『殴り殴られ詩人グウグウ』ep.91「腹減りヘリハラ椅子」
よもぎさんに捧ぐ
「おい、朔。」
昼飯を食ってから二時間しか経っていないというのに、俺の腹は遠慮というものを知らなかった。
ぐう。
「ほら見ろ。鳴った。」
縁側に胡座をかいて煙草をふかしている藤吉っつぁんが、いかにも面白そうに俺の腹を指差した。
「鳴ってねェ!」
ぐうううう。
「いや、二回目だね。」
「おや、今日はずいぶん景気がいいじゃないか。」
イヨさんが縁側の向こうで大根を干しながら笑っている。
最近の俺は腹が減る。
朝食っても減る。
昼食っても減る。
寝る前に減る。
夢の中でも減る。
成長期ってのは恐ろしい。
「朔ちゃん、さっき饅頭三つ食ったじゃないか。」
「あれは饅頭じゃねェ。空気だ。」
「空気はもっと腹にたまらねェよ。」
藤吉っつぁんが煙を吐いた。
「おめェなあ。腹が減った減った言ってるが、人生ってのは腹が減るから面白ェんだ。」
「なんだよ、その年寄りのありがたいようで全然ありがたくねェ話は。」
「腹が減らねェ人生なんざ、クリープを入れねェ珈琲みてェなもんだ。」
「意味がわかんねェ。」
「俺もわからん。」
藤吉っつぁんは胸を張った。
この男はたまに何を言っているのかわからなくなる。
いや、大抵わからない。
「そうだ、朔ちゃん。」
イヨさんが何かを思い出したように立ち上がった。
「物置の掃除を手伝ってくれないかい?」
「なんか食いもん出る?」
「掃除が終わったら焼き芋。」
「やる!」
現金なものだと藤吉っつぁんが笑う。
物置は相変わらず薄暗く、古い本やら壊れた下駄やらが積まれていた。
「おや?」
奥の方に妙なものが見える。
「なんだ、これ。」
古びた木の椅子だった。
いや、椅子というより、妙に腹が出ている。
丸っこい。
しかも背もたれのところがニヤリと笑っているようにも見える。
「腹だ。」
思わず口から出た。
「椅子だろ。」
「いや、腹だ。」
「椅子だ。」
「腹だ。」
「椅子だ。」
「どっちでもいいよ。」
イヨさんが呆れた顔をした。
「これね、昔じいさんが使ってた椅子なんだよ。」
「へえ。」
「ところがね。」
「ところが?」
「座ると腹が減る。」
「なんだその呪いのアイテム。」
「昔からそうなんだ。」
「嘘くせェ。」
「試してみな。」
俺は恐る恐る腰掛けた。
ぎぃ、と小さく椅子が鳴る。
その瞬間だった。
ぐううううううう。
「腹減った。」
「ほら。」
「いや早ェよ!」
五秒も経ってねェ!
「昔からこの椅子に座ると、みんな腹が減るんだ。」
「なんだよそれ。」
「不思議だろ?」
不思議どころの騒ぎじゃねェ。
「藤吉っつぁんも?」
「減った。」
「イヨさんも?」
「減った。」
「じいさんも?」
「減った。」
「なんなんだ、この椅子!」
藤吉っつぁんは煙草を咥えたまま、珍しく真面目な顔をした。
「まあな。腹が減るってのは、生きてるってことだからな。」
「は?」
「腹が減るってことは、明日も飯を食いたいってことだ。」
「……。」
「飯がうまいと思えるってのは、案外すげェことなんだぜ。」
俺は黙って椅子を見た。
腹が減る。
焼き芋が食いたい。
イヨさんの煮物が食いたい。
みんなで晩飯が食いたい。
「あー、もうダメだ。」
「なんだ。」
「腹減った。」
「そればっかりだな。」
「焼き芋まだか?」
「まだだよ。」
「死ぬ。」
「二時間くらいで死ぬな。」
「三十分だ。」
「早まったな。」
俺は物置から飛び出した。
「イヨさーん!飯!飯はまだか!」
「まだだよ!」
「いや~ん!バカ!」
「なんだい、それ。」
「腹減りはらヘラ!」
「新種の妖怪かい?」
「ヘラヘラりん!」
「意味がわからないよ。」
「お腹と背中がくっついちゃう!」
「くっつかないよ。」
「イヨさーん!なんとかしてくれー!」
縁側に寝転がると、障子越しの陽だまりがやけに気持ちいい。
腹は減っている。
だけど、不思議と幸せだった。
腹が減るってことは、今日を生きたってことだ。
そして、誰かと一緒に飯を食いたいと思えるってことだ。
「朔ちゃん。」
「なんだい。」
「焼き芋、焼けたよ。」
「女神!」
「さっきまでバカって言ってたじゃないか。」
「撤回する!」
藤吉っつぁんが腹を抱えて笑った。
物置の椅子は、今日も静かに軋んでいる。
たぶんあの椅子は、人の腹を減らすためにあるんじゃない。
人が、生きたいと思うためにあるのだ。
まあ、そんな難しいことはどうでもいい。
今の俺にとって一番大切なのは――。
「いただきます!」
焼き芋は、人生で一番うまかった。
