フィラデルフィアの夜とサンフランシスコの昼間 (10958文字)
1 朝
午前5時に目覚めた。
昨日は、ずっとどの映画にするか悩んでいたがそのまま寝てしまったのだ。
「どの映画にするか」というのは、悪魔に送り込んでもらう映画のことだ。
昨日、メフィストと名乗る悪魔と出会い、チョコレートの恩義ということで映画『ドクター・ノー』のワンシーンに送り込んでもらった。その映画の中で、主演のジェームズ・ボンドにいろいろ質問できた。
映画の中ということで、質問内容には制約があったが、それでもボンドと一対一で会話できたというのは大きかった。
そのとき、私は腕に軽い引っかき傷を作ったのだが、そのことがメフィストの過失ということで問題視され、魔王による審判の結果またもう一本映画の中に行けることになった。
ただ、その映画を選びかねたので、日を改めてメフィストが私のアパートに来ることになっているのだ。
映画を選ぶ期限は、今日の午前10時である。
まだ、かなり時間がある。
そこで、せっかく早起きしたのだからメフィストをもてなすものを買って来ることにした。
午前10時になった。
私の部屋の端の方にメフィストが現れた。
シルクハットに杖を持ち、西洋の礼服を着てマントを羽織っている。そして、手に靴を持っている。
その靴にちょっと驚いた。
「おはよう。何を見ているんだい? この靴かい? 日本の家では靴を脱がないとね。
ところで、行きたい映画は決まったかい?」
「ええ、決まりました。『ロッキー』にします。
ボクシング映画で公開当時大ヒットしました。この映画で力づけられた人は沢山いたでしょう。その映画の、タイトルマッチ前夜の試合会場のシーンを選びました。」
「ボクシング映画か。分かった。今回は、私も一緒に行くことにする。君の安全を守るためだ。一緒には行くが、君も登場人物も私を見ることはできない。君は自然な感じで登場人物と会話できるってわけだ。
前回は映画の中で君が怪我してしまったし、私はそれを防ぐことができなかった。でも、今回は身近なところで見ているから大丈夫だ。」
「分かりました。前回の傷といっても、ただの擦り傷ですけどね。それはそうと、せっかくだからこれどうぞ。」
「おっ、チョコレートではないか。今回は私が頼んだのではないから、私は君に借りを作ったことにはならないぞ。」
「分かっています。今回は来客へのもてなしですよ。でも、そのチョコレートは前回のものとは違い普通に市販されているものですよ。外国製の高級品というわけではありません。」
「なに、私はグルメではない。チョコレートでありさえすればいいのだ。とにかく、ありがとう。」
メフィストは、チョコレートを食べながら「ところで君の名前をまだ聞いていなかったな。本名はなんていうんだい? あっ、偽名はダメだよ。君が窮地に陥ったとき、私の魔力で助け出すことになるが、そのとき偽名だと魔力が働く対象がぶれてしまい君を助けることができない場合がある。」
「私の名前は、矢麻駄慎吾(やまだしんご)と言います。」
「分かった。やまだしんごね。では、行こうか。そうそう、質問が終わったら『戻せ、メフィスト』と言ってくれよ。」
2 試合前日の夜
次の瞬間、私はひどく寒い夜の歩道の上にいた。向こうに背をががめながらこちらに歩いて来るロッキーが見えた。背格好と顔立ちでそうだと分かった。ということは、私は今アメリカの真冬のフィラデルフィアにいるんだ。
私は、オーバーを着ていて防寒靴を履き、手袋もつけていた。メフィストの配慮なのだろうと思ったが、ロッキーはすぐ目の前に迫って来ていた。
