日々の形──『水辺のつつじ』ep.57を深掘り解説
このお話は、誰でも読めますが、内容はかなり難しい小説です。
なぜなら、この作品は「事件」が起こる小説ではなく、主人公の心の中を描いた小説だからです。
では、知りたがりの読者ちゃんにもわかるように、一つずつ読み解いていきましょう。
この小説は何を描いているの?
一言でいうと、
「普通の一日を過ごそうとしているのに、世界が少しずつ普通に感じられない青年の物語」
です。
映画を観て、本屋へ行き、コンビニで買い物をして、公園でご飯を食べて帰る。
それだけ聞けば、ごく普通の一日です。
でも主人公にとっては、その「普通」がとても難しいのです。
① 最初から主人公は「世界が揺れている」
映画館を出た主人公は立ちくらみを起こします。
すると、
前へ、後ろへ、右へ、左へ。
世界が揺れ始めます。
ここで大事なのは、
本当に地震が起きているわけではない
ということです。
主人公自身が、
「またか」
と思っています。
つまり以前から何度も経験している症状なのです。
作者はこれによって、
主人公が体調や心の不調を抱えながら生活していることを、説明ではなく体験として読者に伝えています。
② 主人公は「見えすぎる人」
普通の人なら映画館では、
「映画おもしろかったな」
くらいしか考えません。
でも主人公は違います。
椅子の色まで気になります。
赤
黄色
水色
そして、
「どうしてこの配置なんだろう」
と考え始めます。
さらに、
隣の人がなぜそこへ座ったのかまで気になります。
つまり主人公は、
周りの情報を人よりたくさん受け取ってしまう人なのです。
そのため、人混みへ行くだけでも疲れてしまいます。
③ 「コーヒー」が何度も出てくる理由
この小説にはコーヒーが何度も登場します。
最初は、
コーヒーなのに、
オレンジジュースみたいに感じます。
ホットドッグも、
キャラメルポップコーンの匂いがします。
つまり、
味や匂いが現実と違って感じられています。
ところが後半では、
コンビニで買ったコーヒーを飲み、
主人公は安心します。
色はコーヒーの色だった。
匂いもちゃんとコーヒーだった。
ここで何度も出てくる
「ちゃんと」
という言葉がとても重要です。
主人公は、
「現実はちゃんとしている」
ことを何度も確認しているのです。
つまりコーヒーは、
現実へ戻るためのお守り
のような存在になっています。
④ 鳩は何を表しているの?
鳩は何度も出てきます。
灰色の鳩。
最後には白い羽。
そして主人公の部屋には
白鳩
が待っています。
鳩は昔から、
「平和」
「安心」
「帰る場所」
を表す鳥として描かれることが多いです。
だから最後に、
主人公は
白鳩の待つ部屋へ
帰ります。
つまり、
どんなに外の世界で疲れても、
帰る場所だけはある。
作者はそう伝えているようにも読めます。
⑤ ティッシュを買い忘れた意味
最後に主人公は、
ティッシュを買うためドラッグストアへ行きます。
でも、
買ったのは
ウェットシート
歯ブラシ
でした。
目的を忘れてしまっています。
普通なら
「ドジだな」
で終わります。
でもこの小説では違います。
今日は一日中、
主人公の感覚が少しずつずれていました。
だから最後まで、
少しだけずれたまま終わるのです。
それは、
今日という一日そのものを表しています。
タイトル『日々の形』とは?
このタイトルは、
「毎日は同じように見えて、本当は一日一日違う」
という意味です。
主人公にとって今日は、
世界が揺れた日
コーヒーで安心した日
鳩を見た日
ティッシュを買い忘れた日
でした。
誰かから見れば何もない一日です。
でも主人公にとっては、
精一杯生き抜いた一日だったのです。
だからタイトルは
「日々の形」なのです。
この小説で作者が本当に伝えたかったこと
この作品には、大きな事件も、派手な展開もありません。
それでも読者の心に残るのは、主人公が**「普通の一日」を送ることの難しさ**が丁寧に描かれているからです。
私たちは街ですれ違う人を見て、「普通に歩いている」と思うかもしれません。しかし、その人の心の中では、不安や混乱、疲れと向き合いながら、一歩ずつ前へ進んでいることがあります。
この小説は、そんな目には見えない苦しさと、それでも日常を生きようとする人の強さを静かに描いた作品です。
読み終えたあと、「何気ない毎日を過ごせること」そのものが、実はとても大切で尊いことなのだと気づかせてくれる物語ではないでしょうか。
