50代|これからの人生|自己探求|推し活|推しがいない|【推しができない私の、“好き”のかたち】―推しはいない。でも、一瞬だけ誰かにときめく―
みんな当たり前のように
「推し」の話をしている。
でも私は、その輪の中にうまく入れなかった。
「この人が好きでさ」「ライブが最高でさ」
楽しそうに話す姿を見ながら、
少しだけ羨ましいと思っていた。
私はというと、“推し”がいない。
実は作ろうとしたこともある。
でも結局、そこまで気持ちが続かなかった。
その代わりに、ちょっと変な現象がある。
身近にいる「なんかいいな」と思う人に
会った瞬間、
一気にテンションが上がる。
びっくりするくらい、一瞬だけ。
でも、その熱は長くは続かない。
帰り道には、もういつもの自分に戻っている。
最近、それが立て続けに起きて、
ふと「これってなんなんだろう」と思った。
「推し活はやった方がいいよ〜」
以前勤めていた職場の年上の方に、そんなふうに言われたことがある。
推しがいると毎日が楽しくなるし、生活にハリが出るらしい。
たしかに、それはなんとなくわかる気がした。
好きな人やものがあるだけで、日常が少し明るくなる感覚。
だから私も、“推し”を見つけてみようと思った。
でも結局、推しはできなかった。
いろんな人や作品に触れてみたし、話題になっているものも追いかけてみた。
それでも、「この人を推したい」とか「この存在に時間もお金も使いたい」と思えるほど、気持ちが盛り上がることはなかった。
正直に言うと、少しだけ焦りもあった。
みんなが当たり前のように「推し」を持っているように見える中で、
自分だけがその熱量に乗れていない気がして。
きっと私は、その場の空気感で、その人との関係を築いていきたいタイプなんだと思う。
誰か一人を遠くからずっと追い続けるよりも、
そのとき、その場所で感じる温度とか、やりとりの中で生まれるものの方が、しっくりくる。
もちろん、気になる人はいる。
身近な人でも、芸能人でも、「いいな」と思う瞬間はちゃんとある。
でも、その気持ちは長くは続かない。
一瞬だけ熱が上がって、
「あ、好きかも」と思ったとしても、
気づけばまた、いつもの自分の温度に戻っている。
それはきっと、冷めやすいわけではなくて、
ただ、熱を持ち続けるタイプじゃないだけなんだと思う。
推し活は、同じ対象に対して、長く熱を持ち続けることが前提にある気がする。
でも私は、ひとつのものに熱を留めておくよりも、
そのときどきに感じた気持ちを、そのまま味わっていたい。
もしかしたらそれは、少し効率が悪いのかもしれないし、
“わかりやすい楽しさ”ではないのかもしれない。
それでも私は、
一瞬で過ぎていくような感情の方が、どこか信じられる。
だから、無理に“推し”を作ろうとしなくてもいいのかもしれない。
ずっと燃え続けるような大きな好きじゃなくても、
ふとした瞬間に心が動く、小さな「いいな」があれば、それで十分なのかもしれない。
推しがいなくても、
それなりにちゃんと、日々はやわらかく満たせる。
そんなふうに思っている。
そしてもし、
「推しがいない自分って、どこか足りないのかも」と感じている人がいるなら、
それはきっと、違う。
ただ“好きのかたち”が、少し違うだけだ。
あなたの“好き”は、どんなかたちですか?