「あの、バルボアさん。」
「ああ、君は俺に質問しに来た人だね。話は聞いているよ。ただ、私は今さっき非常にショックを受けてきたので、君の質問にちゃんと答えられる自信がない。それに、私はこれから自分のアパートに帰るところなんだ。アパートにはエイドリアンが寝ているんだが、今の私の心の叫びを聞いてもらいたいと思っている。だから、君の期待にそえないかもしれないしあんまり長くは話せない。悪いな。」
「試合も明日に迫っていますし、お忙しいのは理解しています。こちらこそ、こんな時に質問に来てしまって申し訳ありませんバルボアさん。」
「ロッキーでいいよ。みんなそう呼んでいる。
君は?」
「私は矢麻駄慎吾(やまだしんご)といいます。」
「シンゴでいいかい?」
「結構です、ロッキー。
何故今ショックを受けているんですか?」
「それは、明日試合会場に来る観客が、試合に何を期待しているのか分かったからなんだ。俺は、三流ボクサーなんだが、何の偶然か突然世界タイトルに挑戦することになった。細かなことは知らないが、俺にとっては大チャンスだ。そこで、この数週間猛練習をしてきた。周囲の人間との蟠(わだかま)りも水に流して、とにかく挑戦者としてふさわしい試合をしようと頑張ってきた。ベルトを取れるとは思っちゃいないが、ベルトに手が掛かるところまでは行きたいと思ってきた。
でも、さっき試合会場に行ったら、俺の絵のトランクスの色が違っていたんだ。試合会場の天井にチャンピオンのアポロとチャレンジャーの俺が向かい合うように描かれた各々1枚ずつの大きな縦長の幕があるんだが、その絵に間違いがあったんだ。こりゃ、いけないと思い通り掛かったプロモーターにその旨を伝えた。試合は明日だから今更作り直すことなんてできないことは分かっている。でも、間違いは指摘しておかないとね。」
「そうですね。それはそうです。」
「すると、プロモーターは、気にするなというんだ。そんなことは誰も気付かないとね。
それより明日はいい試合をしてくれと言っていた。」
「プロモーターが、そう言うのはもっともではないですか。」
「そうなのかも知れない。でもね、ボクサーが試合中に身につけているのは、グローブとシューズとトランクスだけなんだ。他は裸だ。だからトランクスは観客が選手を見分ける目印になるんだ。明日の試合は、たまたまチャンピオンのアポロが黒人で俺は白人だから肌の色で区別できるだろうけど、でも、ボクサーの動きは速いしボクシングという競技は頻繁に立ち位置が移動するので目が追いつかない。だから肌の色より見易いトランクスで区別するんだ。つまり、贔屓のボクサーをトランクスで見分けて応援するんだよ。
それなのに、そのトランクスの色違いを『誰も気にしない』ってことは、観客は俺を見ないってことだ。つまり、俺はサンドバックと同じ。観客の興味は、アポロの勝っぷりにあるということだ。
俺は、ボクシングしか能がないから、ミッキーのジムでずっと練習して頑張ってきた。でも、ミッキーは俺を気に入らず、俺からジムのロッカーを取り上げた。俺は勝ったり負けたりしていたからボクシングだけじゃ食っていけなかった。だから、イタリア移民仲間の高利貸の取り立て屋をしていた。だが、債務者を殴ったり怪我させたりしたことはない。この拳(こぶし)はリングで役立てるものだ。
友人といえるのは、食肉工場で働くポーリーだけだったが、俺がポーリーの妹のエイドリアンと付き合ったら、あいつは嫉妬してエイドリアンや俺にひどいことを言いやがった。で、けんか別れさ。ポーリーは、前後の見境がなくなっちまい妹のエイドリアンとも仲たがいした。エイドリアンは今俺と暮らしている。ポーリーは一人ぼっちになったが、後に俺に、スポンサーを探して来てくれた。自分も儲けるんだろうが、俺にガウンを準備してくれたんだ。入場のときに着るやつだ。」
