渋谷すばるさんに勧めてもらった本を読む。
本を読む。なんて、いつ振りだろう。
思い出せる記憶では、ちびっこ吸血鬼シリーズにどハマりして毎日のように図書館へ通っていた小学生の頃。そこから今日まで30年。
30年もの間、本をまともに読んでいない…だと?恥ずかしい!あまりにも恥ずかしすぎる!
30年も本を読まなかった私がなぜ、「星を掬う」を完読するところまでたどり着いたのか。
そもそもなぜ、本を買うというハードルをサクッと越えられたのか。
始まりは渋谷すばるくんがbubbleでお勧めしてくれたことでした。
すばるくんがbubbleというファンとのコミュニケーションツールで本の写真と一緒に「たまらん。最高。すごい。」という感想を送ってくれたのがこの小説との出会いです。(言わずもがな私は渋谷すばるさんのファンです)
すばるくんは今回だけでなく自分が読んだ本をお勧めしてくれることがあります。前回は「ほ〜」という感じだったのですが、今回は「あ、これ読まなきゃ」と。心にピン!ときたのです。
読んでみようかなとか、読みたいな、とかではなく読まなきゃだなんて。何かに導かれるような…と言うとスピってるみたいでゾワッとしますが。なんとなく活字に触れたい欲があったような。単純に、推しが推してくれてる本を読みたい。それだけだった気もします。
次の日、私は本屋さんへ向かいました。自転車を走らせながらふと、思い出しました。フラッと入ったお店に心を鷲掴みにされてその次の日に履歴書を握りしめ「ここで働かせてください!」と懇願した21歳の私を。心がピン!ときたものは100%当たりです。天職でした。
しかし、本屋さんで「星を掬う」を手に取り裏表紙を読んだところで、「あ、やっぱこれやめよう」と考えました。
ー傷つけながらも求め合う母娘の再生物語ー
これはアカンやつ。きっと心が引っ張られて数日は戻ってこれなくなる。そうすると家族に迷惑をかけてしまうかもしれない。内容によってはあり得る。
良くも悪くも影響を受けやすい性格のため、映画やドラマを見始めるときにも、あらすじなどを読み、ハッピーかそうじゃないかというところで、見るか見ないかをジャッジします。
一旦、本棚に戻して本屋さんを一周しました。
「やっぱり読みたい」
私は私の「〜したい」に甘い。頭がやめときなって言っているのに、心が求めていることを優先してしまうのです。
後悔なら後からしよう。とアホみたいな事を考えながら、ホクホクとした気持ちでお会計をしました。
読み終えた今、この本は
私を掬ってくれる一冊となりました。
すばるくんがbubbleで「もし読んだら、読書感想文を提出してください」と言ってくれていたので、
私は原稿用紙のマス目を無視してデカデカと
この本に出会わせてくれた渋谷すばるさんに、
心より感謝いたします。
と書いて提出します。
案の定、内容に引っぱられて普段こんな風な話し方をしない私がカクカクとした文章を綴っているわけですが。
心を引っ張られ、何度も涙に溺れて先が読めない状態になりながらも読み終えた今。頭が「この本に出会えて本当によかったね」と言い、心がドヤ顔をしております。当然、後悔など1mmもありません。もちろん家族にも迷惑はかけておりません。
これを渋谷すばるくんに「感想文です」と言って提出しますが、以下、感想文とは言えない様な個人的な身の上話です。
去年の暮れに、私は夫の母(つまりは義母)を亡くしました。
病気で、70歳の若さでした。
義母は、母娘の再生物語に出てくる聖子さんと似た病気の症状があり、聖子さんの病状が進行していく姿は義母と重なってみえました。(あらかじめ断っておきますが、義母と私の関係性は主人公の千鶴と千鶴の母、聖子さんのそれとは異なります)
義母の病気が発覚してから亡くなるまで、亡くなった後も、自分なりに考え行動してきたことに「もっとできることはあったはず」と自分の無知や至らなさを後悔するばかりです。
主人公の千鶴のように、その都度どう思っていたのか、私も義母の気持ちが知りたかった。
