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奪われた色を未来に返す #未来のためにできること

小学三年の秋。運動会の思い出を絵にした。駆け抜けた校庭を青や黄、ピンクで点描すると、色を重ねるたび胸が弾んだ。

「グランドはそんな色じゃない」覗き込んだ担任が言った──結局、校庭は茶色に塗りつぶされた。

「どうしてピンクじゃいけないの?」

悔しさは胸に刻まれ、子どもの色を奪う大人にはならないと誓った。
しかし家庭でも色は失われた。虐待と支配の中で自分を殺し、心は灰色に沈む。重度のPTSDを抱え、数十年にわたり治療を続けることになった。

ある日、精神科の主治医が言った。

「茶色が当たり前?それがどうした!」
「君は黄色でも、ピンクでもいいんだよ」

そうだ、「私」は私。ピンクで生きていいんだ。

56歳で、私を育て未来に繋ぐため大学に進学した。

臨床心理学では苦しみと向き合う方法を学び、発達や知覚心理学では人が育つ環境の大切さを知った。学びは失った時間を塗り替える新しい色となり、私を少しずつ取り戻していった。

そして「奪われた色を返す」という思いが、生きる原動力となった。

いま私は保育の現場にいる。65歳のおひとり様が、70人の孫の中で過ごす毎日は色彩のパレットだ。

「先生、見て!」隼人くんが赤いロボットの絵を差し出す。
「かっこいいね。でもお友達がいたらもっと楽しいかも」──小さな手が再び動き、青空に虹色の友達ロボットが飛び出した。

皆んなに人気のロボット

別の机では折り紙や空き箱が宝箱やカードに変わっていく。ジョキジョキと箱を切り、色紙をちぎってペタペタ。机の上は紙くずと糊の跡だらけ。でもその混沌こそ、子どもたちの「未来の残像」だ。

「青のチューリップの隣にバラ、じゃぁリボンかける?」
「お婆ちゃんにあげるの!ピンクの向日葵も描いて、リボンは赤!」

色と物語が広がり、世界が更新される。小さな指先が生む想像力は、かつて失われた私自身の色を映しているようだ。

「先生 天才!」声の上がったダンボールのケーキ

否定された人生も、病も私は無駄にはしない。虐待にさらされて育ったからこそ知っている、暴力やネグレクト、貧困や過度な教育で、子どもたちの心から「色」が奪われてしまう現実を。奪われた心に色を取り戻すことは、かつての私自身への救済であり、未来への贈り物でもある。

私は、自分の色で生き、子どもたちと未来を描き足していく。かつての私が失った色を、子どもたちに返すために。

──私は、ピンク色の校庭を駆け抜ける。



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