「いろいろ大変だったんですね、ロッキー。」
「俺はイタリア人だから仕方ないのかもしれない。イタリア人はアメリカではかなり差別される。人種は白人ではあるが、白人の中では最下層だ。イタリア人の下は有色人種だ。
あっ、すまない。慎吾は有色人種だな。」
「気にしていないよ、ロッキー。それがアメリカの現実なんだろう。」
「不用意な事を言って申し訳なかった。そうなんだ。アメリカって、自由とか平等とか言うのに実際はそうでもないんだ。俺達は合法的な移民だから、新大陸で新しい人生を歩みはじめることができると思っていたんだが、現実は想像とは違っていたよ。」
「でロッキー、明日の試合にはどういう気持ちで臨むんだい? 今のロッキーは、敵だらけって感じだけど。」
「そうだな。いままでやってきた練習も無駄。俺や俺の周囲の人間の期待も無駄。この先の人生も無駄。なにもかにも無駄に思えるよ。
でも、こんなに追い詰められた俺だから、これ以上なくすものは何もない。後は死ぬだけだけど、自殺は自分の負けを認めるようで、そんなのは我慢できない。できれば逆転したい。
ここで一発逆転するには、観客らに『あのトランクスの奴はだれなんだ?』と思わせることだ。つまり、アポロと互角以上に戦うことだ。
アポロに勝つのは無理だ。いや、これは弱音じゃなくて、ボクサーとして冷静に考えればそういう結論になる。でも、いい試合をするところまでは自分を持って行くことはできそうな気がする。
そうなったら、今まで無駄だと思っていたものが全部意味のあるものに変わるんだ。」
「一発逆転ですね。」
「そうだな。問題は、このせいぜい引き分けという勝負にどう俺の魂を燃やせるか、だな。」
「どうもありがとう、ロッキー。最後に一つ、明日の試合の作戦というか心構えを教えてくれないかい。」
「そうだな。明日は強敵のアポロと戦うわけだから、気持ちを高め続けることと、今までの練習を信じていつものとおり行くことかな。それと、慎吾は知っていると思うが、俺にもこの映画にもカネがない。だから、明日の試合会場には、フライドチキンを報酬に集めた一般の人々が来るんだ。映画の撮影は長い待ち時間があるから、おそらくかれらを撮影の最後まで会場に留めておくのは難しいだろう。だから、できるだけ撮影時間を短縮するために、監督とメーキャップ担当の者とで相談してダメージのメイクに工夫をした。試合では徐々にダメージが蓄積していきそれにつれて顔が腫れて行き血も流れてくるんだけど、撮影ではまず試合終盤の深いダメージのメイクで撮影し、徐々に深いダメージのメイクを剥がして行き軽いダメージに変えていくことにしている。撮影順序でいうと、まず死にそうな最終ラウンドを撮り、だんだんと元気な状態の選手を撮っていくというわけだ。ラウンドも一番最後に一番最初のランドを撮影する。こんな複雑な試合経過で、さっきの『俺が誰か分からせてやるっ!』という気迫を維持しつづけるのは正直難しい。俺も難しいが、ポアロだって難しいだろう。そういう面での勝負もある。」
「そうですか。この映画の予算の厳しさは有名です。リングサイドでゴングを鳴らすのもロッキーのお父さんですもんね。」
