【洗心考】外伝 急がず、止まらず ― 水が教えてくれる「歩み続ける力」 ―
自然に学び、古典に学び、人に学ぶ。
そして、自分自身に問い続ける。
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第一部 木の葉の下をくぐるとき
江戸時代の文人・伴蒿蹊の著書『近世畸人伝』に、こんな歌があります。
末ついに 大海となるべき 山水も
しばし木の葉の 下くぐるなり
後に、元首相の田中角栄が座右の銘の一つとし、多くの若者へ贈った言葉としても知られる一首です。
私は、この歌を思い出すたび、水の長い旅路を思い浮かべます。
やがて大海となる山の水も、最初から大河ではありません。
山の奥深くで生まれた一滴の水が、木の葉をくぐり、岩間を流れ、誰にも知られない長い旅路を経て、やがて大海へと至るのです。
最初は、人の目に触れることもない、小さな流れです。
ときには地中へ染み込み、ときには岩に行く手を阻まれ、ときには木の葉の下を流れ、誰にも気づかれることなく進んでいきます。
しかし、水は、その歩みを止めません。
だからこそ、小さな流れはやがて大河となり、ついには大海へと至るのです。
人もまた、同じではないでしょうか。
誰の人生にも、木の葉の下をくぐるような時期があります。
努力しても結果が見えない時。
誰にも理解されず、評価もされない時。
思うように前へ進めず、自分だけが取り残されているように感じる時。
けれど、その時間は本当に無駄なのでしょうか。
私は、むしろその時期こそが、人としての根を張り、器を育てている時間なのではないかと思うのです。
今はまだ、小さな一滴に過ぎないかもしれない。
しかし、その一滴は確かに流れている。
そして、その流れは、やがて大海へとつながっていくのです。
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第二部 即席は所詮、即席
現代は、とても便利な時代になりました。
知りたいことは、すぐに調べることができます。
欲しいものは、翌日には手元に届きます。
遠くにいる人とも、瞬時につながることができます。
その便利さは、私たちの暮らしを豊かにしてくれました。
しかし、その一方で、私たちはいつの間にか「すぐに手に入ること」に慣れすぎてしまったのかもしれません。
現代では、「タイパ」や「コスパ」という言葉をよく耳にするようになりました。
限られた時間やお金を有効に使うことは、もちろん大切なことです。
私自身も、それを否定するつもりはありません。
しかし、本当にそれがすべてなのでしょうか。
現代は、スマートフォンという便利なツールのおかげで、SNSを通して、見ず知らずの誰かの成功や華やかな暮らしを目にする機会が増えました。
若くして成功した人。
大きな富を手にした人。
多くの人から注目を集めている人。
その姿に憧れを抱く若者が多いのも、決して不思議なことではありません。
しかし、画面の向こうに映っているものが、その人の人生のすべてなのでしょうか。
それが本当の意味での成功なのかどうかは、私たちには分かりません。
水鳥が水面の上では優雅に泳いでいるように見えても、水面の下では必死に足を動かしているように、私たちが見ているのは、その人の人生のほんの一部分に過ぎないのかもしれません。
にもかかわらず、私たちはいつの間にか、その姿だけを見て自分と比べ、焦り、自分だけが遅れているように感じてしまうことがあります。
けれど、人にはそれぞれの流れがあります。
山の奥深くで生まれた一滴の水が、すぐに大海へ至ることがないように、人の歩みにもまた、それぞれに必要な時間があるのではないでしょうか。
人とのご縁。
信頼。
人格。
教養。
人としての器。
こうしたものまで、効率や費用対効果だけで測ることができるのでしょうか。
時間をかけなければ育たないものがあります。
遠回りをしなければ見えない景色があります。
そして、木の葉の下をくぐるような時期があるからこそ、人は深く根を張り、大きく育っていくのではないでしょうか。
私は、ときどきこう思うのです。
即席は、所詮即席なのではないか。
早く大きくなった木は、根が浅いことがあります。
けれど、長い時間をかけて深く根を張った木は、嵐にも耐え、大きく枝を広げていきます。
人もまた、同じではないでしょうか。
急がば回れ。
先人たちは、遠回りに見える道こそが、実は最も確かな道であることを知っていたのかもしれません。
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第三部 急がず、止まらず
水は、急ぎません。
しかし、決して流れることをやめません。
岩に行く手を阻まれれば、その形を変えます。
真っ直ぐに進めなければ、迂回します。
細い流れになっても、地中に染み込んでも、それでもなお、流れ続けます。
そして、長い歳月を経て、やがて大海へと至るのです。
やがて大海となる山の水でさえ、木の葉の下をくぐる時があります。
人もまた、誰にも見えない時間を経て、人としての器を育てていくのではないでしょうか。
すぐに結果が出なくてもいい。
誰かと比べなくてもいい。
今はまだ、小さな流れに過ぎないかもしれない。
けれど、その一滴は確かに流れているのです。
私は、人生で本当に大切なものほど、時間をかけて育まれるのだと思っています。
信頼も。
人格も。
教養も。
人とのご縁も。
そして、人としての器も。
一朝一夕には育ちません。
だからこそ、焦る必要はないのだと思います。
急がず。
けれど、止まらない。
たとえ今が木の葉の下であっても、一滴の水のように流れ続ける。
その歩みは、決して無駄ではありません。
水は、一夜にして大海になるのではありません。
長い旅路を経て、ようやく海へとたどり着くのです。
人の歩みも、きっと同じなのでしょう。
だから私は、今日もまた、この言葉を大切にしたいと思います。
急がず、止まらず。
答えを急ぐ時代だからこそ、積み重ねることを忘れずにいたい。
結果を求める時代だからこそ、目には見えない時間を大切にしたい。
あなたは今、木の葉の下を流れているでしょうか。
それとも、結果を急ぐあまり、自らの流れを止めてしまってはいないでしょうか。
共に学び、共に考え、共に心を磨く。
この記事が、皆さん自身の歩みを見つめ直す小さなきっかけになれば幸いです。
― 如水玄心
