異次元目くらまし
よもぎさんに捧ぐ
目を開けた瞬間、世界はまだ回っていた。
異次元目潰し攻撃にはくれぐれも注意しないと。
夕方のグラウンド。遠くで吹奏楽部の音が少し外れている。砂の匂いと、甘いスポーツドリンクの匂いが混ざって、やけに濃い。
「朔ちゃーん。焦点は今どこに遊びにいってる?」
影が落ちる。
のぞきこんでいるのはやっぱ奴だった。
汗だくで、前髪がぺたっとキョンシーのお札みたいに額に張りついている。
「……ここはどこ……次元……?」
「ここはトットコドットコム。校庭ペンギン。地球気球。日本スッポンポン。」
ああ、そうだ。
ヘディングしようとして、思いきりジャンプしながらの、着地に失敗パイパイだったのだ。
空が奇妙に青いし。雲がひつまぶしすぎる。瞬きするたびに色チカチカ変わりやがる。
「俺の目、もしかしてアレか万華鏡」
「そんな馬鹿な、それはあまりここでは関係ない」
大ちゃんは笑いながら、朔ちゃんの肩を支えるどころかしゃぶりながら座らせる。
「立てるかい? シャルル・アズナヴール」
「どこしゃぶってんだよ……オレの肩はオレオじゃあるまいし」
「減るもんじゃないんだ。勝手にしゃぶしゃぶさせやがれ」
ペットボトルを渡される。ぬるい水が喉を通る。
「甘い……」
「それカステラのせい」
「え?」
気づけば、ひと口サイズのカステラが口に押し込まれていた。
ざらめが舌に当たる。甘い。むせる。
「げほっ……!」
「うん、かろうじて息はしている生存確認終了」
咳をしながら、朔ちゃんは地面に手をつく。足をつく。ツクツクボウシをつつく。
砂のざらざらが、はっきりわかる。
さっきまで、転んだのに痛くなかった。
今はちゃんと、ひりっとする。
視界の端で、校庭の隅のコスモスが揺れている。
あの中に飛びこんだら、ふわっとして、重さがなくなって、どうでもよくなる気がした。
ほんの一瞬だけ。
「朔ちゃん、戻ってこいや」
大ちゃんの声が、近くてあたたかい。
「戻るってどこに?」
「今ここ。オレオの前にきまってるだろ」
名前を言わされる。今日は何曜日か聞かれる。好きな給食のメニューも聞かれる。
「唐揚げ」
「よし、正常」
答えるたびに、世界の色が普通に戻っていく。
「ねえ大ちゃん」
「んー?」
「オレ、さっきコスモスの中で寝ようとしてた」
「花粉でくしゃみ止まらんよ」
「そういう意味じゃなくて」
言葉がうまくまとまらない。
消えたいとか、そんな大げさなことじゃない。ただ、重力から少しだけ解放されたい感じ。
でも今は、喉にざらめが残ってる。心臓がどきどきしてる。足の裏に砂がある。
全部、ちゃんとここ。
「朔ちゃん」
「うん?」
「異次元行く前に一言ちょうだい」
「なんで」
「迎えに行くから」
あっさり言う。
大ちゃんは立ち上がり、手を差し出す。
「帰ろ。夕焼けにゃんにゃんも終わっちゃうよ」
手を握る。生温たたかい。地面もちゃんと足応えを感じる。
二人で校門に向かって歩き出す。
「ねえ」
「なに」
「生きててよかったって、どんな時思う?」
大ちゃんは少し考えて、肩をすくめた。
「今」
「今?」
「朔ちゃんがバカなこと言って、歩けて、腹減ったーって言って、家帰れる時」
それだけ、と言いたげな顔。
でもそれは、十分すぎる答えだった。
風が首筋を撫でる。少し冷たい。
コスモスは遠くで揺れている。
あの中に飛びこまなくてよかった、と朔ちゃんは思う。
足の裏に砂があって、喉に甘さが残って、隣で大ちゃんがくだらないことを言っている。
それでいい。
「次のヘディング勝負、負けないから」
「まず地面に勝って」
「目標は高く」
「志は立派」
肩を小突き合って笑う。
心臓が、ちゃんと鳴っている。
世界は回っていない。
夕焼けはただの夕焼けにゃんにゃんで、カステラはただのカスヤロウで、大ちゃんの声はちゃんと届く距離にある。
何はなくても浪花節。
何があってもかつお節。
あってもなくても暇つぶし。
今、朔ちゃんはここにいる。
それだけで、悪くない。