「慎吾。私はこの映画の登場人物なんだ。役者本人じゃないから、そんなことは知らないよ。さっきのメイクのことは、試合と撮影との調整を取るためにと監督が俺に教えてくれたから知っていただけだよ。俺もエイドリアンも、この映画の結末は知っているが、この映画が当たるかどうかは分からないんだ。結末のシーンも何パターンかあって、それらは全部リハーサル済みさ。出演者はみんな頑張っているし、スタッフも最善を尽くしている。特に俺にはおそらく俳優として最後のチャンスだろうから、当たってほしいよ。
でも、映画を当てるにはキャストやスタッフが最善を尽くすだけではだめで、人の力を超えた何かが必要なんだ。
俺も、生卵を飲んだり、片手腕立て伏せしたりとトレーニングに掛ける気持ちを表現したが、でも何か物足りなさを感じていた。そこに今夜のトランクスの件(くだり)だ。この件(くだり)で『バカにされつづけた人生のまま終わるか、それとも俺の存在意義を示すか。』という俺が人生に立ち向かう意義が生まれたんだ。」
「そうですね。ロッキー。今夜は大切な夜ですね。」
「分かってくれてありがとう。もうすぐ俺のアパートに着く。エイドリアンは寝ているだろうけど、これから起こして俺の気持ちを聞いてもらう時が来た。慎吾には悪いがそろそろお別れだ。」
「どうもありがとう。ロッキー。」
ロッキーの後ろ姿がアパートの入口に入って行った。
「戻せ、メフィスト。」と私が言うと、私は水びたしの歩道の上に立っていた。歩道の消火栓から水が噴水のように吹き出している。その知覚には横転した乗用車。アメリカ製だろう、かなり大きいクルマだ。
そして、女性の悲鳴と警報ベルが聞こえる。
ふとみると向こうから左手に散弾銃を持った背の高いかっこいい男が歩いて来る。
ダーティー・ハリーだ。
3 サンフランシスコ
耳元でメフィストの声がした。「すまん慎吾。間違えて別の映画の世界に入っちまった。
「どういうこと?」
「『ロッキー』のフィラデルフィアから慎吾のアパートに戻るはずが、わしが一緒にいることを忘れてな。一人分の魔力で二人を戻そうとしたら、ここに来たんだ。
あっ、ここでもわしは見えない状態でいることにするからな。」
そんなことを喋っているうちに、ダーティー・ハリーがすぐそばまで近づいいていた。
「Hello.」
ハリーは、英語で話しかけてきた。
「おっと、主人公のハリーにこの状況を理解させ、言語の問題を解決するのを忘れていた。」
「俺に何か聞きたいのか? 実は今の銃撃戦で足に散弾を喰らってね。これから医者に弾を摘出してもらわなければならない。だから、あんまり時間がないんだ。」
「分かりました、キャラハン警部。」
「よせよ、俺は警部じゃない。巡査長だ。それに、キャラハンってのもやめてくれ。ハリーでいいよ。君は慎吾だろ。」
「分かりました。ハリー。
ところでここは、映画のはじめの方の銀行強盗をやっつけるシーンですね。」
「ああ、そうだ。このシーンは、主人公の俺がどんな警官かを観客に印象付ける大事なシーンだ。俺が、世界で最も強力な拳銃を持ってるってこともこのシーンで観客は知ることになるんだ。」
「そこがまず分からないんです。その拳銃。ハリーはマグナム44と言っていましたが、正しくはスミス&ウエッスン社のM29ですよね。その拳銃は本来は灰色熊のような巨大な動物用だから対人兵器としては過剰な火力です。どうしてそういう拳銃を使っているんですか?」
「慎吾は拳銃に詳しいね。それともこの映画の評論に書かれていたのかな。
