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線香花火警報


よもぎさんに捧ぐ


「いやあ、すっかり居座ってしまいました。」

白石はそう言って、五杯目の冷やしあめを飲み干した。

飲み過ぎである。

俺だったら三杯目で腹を壊している。というか、一杯でも怪しい。だが白石の胃袋は、どうやら昭和の駄菓子屋の冷蔵庫と直結しているらしい。

「それに、コロッケまでご馳走になりまして。」

「あれ、昨日の残りだし。」

「昨日の残りにこそ、人の真心が宿るのです。」

意味がわからない。

意味はわからないが、白石が言うとなんとなくそんな気もしてくるから不思議だ。

七月最後の日曜日。

夕暮れの商店街には、盆踊りの練習をしているらしい太鼓の音が響いていた。

ドンドコドンドコ。

敏いとうとハッピー&ブルーがどこからともなく聞こえてきそうな空気である。

「それにしても、井上君のお母様は素敵な方ですね。」

「コロッケ十個揚げて、三個焦がしたけどな。」

「芸術には失敗が付き物です。」

「コロッケは芸術じゃない。」

白石は真面目な顔で頷いた。

「食文化です。」

もっと違うだろ。

商店街を抜けると、小さな神社の裏にある児童公園が見えてきた。

ブランコ二台。錆びたジャングルジム。そして、誰が置いたのかわからない赤いベンチ。

白石は、そのベンチを見るなり、目を丸くした。

「ああ。」

「どうした?」

「まだあったんですね。」

「知ってるの?」

「もちろんです。」

そう言って白石は、まるで旧友と再会したかのようにベンチの背もたれを撫でた。

「僕、小学生の頃、このベンチで三時間ほど泣いたことがあるんですよ。」

「重いな。」

「担任の先生に、夏休みの読書感想文を原稿用紙五十枚書いて提出したら怒られまして。」

「当たり前だ。」

「褒められると思っていたんです。」

「先生も困っただろ。」

「たいそう困っておりました。」

白石は少しだけ笑った。

「その時、ここで線香花火をしていたおじいさんが言ったんです。」

『長い文章を書く奴は、長生きするぞ。』

「適当だな。」

「ええ。ですが、僕はその言葉を信じているんですよ。」

夏の風が吹く。

どこからか醤油の焦げる匂いが漂ってきた。

盆踊りの練習だろうか。

人生には、不思議と匂いでしか思い出せない記憶がある。

白石は鞄をごそごそと漁ると、小さな缶を取り出した。

「見てください。」

「なにそれ。」

「宝物です。」

中には、折れた線香花火が二十本ほど入っていた。

「ゴミじゃん。」

「違います。」

「違わない。」

「これは、小学生の頃から使い切れなかった線香花火です。」

「捨てろ。」

「いやです。」

白石は一本だけ取り出して言った。

「線香花火って、不思議ですよね。」

「なにが?」

「最後まで、落ちるまいと頑張るでしょう?」

「ああ。」

「人間も案外そうなのかもしれません。」

珍しく、白石が年相応ではない顔をした。

「僕は昔から、人と少し違うと言われてきました。」

「今もだろ。」

「そうですね。」

「うん。」

「ですが、井上君の家でコロッケを食べていると、自分が普通の高校生になれた気がするんです。」

思わず言葉を失った。

こいつは時々、ホームラン級の言葉を平然と投げてくる。

「だから、ありがとうございました。」

「別に。」

「本当に。」

「別に。」

「ツンデレですか?」

「違う。」

「昭和の不良ですか?」

「もっと違う。」

その時だった。

ぽつり。

俺の鼻先に雨粒が落ちた。

「あ。」

白石が空を見上げる。

「来ますね。」

「夕立?」

「いえ。」

「なに?」

「線香花火警報です。」

「そんなものはない。」

「今、作りました。」

遠くで雷が鳴った。

風が急に冷たくなる。

商店街の提灯が一斉に揺れ始めた。

「井上君。」

「ん?」

「人生って、誰かとコロッケを食べるためにあるのかもしれません。」

「絶対違う。」

「七割くらいは。」

「違う。」

「六割。」

「諦めろ。」

雨粒が少しずつ大きくなる。

「帰れよ。」

「井上君こそ。」

「俺は近い。」

「僕も案外近いです。」

「十分遠い。」

「歩けば二十五分ほど。」

「遠い。」

「では。」

白石は手を振った。

「また明日。」

「おう。」

「明日はメンチカツが食べたいです。」

「図々しい。」

「ウキウキクッキー。」

「なんだそれ。」

「言いたかっただけです。」

白石は笑いながら、公園の出口へと歩いていく。

何度も振り返って手を振るものだから、帰るタイミングを失ってしまった。

しとしとぴっちゃん。

しとぴっちゃん。

なんだかそんな雨音だった。

気がつけば、公園は雨に煙っていた。

赤いベンチ。

濡れたブランコ。

揺れる提灯。

どれも、さっきまでとは少しだけ違って見える。

その瞬間。

空が真っ白に光った。

雷鳴が腹の底まで響く。

「椋りょう!」

俺は走り出していた。

なんで走っているのかなんてわからない。

追いついて何をする?

傘もない。

タオルもない。

それでも走ってしまった。

人生には、説明できないことがある。

コロッケを食べるためかもしれないし、誰かの線香花火が落ちる前に隣にいたいだけなのかもしれない。

バラバラバンバー。

ババンババンバンバン。

夏の終わりは、いつだって少しだけ浪花節だ。

そして、人は案外、誰かと雨に降られるために生きているのかもしれない。

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