『殴り殴られ詩人バラバラ』ep.50「季節にケンカ売った日」
よもぎさんに捧ぐ
「……ぬるいな」
鳴海清一は、湯気の立たない珈琲を一口すすり、眉間に皺を寄せた。
その視線の先、床には俺――朔也がひっくり返っている。
理由は特にない。強いて言うなら、起き上がる理由も特にないからだ。
「おい」
「はい」
「なんだその格好」
聞かれたので、改めて自分を見る。
ひらひら。うすうす。風通し抜群。
「夏ですから」
「秋だ」
即答だった。
「ではなぞなぞを出そう」
「またですか」
「“秋に夏の服を着て外に出ると、どうなる?”」
「えーと……目立つ?」
「不正解だが惜しい。正解は“浮く”だ」
たしかに浮いている気はする。主に周囲から。
「それに」
教授は俺をじっと見た。
「それ、女物だろう」
「違います!」
「そうか」
引きが早い。
教授は立ち上がると、部屋の隅にあったくたびれた花束を持ち上げた。
「次だ。早口言葉。“なまむぎなまごめなまたまご”」
「なまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまご……」
「遅い」
「理不尽だ!」
「では本題だ」
急に真面目な声になる。
「花を揃えろ」
「意味がわからないです」
「花は花だ。揃えろ」
いつものやつだ。
俺は頭の中で花を並べる。
ひまわり、コスモス、つばき、さくら――
しかしどれも、なぜか順番がぐちゃぐちゃだ。
咲いたと思えば枯れ、並べたはずが散らばる。
「できません」
「だろうな」
あっさり肯定された。
「ではもう一つ。さくらんぼだ」
「食べたいんですか」
「違う!」
教授は小さく舌打ちした。
「いいか。さくらんぼには時期がある」
「はあ」
「花にもある」
「はい」
「お前にはない」
「えっ」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
教授は机の引き出しから、妙にカラフルな水鉄砲を取り出した。
「……それ、どこで」
「拾った」
絶対嘘だ。
教授はそれを床に向け、引き金を引いた。
しょぼ、と音がした。
ぬるい水が、じわっと床に広がる。
「見ろ」
「はい」
「水は流れる」
「はい」
「止まれば腐る」
「はい」
「お前はどっちだ」
俺は少し考えた。
「……ぬるい方ですかね」
「帰れ」
即答だった。
――気づけば、外に放り出されていた。
寒い。
そして、目立つ。
いや、浮いている。
周りの学生たちは皆、きちんと外套を着ている。
俺だけが、季節を一つ取り残した格好で立っている。
「これは……なぞなぞの答えだな」
“浮く”
まさにそれだった。
走った。
理由はわからない。ただ、この場にいるのがまずいと感じた。
走るほどに、体が軽くなる。
いや、軽いというより、小さくなる。
声も変だ。
背後に、何か来る気配がする。
黒くて、大きくて、思い出したくないやつ。
「早口言葉だ……!」
なぜか口に出た。
「すもももももももものうちすもももももももものうち……!」
言えば逃げられる気がした。
無理だった。
「朔ちゃん!」
振り向くと、大ちゃんがいた。
「なんだその格好! 祭りか!?」
「違う! 季節だ!」
「季節!? 負けてるぞ!」
その通りだった。
大ちゃんは笑いながら外套を脱ぎ、俺にかけた。
あたたかい。
「なぞなぞ出すぞ」
「またか」
「“寒いときに一番大事なものは?”」
「外套」
「正解だ!」
簡単すぎる。
俺はその場に座り込んだ。
「助かった……」
「お前、あそこに住み着いたのかと思ったぞ」
「違う違う」
「ま、いいや。帰れ。風邪ひくど?」
また言われた。
今日はよく言われる日だ。
「なあ」
「ん?」
「今日、遊びに行ってもいいか?」
「いいぞ。夕方な!」
軽い返事だった。
大ちゃんはそのまま走っていった。
――夕方。
俺はまた、あの扉の前に立っていた。
ノックする。
「入れ」
中では鳴海清一が、同じようにぬるい珈琲を飲んでいた。
「なんだ」
「その……」
一瞬迷ってから言う。
「また遊びに来てもいいですか」
沈黙。
教授は額を押さえた。
「……困る」
「ですよね」
「非常に困る」
「はい」
さらに沈黙。
「だが」
顔を上げる。
「……お前の好きにしろ」
あきらめた声だった。
俺は少し笑った。
外に出ると、冷たい風が吹いていた。
門のそばに、季節外れのツツジが一輪、咲いている。
「なぞなぞだな」
俺は小さく呟いた。
「“季節外れに咲く花は、何をしている?”」
答えはまだ、わからない。
とりあえず――
「まあ、いっか」
外套の襟を引き上げて、俺は帰ることにした。