この映画の切っ掛けは、サンフランシスコで起きた連続殺人事件なんだ。『ゾデアック事件』などと呼ばれている。事件当時はサンフランシスコ市民は恐怖で大変だった。なにしろ、無差別に一般市民が殺され、犯人は捕まらず、治安が危機的状況になっていきそうだった。これは、私の想像だが、おそらくこの映画を作った人は、そんな殺人鬼から市民を守るためには、警官が強力な捜査権と武器を行使できることが必要だと思ったんじゃないかな。私は、一応の手順を踏んで発砲し、犯人を容赦しない。私の使うこの拳銃もそうだ。私は内勤の人間じゃないから、上司や市長の顔色をみたり忖度するようなことをしなくても仕事をすることができる。それに出世欲もないしね。さっきの銀行強盗だって、まずは『フリーズ』(Freeze. 動くな。)と警告したし、まず犯人が発砲してから応射した。おかげで散弾を右足に喰らっちまったが、強盗事件は解決した。二人は死んだがね。
解決はしたが、最初に撃った犯人を少しビビらせたのは行き過ぎだったかもしれない。でも犯罪に対して怒りを持つ多くの観客にはウケるんじゃないかな。」
「その最後にビビらせた件ですが、ビビらせた後あなたは犯人の散弾銃を取り立ち去ろうとしました。でも犯人が『おい、どうせハッタリだろう?』と言ったことに腹を立てた表情になり、犯人にその拳銃を向け、激鉄を引いて引きがねを引きました。つまり弾倉に弾薬が残っていたら弾丸が発射され犯人は楽にあの世に行ったわけですが、実は全弾すべて発射していたというオチでした。犯人の言う通りハッタリだったわけですね。それで、その後笑顔を見せたのですね。」
「そうとも、よく見ているじゃないか。」
「そうなんですが、そこで疑問があります。あの犯人は44口径のマグナム弾を被弾しておりもう動けないはずです。しかもハリーはあの犯人が唯一使える武器である散弾銃を持ち去っています。これで犯人の敗北感は決定的になっていると思います。なのに、なぜ追い討ちをかけるように拳銃を向けて激鉄を起こし引きがねを引いたのですか?」
「確かにね。犯人は敗北感で一杯だったろう。俺の撃った弾丸は奴の体を貫通したろうから、口はきけても体は動かなかっただろう。
しかし、それは推測に過ぎん。
俺は確かに6発撃った。1発目は、あの散弾銃を持っていた犯人を撃ち、2発目はもう一人の犯人がクルマの窓から飛び乗るところを撃ったがこれははずした。3発目は逃走しようとしている犯人の自動車を撃ったがこれはどこかに当たったと思うが戦況に影響しなかった。そして、犯人らが乗ったクルマが俺の方にに迫ってきたので4発目と5発目を運転席側のフロントガラス、つまり運転手に向けて撃った。後で確認したがこれで運転していた犯人は死んだようだ。最後の6発目はクルマから飛び降りてさらに逃げようとした犯人を撃った。そいつはショーウィンドウを突き破って死んだようだ。
と、これで全弾撃ち尽くしたわけだから後は何度引きがねを引いても弾は出ない。この拳銃の弾倉には空薬莢しか残っていないからな。
そして、俺は最初に撃った犯人の近くに行き散弾銃を押収した。俺にも奴が丸腰だとは思った。でも、デリンジャーみたいな小型拳銃やナイフなどを隠し持っていないとは断言できない。それに『ハッタリだろう?』と俺に挑戦的な口を叩きやがった。ということは、まだ反撃の気力はあるってことだ。そこで、俺はサイコパスであるかのように振る舞い奴に我を忘れるほどの恐怖を感じさせたのさ。そしてあいつの反抗的な心を折った。」
「なるほど。それにしてもあの状態で、さきほどの犯人に恐怖を与えるのは人権上問題があるんじゃないですか?」
「人権ねぇ。慎吾はそっち側の人間なのか? つまり、恥知らずの弁護士連中の側なのかという意味だが、そうじゃないんだろう? 今のは単なる質問なんだろう?
