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縁は異なもの味なもの

縁とは、本来きわめて不思議なものである。
人はしばしば、縁を「始まった」「終わった」という二分法で捉えがちだが、
実際の縁は、そんなに単純なものではない。

「縁は異なもの味なもの」という言葉は、
もともと男女の結びつきが、理屈や計算では予測できない不思議な力――
つまり「異な」ものによって生まれ、
あとから振り返ってみれば、どこか味わい深い――
「味な」ものとして立ち現れてくることを表したことわざである。

だが、この言葉が示している本質は、
男女の関係に限られたものではない。


人との出会いも、別れも、再会も、
多くは意図や計画の外側で起こる。
ある時期には自然と離れ、
ある時期には、何事もなかったかのように再び交わる。
縁とは、一直線に続くものでも、完全に断ち切れるものでもなく、
時間の中で温度を変えながら存在し続けるものなのだろう。


実際、私は中学校時代の同級生と、
地元に帰省した際にたまたま寄ったコンビニで、三十年ぶりに再会したことがある。
それをきっかけに、途切れていた旧友との縁が再び温度を取り戻し、
当時は想像もしなかった新たな出来事が、静かに動き始めた。

縁とは、不思議なものだ。
死別でない限り、縁があれば、また会うこともある。
会わなければ、それはそこまでの縁だったというだけの話だ。

そこに、良し悪しも、得失も、本来は存在しない。

しかし、若い頃の私は、そうは考えられなかった。
一度縁が切れてしまえば、それは二度と戻ることのないものだと、
どこかで勘違いしていたのだと思う。
だからこそ、失うことを恐れ、
去るものを追い、縁を手放すことに過剰な意味を与えていた。

だが、さまざまな経験を重ねる中で、
その前提そのものが誤りだったのではないかと、次第に思うようになった。
縁は、引き寄せるものでも、繋ぎ止めるものでもない。

近づくこともあれば、離れることもある。
ただ、それだけのことなのだ。

この距離感を受け入れられるようになってから、
人間関係は、驚くほど楽になった。
縁を操作しようとすることをやめ、
縁に意味を与えすぎることをやめたからだ。


縁は、選ぶことはできない。
だが、縁とどう向き合うか、
どう執着し、どう手放し、どう受け止めるか――
その姿勢だけは、選ぶことができる。

だからこそ、縁は
異なものであり、
味なものなのである。


だから私は今日も、
もしかしたら、誰かとまた会えるかもしれない――
そんな縁を、静かに楽しみにしながら生きている。

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