来が
設計されていないからかもしれない。
だとしたら、変えるべきは何で、
誰が変えられるのか。
それがまだ、
よく見えていない。
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