まぁいい。警察が犯人を確保した後は、その犯人に対して不当な暴力や恐怖を与えるべきではないだろう。だが、さっきは俺はまだあの犯人を逮捕してない。また、不用意に体を動かすと、苦痛を与え傷がひどくなったとかなんとか裁判で言われるかもしれないから、俺は体を触って他に武器がないことを確認もしなかった。それは制服警官が救急隊員の立ち合いのもとでやればいい。
とにかく俺は犯人に命中弾を放ち、あいつの武器である散弾銃を取り上げただけだ。あいつがさらに抵抗したら、罪が重くなるし、なにより周囲の市民に犠牲者がでる可能性がある。既にあいつは深手を負っているが俺と会話ができるほどには元気だった。だから、さらに精神的に打撃を与え無気力にすべきだった。後で制服警官や救急隊員がやって来るが彼らの安全のためにもな。
もし、あの行為が裁判で問題視されたら、俺は今のように言うね。」
「ありがとうごあいます、ハリー。長年の謎が解けました。」
「それはよかった。おれもそろそろ医者に行かないと。散弾は鉛だから、体に入れておくと良くないんだ。」
「では、もう行きます。戻せ、メフィスト!」
4 アパート
アパートに戻っていた。時刻は午前10時。映画の主人公とあれだけ話したのに、まったく時間が経過していない。
「メフィスト?」
メフィストを探したが、見当たらない。
これは夢なんだろうか。
たしかに、映画の中に入るなんて現実には起こりえない。
それならそれでもう一回寝ようかなと思ったとき、部屋の済みにメフィストが現れた。右手に靴を持って。
「どうしたの? 一緒に戻って来るんだと思ったのに。」
「わしもそうするつもりだったんだが、魔王から緊急の呼びだしがあってな。
魔王の言うには、『ロッキー』から戻るときに手違いで、というかわしの間違いで『ダーティーハリー』に連れていってしまったのはとてつもない過失だというんだ。
たまたまハリーが銀行強盗をやっつけた後に慎吾が現れたからいいようなものの、ハリーと銀行強盗との銃撃戦の最中に、慎吾が現れたら慎吾が被弾する可能性もあったわけだ。もともとこれは、昨日慎吾からチョコレートを貰ったという恩を返すためにやっていることだが、その恩人の命を危険に晒すというのは許しがたいと言われた。
で、その責任なんだが、魔王から二つ提示された。そして、わしにそのどっちかを選べというんだ。
一つは、地獄の底の岩山に10万年間閉じ込められること。
二つ目は、このまま慎吾の行きたい映画の中に慎吾を安全に送り込むことをしばらく続けることだ。
二つ目の方が圧倒的に楽だと思うかもしれないが、この映画のなかに送り込むというのはなかなかきつい仕事なんだ。人間社会で例えるなら、毎日決算期が来るくらいのきつさだ。
どう思う?」
私はもちろん、二つ目の方がいいと言った。私としてもメフィストが岩山に閉じ込められるのは嫌だ。
ただ、映画の他にテレビ番組や小説などの活字作品の中にも行けいないかと聞いてみた。
「ドラマはできるだろう。
だが小説などにも映画のようにいけるのかはやってみなければ分からない。慎吾が予想しているのとは違う状況になることも考えられる。しかし、活字とはいえ作中に登場する人や物は作品世界では現実と変わらない存在だから怪我や命の危険もないとはいえないぞ。」
「分かった。
銃撃戦があったり、刀の切り合いがない作品を選べば安全と考えていいのかな。
平和な内容の本を選べば安全なのか。」
「分からんぞ。状況が平和そうでも自然災害があることも考えておかないと。」
と言いながらメフィストは、遠くを見るような目をした。
「おっ、慎吾。さっきの映画、『ダーティーハリー』にもう一回行けそうだぞ。慎吾には見えないだろうが、あの映画の渦の中に一カ所明るくなっているところがあるんだ。そこが映画に入り込める場所なんだよ。」
「なら、もう一回行ってみたいよ。
ところでどのシーンなんだい?」
「正確には分からんが、渦の尻尾の方だから映画の終わりのシーンのようだ。」
「あの採石場のシーンかな。
そうそう、チョコレートは要らないのかい?」
「今度は慎吾を危ない目に合わせるわけにはいかないから、チョコレートは映画世界から戻った後にする。そのときは二枚食いたい。
それから、前回映画世界に行ったことについて映画の登場人物はだれも慎吾のことを覚えていないからな。そして、今度はちゃんと慎吾のことを知らせておくからな。
そして、戻るときは『戻せ、メフィスト』というんだぞ。今回も、わしは映画世界に入るが、慎吾達には見えないようにする。では、行け!」
5 採石場
気がつくと、採石場の側の池の近くに立っていた。ハリーの後ろ姿が見えた。
私はハリーに近づいて行った。
「君は慎吾だな。話しは聞いている。
事情は聞いたが、今俺は複雑な心境なんだ。だから、饒舌に話せるかどうか分からない。」
「分かりましたキャラハンさん。」
「ハリーでいいよ。みんなそう呼んでいる。」
「では、ハリー、今どうして複雑な心境なんですか?」
「それは、今さっき犯人を射殺したからさ。」
「でも、それは犯人なんだから仕方ないじゃないですか。しかも、犯人はハリーに拳銃を向けようとしたんだから正当防衛でもありますよね。」
「さっきのやり取りを見ていたのか?