初めて聞いた病名、初めての介護、分からないことばかり、試行錯誤する日々の途中で義母の病状が悪化し、お医者さまから命の期限が告げられました。いつかは来ると説明は受けていましたが、こんなに早くにその時が来るとは思ってもいません。穏やかに、しっかりと私たち夫婦の目を見て話してくれているお医者さまが、一体誰の話をしているのか分からなくなりました。なんでどうして何のせいで?どうしていればこんな事にならなかった?と、現実と向き合うことは本当に難しく、無知ゆえに危機感が無さすぎたことも、後悔の種でしかありません。何かのせいにしないと心の置き場所が分かりませんでした。そのうちに食事はおろか、水も飲めなくなってしまった義母は施設から病院に移りました。ママ(私は義母をママと呼んでいました)はこの病気をどう受け止めてる?私たちはどうしたらいい?ママは本当はどうして欲しい?ママが好きな〜〜のケーキまた一緒に食べようよ。〇〇(孫)に彼氏ができたよ!△△(孫)は受験勉強がんばってるよ!話しかけても返事はありません。でも時々クスッと笑ったように感じる時がありました。
手をそっと握ると、ギュッと握り返してくれました。嬉しく思ってくれてるのかな。そう感じてママが起きている日は手を握って話しかけるようになりました。帰ろうと手を離そうとするとママの手に力が入ります。「まだ帰ってほしくない?」と聞くと、ギュッとさらに力が込められたように感じました。よくよく調べると病気の症状で反射的にそうなるとも。
目を見て話を聞いてくれる日もあれば、窓の外から視線を変えてくれない日もあったり、移動すると目で追ってくれる日もあれば、まったく起きる気配のない日もありました。
星を掬うを読み進めていくうちに私が見てきたママと、文章で語られる聖子さんの姿が重なりすぎて胸がヒリヒリと痛みます。
千鶴と違って、私はママの気持ちは永遠に分からないままです。
これは誰にも話していないのですが、亡くなった数日後、夢にママが出てきてくれました。
「〇〇ちゃん、ありがとう」と一言だけ。その笑顔と声は今でもはっきりと覚えているのに、日が経つにつれて自分の脳がみせた都合の良い夢なのではないかと思うようになりました。
できることは全て試したつもりなだけで、もっとできることはあったと、あの時ああしていれば、こうしていれば、こんなに早くに亡くなることはなかったんじゃないかと、いちばんそう思っていたのはきっとママだよねと、後悔ばかりがどんどん溢れてくるのです。
ですが星を掬うと出会い、この中であの時のママを見つけました。
物語の中には、病を患った聖子さんの心の内も描かれていて、まるでママが私に語りかけてくれているように感じました。
それこそ都合の良い夢でしょうか。そうだとしても、ママがこの本を通して教えに来てくれたような気がして仕方がないのです。
我ながら自分勝手な解釈だとも思います。聖子さんはママではないことも分かっています。都合の良い夢だと言われても、思い込みの激しい奴だと言われても、スピッているとバカにされても、私は私の心がピン!ときたものに外れはないことを知っています。
ただ、本当のことはこの先も一生、知ることはできません。それが現実です。
自分にできたことはもっとあったはずだと後悔する気持ちも0になったわけではありません。
そもそも私がママにもっと何かしてあげられたなんて思うこと自体、おこがましいことかもしれませんが…
ですが、ほんの少しママの心に触れられた気がして、毎日少しずつこぼれ落ちていくものが掬われていくような気持ちになりました。
この本と出会えてよかった。
読みながら何度も思いました。
読みながら何度もママに話しかけました。
ママは幸せだった?
答えは返ってこなくても、虚しくはありません。
この本と出会い、私の心はいくぶん掬われたのです。
最後に。
少しくらい個人的な話から離れて感想文らしい感想文を提出しようと思いましたが、30年本を読んでいない私では、どうがんばっても、この小説が持っている生命力を証明する文章が書けません。
終いにはつべこべ言わずに読んでくれ!と雑に言い出す自分が簡単に想像できます。
ただただこの本と出会わせてくれた渋谷すばるくんに、ありがとうございますと感謝の気持ちでいっぱいなことだけ。
すばるくん!本当にありがとう!
2026.06.22
