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『春を持てずに』 ー変人へ


よもぎさんに捧ぐ



君はよく言っていた。

「お前、ポケットにバケツ入れてボーッと歩いてるみてえ。」

意味はわからなかった。

でも褒め言葉じゃないことだけは、わかった。

僕は、どうでもいいことを大げさに考える人間だった。

雪が降りそうな朝もそうだ。

空が灰色になりはじめると、胸がざわつく。

「今日は何色だろうな。」

そう言ったら、君は眉を上げた。

「ただの天気で、何か意味を足さないで。」

あとで知った。

君にとって雪は、笑えない記憶とつながっていたらしい。

僕は知らなかった。

知らずに、ロマンを押しつけていた。

あのとき、ちゃんと聞けばよかった。

代わりに僕は、ホットケーキを焼こうとした。

卵を割り、砂糖を入れ、得意げにバニラを振って——

見事に焦がした。

「ホットケーキが、ほっとけないケーキに。」

自分で言って、自分で笑った。

君はため息をついた。

「語呂合わせで正当化しないで。」

焦げたところを削って、半分渡す。

「おいしい?」

「わけないだろ。……でもまあ、食べられるか。」

君はまともで、僕はずれていた。

でもその頃は、まだ笑いになる距離だった。

夏、高原へ行った。

二日目、僕は熱を出した。

あまりの熱さに舌も丸出し。

君は冷静に氷を替え、薬を飲ませ、体温を測った。

「三十八度。」

「ロマンポルシェの数字。」

「うるさい。」

回復した午後、庭を歩いた。

紫の花が咲いていた。

「これ、カルピス?」

「ルピナス。」

「似てる。」

「似てない。」

三回目で、君は呆れた顔をした。

「わざと?」

「半分は。」

半分は、本気だった。

風が吹いて、君の帽子が飛んだ。

「飛んで火にいる綿帽子!」

「意味わかんない。」

それでも、あの夏は並んで歩けた。

秋、庭に球根を植えた。

なぜか九個にこだわった。

「理由は?」

「いま考えてる。」

「植物に何を求めてるの。」

君は、深すぎる穴を浅く直した。

「これじゃ咲かない。」

「咲くよ。念で。」

「ユリ・ゲラーやめて。」

笑いながら、土のついた君の手を握った。

「冷たい。」

そのとき気づいた。

冷えていたのは、僕の手だった。

体温か、心か。

よくわからなかった。

夕方、唐突に言った。

「球根の後に求婚、結婚してみたりする?」

君は本気で驚いた。

「冗談で言わないで。」

「七割本気。」

「三割は?」

「マイケル・ジョーダン」

僕は笑ってごまかした。

本気の顔をする勇気が、少し足りなかった。

冬が戻ってきた。

空を見上げて、僕は聞いた。

「今日は何色?」

「灰色。」

「じゃあ、空でダンスしてるウサギは?」

君は少しだけ笑った。

「白。」

「違う。サーモンピンク。」

「もう。」

その「もう」は、怒りでも呆れでもなかった。

どこか遠くを見ている響きだった。

僕は気づかなかった。

君の中で、僕は

“恋人”から“変人”に

少しずつ変わっていたこと。

おもしろい人、から

疲れる人へ。

大きな喧嘩はなかった。

雪のように、静かに積もった。

小さなずれが。

言わなかった本音が。

笑いでごまかした本気が。

そして春を待つ前に、僕たちは終わった。

君は誠実で、ちゃんと未来を考える人だった。

僕は、語呂合わせでゴロゴロ寝ながら生きる人間。

ルピナスをカルピスと言い、

球根に念を送り、

空のウサギをバグらせる。

合わなくなるのは、自然だ。

たまに空が灰色になると、思い出す。

焦げた匂い。

九個の穴。

「三割はマイケル・ジョーダン」と笑った自分の顔。

君は今、きっとちゃんとした誰かと

春を迎えているだろう。

それでいい。

空を見上げるたび、聞こえる気がする。

「今日は何色?」

僕は答える。

灰色。

でもその向こうで、

サーモンピンクのウサギがバキバキに踊っている。

(BGMはなぜかポンポコリン)

もう君はいない。

春は来る。

来るけれど——

あの冬を一緒に越えた春だけは、

たぶん、もう来ない。

それが少し、淋しいだけの話。


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