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紫布団レビューショーー『水辺のひつじ』ep.36


よもぎさんに捧ぐ

貝原瑞樹は、紫色の敷布を睨んでいた。
六月の湿気を吸い込みすぎたその敷布は、もはや布団ではない。
湿った思想だった。
部屋には薄暗い紫の気配が漂っている。
どこかで水滴が落ちた。
ぽちゃん。
その瞬間、瑞樹の頭の奥で何かが弾けた。
「あ、来る」
嫌な確信だった。
すると天井が七色に裂けた。
ラッパ。
太鼓。
笛。
紙吹雪。
そして大量のトビウオが空から降ってくる。
「ツッピィィィン!!」
全員スッピンだった。
妙に肌艶だけがいい。
飛魚たちは空中を滑空しながらタップダンスを始める。
♪ツッピン ツッピン
♪素顔で上等
♪化粧を落とせば
♪だいたい魚〜!
「うるせえ!!」
瑞樹が叫ぶ。
一匹の巨大トビウオが床へ降り立った。
蝶ネクタイ。
エナメル靴。
無意味に司会者っぽい。
「こんばんは。ミスター・ツッピンです」
「誰だお前」
「あなたの羞恥心と湿気から生まれました」
「最悪の錬成だな」
その時だった。
紫の敷布が、むくりと盛り上がる。
皺の奥から女が現れた。
長い黒髪。
十二単。
眠そうな眼。
紫式部だった。
「騒がしいことですねぇ」
「なんで出てくるんだよ!」
「紫の敷布ですから」
「そんな召喚条件ある!?」
紫式部は敷布を撫でながら溜息をつく。
「近頃の人間は情緒が足りませんねぇ」
すると飛魚たちが一斉に歌い始めた。
♪もののあはれ〜
♪魚のひらき〜
♪閉じても結局
♪また泳ぐ〜
「雑!!」
するとミスター・ツッピンが両手を広げた。
「ザッツ……エンターテイメント!!」
背後で無駄に派手なシンバルが鳴る。
シャーーーン!!
「勢いで押し切るな!!」
瑞樹は頭を抱える。
完全に脳内の統制が崩壊していた。
だが本当の地獄はここからだった。
襖が勢いよく開く。
軍靴の音。
低音ラッパ。
空気が急に重くなる。
ツッピンたちが飛行をやめた。
紫式部も姿勢を正す。
ゆっくり現れた男が腕を組む。
東条英機だった。
「騒々しい」
部屋の温度が二度ほど下がる。
瑞樹は思わず後ずさった。
「なんでお前まで来るんだよ!」
東条は気にしない。
部屋を見渡し、静かに言った。
「貴様らには“様式美”という概念がないのか」
「え?」
「ミュージカルとは本来、秩序の上に成立するものだ」
「そんな本格派なの!?」
東条はツッピンたちを睨む。
「ツッピンを二回繰り返せば誤魔化せると思うな」
「ぐっ……!」
図星だったらしい。
飛魚たちが動揺する。
東条はさらに続けた。
「統率がない。流れがない。オチも弱い」
「レビューに厳しいな!」
その瞬間だった。
天井が再び七色に割れた。
ラメ。
スモーク。
ファンファーレ。
そしてスポットライトの中心から、白いスーツの男が滑り降りてくる。
「ヒデキィィィ!!」
一拍置いて。
「感激ィィィ!!」
西城秀樹だった。
しかも年を取っている。
かなり。
だが本人だけ全盛期である。
「遅れてすまない!!」
華麗にターン。
直後、膝が鳴った。
「うっ」
「無理するな!!」
秀樹は笑顔のまま親指を立てる。
「大丈夫! 心はヤングだから!」
すると東条英機が低い声で呟いた。
「もうオールドマンだろ」
静寂。
秀樹の笑顔が止まる。
ツッピンたちがざわついた。
「言っちゃった……」
「東条さん容赦ねぇ……」
秀樹は震えながらマイクを握る。
「いや、でもYMCAは永遠だから」
「膝は有限である」
「厳しい!」
しかし秀樹は止まらない。
♪Y!
♪M!
♪C!
♪A!
ツッピンたちがバックダンサーとして乱舞する。
♪ツッピン!
♪ツッピン!
東条英機が額を押さえた。
「だから貴様らは統率がないのだ」
秀樹が笑顔で答える。
「まあまあ!」
「“まあまあ”で国家は運営できん」
「国家じゃなくてミュージカルだから!」
紫式部が静かに頷いた。
「それは確かにそうですねぇ」
東条は深く溜息を吐く。
「なぜ余の周囲にはこういう者しか集まらんのだ……」
「お前の脳じゃねえよ!」
その時だった。
爽やかな風が吹く。
カーテンが揺れる。
鈴の音。
レモンの匂い。
白い自転車。
炭酸水。
夏空。
そして現れた。
――爽やか三太郎。
誰なのかは誰も知らない。
だが圧倒的に爽やかだった。
存在だけでカルピスのCMみたいになる。
東条英機ですら目を細める。
「なんだあの清涼感は……」
紫式部が頬を染めた。
ツッピンたちは完全に戦意喪失している。
爽やか三太郎は静かに微笑み、歌い出す。
♪人は誰でも
♪歳を取る
♪魚も将軍も
♪膝が鳴る
東条が少し傷ついた顔をした。
秀樹はすすり泣いている。
♪それでも夏風
♪吹けばなんとかなる
意味はわからない。
だが妙に沁みた。
ツッピンたちは肩を組み始める。
♪ツッピン……
♪ツッピン……
紫式部は静かに笑った。
「結局、人は“爽やかさ”には勝てないのですねぇ」
照明が落ちる。
東条英機はレビュー風の敬礼をして退場。
西城秀樹は「膝だけは冷やすなよ!」と叫びながら消えた。
紫式部は再び敷布の皺へ沈む。
最後までツッピンたちだけが歌っていた。
♪ツッピンツッピン
♪人生すっぴん
♪誤魔化しゃいつか
♪バレるもの〜
静寂。
気づけば部屋には、貝原瑞樹だけが残されていた。
紫の敷布が、しわくちゃに沈んでいる。
瑞樹はぽつりと呟いた。
「……なんだったんだ今の」
すると敷布の奥から小さな声。
「アンコール〜」
瑞樹は無言で布団をひっくり返した。

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