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gift#2/レッドワインの鍵と春と彼女の

レッドアイを注文したはずなのに、運ばれて来たのは赤ワインだった。
ああー・・・と思いながら、黙ってグラスを持ち上げてひと口飲んだ。

レッドアイ、レッドワイ、レッドワイン、なるほどねー

てなるか!ここ日本の居酒屋なのに!

次、ホワイトアイって言ったら白ワインが出て来るのかな。連れがぼそりとそう呟いて、くくくと笑いがこみあがって来た。

こういう時、お店に申し出て交換してもらうなんてことはしない。赤ワインも好きだし、飲むし、これを言ったらこの赤ワインは捨てられちゃうんだとしたらもったいないし、飲むし、次またレッドアイ頼めばいいだけだし、ちょっと大きめの声としっかりした発音で。発音?

母国なのにうまく注文が通じないとき、自分のアイデンティティが迷子になったような気分になる。足元の影が地面から剝離して風に乗ってひゅん!と飛んでいってしまいそうな心もとない感覚。

もう単純に心が折れそうになるのよ。と同時に何もかもどうでもよくなる。酔ってるときは特に。まぁ、赤ワインもおいしいですから。黙って飲めばよし。

お店をあとにすると、春の夜の新鮮な空気が体をすいと撫でて少し高くなっていた体温と酔いを連れ去っていった。先週末に満開となった桜は葉桜に移りはじめてもう純粋なピンクを保っていない。

ちょうど1年前の今日、友人の死を報せる電話があった。
いつもはLINEで連絡して来るので、滅多にかかってこない彼女の電話番号が液晶画面に表れたとき、嫌な予感がしたのだ。

電話の相手は、彼女の娘だった。
彼女が妊娠したとき、娘が産まれた後の新居にお邪魔したとき、一緒に茅ヶ崎の海岸やディズニーシーへ行ったとき、からゆうに十数年経っていたので、初めてまともに会話をしたのがその電話となった。

「あの、こんばんは、Rです。母が、その、○日に亡くなりました」

私はそのとき新宿にいて、ルミネ1を背にして西新宿1丁目の交差点を見ながらその言葉を聞いたのだが、木曜日の夜の新宿の人通りや行き交う車や光を放つビルに囲まれているはずなのに、そのすべてを急に認識できなくなった。なんだか半透明の細長い箱に立ったまますっぽりと入れられてしまったような感覚に襲われた。

彼女は長い間、病気を患っていた。とそのとき初めて知った。

一緒にディズニーシーへ行ったあの日からずっと会う機会がなくて、それでも毎年お互いの誕生日にはプレゼントを贈りあって年賀状もかかさずやりとりをしていた。娘の成長も、毎年聞いていた。だけど肝心な、結構かなり大事なことを彼女は打ち明けないどころか1ミリも悟られることなく旅立って行ったのだ。

言ってくれよー・・・、というのが正直な最初の気持ちだった。
でも、どんどん衰弱していく自分の姿を見られたくなかったのかも知れない。気丈な人だったから。いつも強くてまぶしかった。

今思うと、あのパワフルさ、凄まじい行動力、迷いのなさ、生き急いでいたんだ。とわかってしまう。

彼女にとっては、私に病気のことを打ち明けて一緒に泣く時間すらも惜しかったんだろうか。とにかく体が言うことをきかなくなる前に、全力で楽しんで笑って当たり前のしあわせを、ただ感じていたかったんだろうか。

彼女は夫と娘に「自分がいなくなったらやっておいて欲しいことリスト」を託していて、必ず連絡をして欲しい人の一覧のなかに私の名前があったそうだ。

「実は、明後日がお通夜なんですが連絡先がなかなか見つけられなくて、こんなぎりぎりのご連絡になってしまったんです」

娘、私の記憶だと最後に会った2~3歳で止まってんだけど、すごいちゃんとしゃべってくれるじゃん・・・
私は脳内での面影と耳に入って来る言葉のギャップにますます混乱して、こんな若いのに母親にもう二度と会えなくて、悲しむ暇もないうえにほぼ初対面に近い人にこんなつらいことを言うためだけに電話をかけなくちゃならないなんて、なんなんだ、なんでこんなことになるんだ、という何に対してかまったくわからない怒りのような感情が全身をぐるぐると渦まいてしまい、

「いいんです、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。
ちょっと急で、お葬式には伺えないかも知れないですが、必ず会いに行きます」

様々なものをこらえて低くなってしまった声でそう伝えるしかなかった。

「さっきあなたが赤ワイン飲んでたときに思い出したんだけどね」

歩きながら突然連れが言った。
あ、今言うのね、と思いながら「うん、何?」と聞くと

「ワイン、たぶん赤ワインに限られるのかな。開けたてのワインに数秒つければ何年か熟成したときの味に変わるっていう、ワインの鍵って名前の専用ツールがあるんだって」

へええ、そんな夢のようなアイテムがこの世界に存在しているのか。しかし発明した人も相当だな。

「鍵っていう名前の通り小さいスプーンくらいのサイズの角張った金属製の棒らしいんだけど、それがあれば飲みづらかったワインがすぐに飲みやすい味に変化して楽しめるっていう、うそみたいな」

何それ、魔法?ね、うそかもね・・・とふたりでへらへらと笑った。

その鍵を心臓に突き立てたら、このうまく説明できない重たい気持ちも少しはましになるのかな。
一体どれくらいの間ひたしておけば、どこにもひっかからず五臓六腑になじんでくれるのかな。
なにも納得していない。理解が追い付く気がしない。でも時間をかけて振り返ってあれやこれや思いを巡らせるくらいまでは、できるようになったよ。