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第2話:「商人が教えてくれた“外との距離の測り方”

――日本史の裏側」陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感2

貿易編

■「外」が、ゆっくり日常に入り込んだ時代

日本の歴史を見ていると、「外」との関係は突然変わるのではなく、少しずつ滲むように始まっていることが分かる。
信長の時代に外来文化が一気に流れ込んだように見えるが、その前段階として、すでに日本は「外」と日常的に接触していた。

その象徴が、貿易である。

■外は、最初から「敵」ではなかった

平安時代以降、日本は内側の文化を育ててきたが、同時に外との接触を完全に断っていたわけではない。
宋や明との交易は続き、港町を中心に、人・物・情報が行き来していた。

とくに博多や堺のような港町では、

・海外の品が流れ
・異国の価値観が入り
・商人たちが力を持つ

という、中央とは少し違う空気が生まれていた。

ここで重要なのは、この段階の「外」は、恐怖の対象ではなかったという点である。
むしろ、

外は、新しく、儲かり、刺激的なもの

として受け取られていた。

これは、閉じたコミュニティに急に新しい人や流行が入ってきたときの感覚に近い。
平成ギャル的に言えば、
「ちょっと怖いが、面白そう」「ノリが良ければアリ」
くらいの距離感である。

■貿易は、価値観を揺らす

貿易がもたらしたのは、物資だけではない。
それまでの日本社会では当たり前だった価値観も、少しずつ揺さぶられていく。

・身分より金
・血筋より実力
・前例より結果

こうした感覚は、武士や貴族の論理とは相性が悪かった。

特に商人の存在は、日本社会にとって異質だった。
武力を持たず、血筋もなく、それでも力を持つ。

これは、日本が長く大切にしてきた「内側の秩序」とは異なる論理だった。

■「外の論理」が入るということ

貿易によって、日本は少しずつ「外の論理」に触れていく。

・契約
・損得
・合理性
・数値

空気や前例ではなく、結果で判断する考え方である。

だが、この論理は便利であると同時に、危うさも持っていた。
なぜなら、日本社会は長く「空気」でバランスを取ってきたからだ。

しかし外の論理は、日本の空気を読まない。

■内が揺れると、人は拠り所を求める

貿易によって外の価値観が入り、
戦乱が続き、
社会の前提が揺らいでいく。

こうした不安定さの中で、人々は
「どう考えればいいのか」
「何を基準にすればいいのか」を
探し始めた。

外が入り、内が揺れたとき、
人は心の軸を求める。

その過程で、日本では
考え方そのもの――思想が、
少しずつ形を持ちはじめていく。

■次回予告


貿易は、日本に「外」を連れてきた。
そして外は、
日本の内側に揺れをもたらした。

次回は、
その揺れの中から
思想がどのように生まれていったのかを考える。


次回は、思想の広がりについて考える。
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