まあ、状況は慎吾の言う通りなんだが、問題は犯人が拳銃を俺に向けた経緯だ。
俺は、奴に俺がハッタリを掛けたと誤解するように振る舞ったんだ。俺の拳銃には残弾が1発残っていたんだが、奴には俺が残弾があるのかないのか分からないが、静かに逮捕された方がいいぞいう意味のことを言った。さらに、俺が焦っているという演技もした。拳銃には弾がないから、勢いで脅していると犯人に思わせたんだ。
奴はきっと拳銃を拾って俺を撃とうとするだろうと思ったんだ。
何しろあいつは捕まったらおしまいだ。命を懸けても俺に反撃して逃げる必要があった。」
「それはそれでいいじゃないですか。」
「俺は以前銀行強盗に同じような台詞を言って、ハッタリを掛けたことがあった。あのときは、ハッタリが効くという自信があった。つまり、射殺する気はなかったんだ。」
「ああ、あのシーンですね。」
「知っているのか?
慎吾があのときに側にいたという記憶はないが。」
「いえ、知っているとう言うだけで、その場にいたわけではありません。」
「そうか。深くは聞かないよ。
話しを戻すが、今回はハッタリじゃなかった。俺の拳銃の弾倉には1発弾薬が残っていることを俺は知っていた。
俺は、ミランダ警告の必要性も合衆国憲法修正5条も理解している。しかし、あの犯人には、そんなものは必要ない。今でも1発しか撃てなかったことが残念なくらいだ。
俺が複雑な心境だってのは、犯人にこういう明確な殺意を持ったということなんだ。
警官ってのは、強い権力を持っているし、その権力の中には武器使用も含まれている。しかし、その武器使用は、人命や警官自身を守るべきときに認められるべきだ。
今回は、外形的には俺の正当防衛が成立しているように見えるが、警官である俺が使用可能な拳銃を所持しており、犯人は被弾して拳銃を落としていて恐らく丸腰の状態だった。だから、俺はハッタリをかます必要がなかった。
俺は拳銃を構えていたんだから、犯人がどれほど早撃ちであっても俺の方が先に発砲できた。俺が狙いを外すか弾薬が不発だったという可能性もあるが、どちらも限りなくゼロに近い確率だろう。
つまり、俺は警官の権力を不当に使い、合法的に殺人を犯した。そして、俺はそれを後悔していない。
だが、警官としては一線を越えた。
これは、賄賂を受けとるより悪い。」
「それでバッチを捨てたんですか?」
「それも見られていたのか。
そうだよ。
これから警官を辞職するかどうかはよく考えるが、少なくても俺は俺がこうあるべきとしていた警官ではなくなったのさ。」
「なるほど。そうだったんですか。
でも、私はハリーの考えに賛成ですよ。
あなたは立派な警官で、市民を守っている。」
「ありがとう。
そう言われるとうれしいよ。
サイレン音が近づいてきた。奴らが来たら慎吾との会話ができなくなるな。」
「私はそろそろ戻ります。
ハリー、今後も警官を続けてくださいね。
戻せ、メフィスト!」
