『オフィーリアも味噌ラーメンもオールオッケー』
よもぎさんに捧ぐ
すれ違っているつもりでも、たぶん、いや絶対、幸せだった。
僕は天井を見ながらそう思う。
天井には去年の夏に貼ったままの星型シールが一枚だけ残っている。剥がれかけて、ちょっと情けない。
「起きてる?」
布団の外から声がする。
「起きてるような、寝てるような。」
「それ起きてるやつね。」
ぱん、と頬を軽く叩かれた。痛くない。むしろ春みたいだ。
目を開けると、彼女が笑っている。
僕のヨレヨレのTシャツを着て、なぜか誇らしげだ。
「すれ違ってるかな、私たち。」
急にそんなことを言う。
「どこが?」
「なんとなく。」
僕は天井を見上げたまま言う。
「すれ違ってる“つもり”でも幸せなら、それオールオッケーじゃない?」
「雑!」
「人生はだいたい雑!」
彼女は一瞬ぽかんとして、それから声を出して笑った。
その笑い声が、部屋の隅のギターケースまで届く。
ずっと開けていなかったケース。
僕は起き上がる。
デニムを踏んづける。
バランスを崩す。
彼女にぶつかる。
「ちょっと!」
「事故です。」
「未必の故意でしょ。」
「難しい言葉使うな!」
テーブルの上には味噌ラーメンが二人分。
湯気はもう落ち着いているけど、匂いはしっかり残っている。
「伸びるよ?」
「人生も?」
「それは知らないけどラーメンは伸びる。」
僕は箸を取る。
彼女も取る。
ずるずる。
「うま。」
「でしょ?」
「味噌って偉大だよね。」
「急に壮大。」
「だってさ、どんな気分でも受け止めてくれるじゃん。味噌って。」
彼女は笑いながら首をかしげる。
「今日はどういう気分?」
「オールオッケー気分。」
「なにそれ。」
「オフィーリアも欧陽菲菲もオカメチンコも全部オールオッケー。」
「ちょっと待って情報量。」
僕は箸を置く。
「悲劇のヒロインも、昭和のスターも、謎のワードも、全部まとめて幸せでいいじゃんって話。」
彼女は一瞬考えて、それから真面目な顔で言った。
「欧陽菲菲は確かに幸せそう。」
「でしょ?」
名前の響きだけで世界が明るくなる人もいる。
理由なんてなくていい。
「オフィーリアも幸せでいいの?」
「水辺で歌ってるだけでいいじゃん。泳げるようになったかもしれないし。」
「原作改変が過ぎる。」
「人生は二次創作。」
彼女はラーメンを吹きながら笑う。
その「ふうふう」が妙にくすぐったい。
「ねえ。」
「ん?」
「ギター鳴らしてよ。」
僕は視線を部屋の隅へやる。
ほこりを知らないギターケース。
「急に?」
「急に。今。」
彼女は麦茶のコップを僕に差し出す。氷が三つ、からん、と鳴る。
「コード、六個くらい覚えてるんでしょ?」
「六個もあれば人生足りるよ。」
「雑!」
僕は立ち上がる。
ケースを開ける。
弦はちゃんと光っている。
E。
A。
D。
音が部屋に広がる。
「なんかさ。」
彼女が言う。
「私たち、たまにすれ違ってる気がするけど。」
「うん。」
「でも、なんか、ずっと味噌ラーメンみたいじゃない?」
「どういうこと。」
「ちょっと伸びても、ちょっと冷めても、ちゃんと美味しい、みたいな。」
僕は弦を鳴らしながら考える。
確かに。
完璧じゃない。
演出もない。
劇的でもない。
でも、
湯気があって、
笑い声があって、
ギターの音があって。
「それ幸せじゃん。」
「うん。幸せ。」
間髪入れず答える彼女。
迷いがない。
僕はコードを変える。
Am。
ちょっと切ない音。
「それ悲しいやつ?」
「いや、明るいAm。」
「あるのそんなの。」
「今日からある。」
彼女はベッドに倒れ込む。
「すれ違ってもいいや。」
「うん。」
「ネタフリみたいなもんでしょ?」
「漫才の?」
「そう。最初にちょっとズレて、最後に回収。」
「回収できなかったら?」
「それもオールオッケー。」
彼女は天井を見上げる。
「何があっても?」
「何があっても。」
「喧嘩しても?」
「味噌ラーメン食べればだいたい戻る。」
「ギター弾けなくなっても?」
「太鼓でも鳴らす。」
「私が寝坊しても?」
「僕も寝る。」
「私が泣いても?」
僕は弦を止める。
少しだけ、間。
それから言う。
「一緒に泣く。泣きながらラーメン食べる。意味わかんないけど。」
彼女は笑う。
その笑いは、ちょっと湿っていて、でも明るい。
「ねえ。」
「ん?」
「幸せってさ、すごいことじゃなくてよくない?」
「うん。」
「味噌ラーメン食べて、ギター鳴らして、変なこと言って笑って、それでよくない?」
僕はうなずく。
オフィーリアも、
欧陽菲菲も、
オカメチンコも、
全部まとめて笑っていればいい。
世界はたぶん、そんなに深刻じゃない。
ギターをもう一度鳴らす。
今度はちゃんとリズムをつける。
彼女が手拍子をする。
ずれている。
でも楽しい。
「ねえ、私たちちゃんと合ってる?」
「合ってなくても鳴ってる。」
「名言っぽく言うな。」
「今作った。」
味噌ラーメンはすっかりなくなった。
スープも飲み干した。
「ごちそうさま。」
「ごちそうさま。」
部屋は少し静かになる。
でも静かさも悪くない。
彼女が近づいてくる。
額と額が軽くぶつかる。
「オールオッケー?」
「オールオッケー。」
「ほんとに?」
「ほんとに。」
外はたぶん曇り。
でも関係ない。
この部屋では、
すれ違いもネタフリ、
涙もスパイス、
ギターはBGM、
味噌ラーメンは祝福。
何があっても幸せ。
とにかく幸せ。
オールオッケー。
そして僕たちは、
ちょっとずれたまま、
ぴったり笑っていた。
