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第7話:「トップが象徴の国、それが日本!」

陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感7

◽️鎌倉・室町に見える
天皇という「象徴の位置」【後編】


南北朝時代では、
天皇が二人に分かれた。

しかし、
どちらか一方を
「天皇ではない」として消す判断はなかった。

争われていたのは、
天皇という存在そのものではなく、
「どちらが正しい天皇か」だった。



このとき、
政治の主導権を握ったのが
**足利尊氏**である。

尊氏は、
後醍醐天皇と対立しながらも、
天皇という存在を不要だとは考えなかった。

尊氏が否定したのは、
「天皇が直接政治を行うこと」であって、
「天皇がいること」ではない。



天皇が政治をすれば、
判断は絶対になり、
修正や失敗が許されなくなる。

それは、
武士の現実には合わなかった。

だが同時に、
天皇がいない政治も、
尊氏には考えられなかった。



だから尊氏は、
自分が天皇になる道を選ばなかった。

代わりに、
征夷大将軍として
政治の責任を引き受ける立場に立った。

政治の失敗や混乱は、
自分が引き受ける。
だが、
天皇という存在は
政治の外側に残す。

それが、
尊氏の選んだ形だった。



もし天皇が、
単なる権力の座だったなら、
どちらかが勝った時点で、
もう一方は切り捨てられていただろう。

だが、そうはならなかった。



天皇は、
政治の勝ち負けの外側に置かれた存在だった。

だからこそ、
天皇が二人に分かれるという
異常な状態は生まれても、
天皇を消すという選択は取られなかった。



室町時代になると、
この感覚はさらに露骨になる。

天皇がいて、
将軍がいて、
守護大名がいる。

正統性は揺れ、
権力は分散し、
混乱は続いた。

それでも、
天皇という存在そのものを
消そうとする発想は出てこない。



むしろ日本人は、
混乱すればするほど、
天皇に触れすぎないようにしていた
ようにも見える。

前に出しすぎると息苦しくなり、
遠ざけすぎると不安になる。

だから、
そっと真ん中に置いた。



天皇は、
判断を代行する存在ではなかった。

正しさを叫ぶ存在でもない。

それでも、
「ここまでは大丈夫だ」と
感じさせる境界線のような役割を
果たしていた。



院政は、
その感覚をよく表している。

天皇が政治に関与した時代はあった。
だがそれは、
天皇という立場のままでは
政治がやりにくかったからだ。

政治には、
負けや修正が必要だ。

しかし天皇は、
負けてはいけない存在だった。

だから政治をするために、
いったんその立場を降り、
別の位置が作られた。

天皇という存在を、
傷つけないための回り道だった。



ここまで見てくると、
日本の「中央」とは、
命令を出す場所ではなく、
物事が「公になる」ために
そっと通る場所だったことが分かる。

天皇は、
その中央に置かれた存在だった。

支配の頂点ではなく、
日本人が安心して世界を続けるための存在。



だから、
天皇は長く続いた。

強かったからでも、
絶対だったからでもない。

日本人が、
雑に扱えなかったからだ。



天皇に対する日本人の感情は、
熱狂でも、信仰でもない。

「なくしてはいけないものを、
自分たちが守っている」
という感覚に近い。

だから、
利用されることはあっても、
壊されることはなかった。



平安から始まったこの距離感は、
鎌倉で形になり、
南北朝の混乱をくぐり抜け、
室町で定着していった。

年号を覚えなくても、
日本人の感覚として、
一本につながっている。



歴史は、
答えを教えてくれるものではない。

日本人が、
何を壊さずに守ってきたのかを
そっと映すものだ。

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