見出し画像

【洗心考】其の十五 自分の持ち場を生きる

前回、私は「受け取った燈を、次へ」ということについて考えました。

私たちは、自分一人の力だけで生きているわけではありません。

誰かから言葉をもらい、誰かに支えられ、誰かの背中から何かを学びながら生きています。

そして、受け取ったものを自分の中だけで終わらせるのではなく、今度は誰かへ渡していく。

それが、受けた恩を無駄にせず、「恩を活かす」ということなのではないか。

では、私たちは一体、どこでその燈をともせばいいのでしょうか。

私は、それぞれに「自分の持ち場」があるのだと思います。


自分らしく生きるということ


現代では、「自分らしく生きる」という言葉をよく耳にします。

自分の好きなことをする。

自分の価値観を大切にする。

他人の目を気にせず、自分の人生を生きる。

どれも大切なことだと思います。

人生は一度しかありません。

自分の人生を誰かに決めてもらうのではなく、自分自身で考え、自分自身で選ぶことは大切です。

ここで一つ考えてみたいことがあります。

「自分らしく生きる」とは、自分の好きなことだけをして生きることなのでしょうか。

私は、そうではないと思います。

自分で選んだ人生には、自分で引き受けなければならないものもあります。

自由には責任が伴います。

権利を求めるなら、同時に果たすべき役割もある。

自分の人生を大切にするのであれば、その人生の中で、自分が誰かに与える影響についても考えなければならない。

「自分らしく生きる」という言葉の先には、

「では、自分は何を引き受けて生きるのか」

という問いがあるのではないでしょうか。


理想と現実の間で


社会に出て間もない頃には、大きな理想を抱いていた人も多いと思います。

こんな仕事がしたい。

こんな人間になりたい。

こんな人生を歩みたい。

若い頃には、誰もがそれぞれの夢や理想を持っているものです。

しかし、社会人として経験を積むほど、少しずつ現実を知っていきます。

生活のためにはお金が必要です。

家族ができれば、自分の思いだけで人生を決めることも難しくなります。

組織の中で働けば、自分一人の考えだけでは動かせないこともあります。

「本当はこうしたい」と思っていても、

「現実には、こうするしかない」

と判断することもあるでしょう。

多くの人が、生きていくために、理想と現実の間で折り合いをつけながら生きているのだと思います。

それは、決して悪いことではありません。

現実を知り、責任を引き受けることも、大人として生きるということだからです。

理想を最後まで貫いて生きることは、決して簡単なことではありません。

けれど、

理想を貫けないことと、理想を失うことは同じではない。

私は、そう思います。

理想を現実に合わせて形を変えることはあってもいい。

夢を諦めざるを得ないこともある。

進みたかった道から外れることもある。

それでも、自分が何を大切にして生きたいのか、その軸まで手放す必要はありません。

現実と折り合いをつけることと、自分自身を失うことは同じではないのです。


人には、それぞれの持ち場がある


「持ち場」という言葉があります。

自分が受け持っている場所や役割を意味する言葉ですが、私はもっと広い意味で捉えています。

家庭、職場、地域。

あるいは、誰かを支えるという関係性そのもの。

今、自分が立っている場所すべてが、自分の「持ち場」なのだと思います。

それは、誰かから与えられた役割を黙って果たすことではありません。

同じ家庭にいても、家族にどう向き合うかは人によって違います。

同じ職場にいても、仕事にどんな姿勢で向き合うかは違います。

同じ地域に暮らしていても、周りの人にどう接するかは違います。

場所が人を決めるのではなく、その場所でどう生きるかが、自分の持ち場をつくっていくのです。

だから、立派な肩書がなくてもいい。

大きな仕事をしていなくてもいい。

人から注目される場所でなくてもいい。

自分が今いる場所で、できることを一つずつ果たしていく。

それだけでも、その場所には確かな意味が生まれます。


損得だけでは測れないもの


今の時代、物事の価値を「どれだけ得をするか」「どれだけ稼げるか」という尺度で測ることが多くなったように思います。

仕事を選ぶときも、

どれくらい給料がもらえるのか。

どれだけ昇進できるのか。

将来、どれだけ成功できるのか。

自分にどんなメリットがあるのか。

もちろん、生活していくためにはお金が必要です。

より良い待遇を求めることも、成功を目指すことも、決して悪いことではありません。

ただ、それだけを基準にしてしまうと、

「自分は、この場所で何を果たすのか」

という問いが、いつの間にか置き去りになってしまいます。

本当の価値は、必ずしも数字に表れるものばかりではありません。

誰かの役に立ったこと。

誰かに感謝されたこと。

誰かとの信頼を築いたこと。

自分自身が成長したこと。

そして、自分がいなくなったあとも、誰かの中に残るものをつくったこと。

それらは、給料明細にも、肩書にも、数字にも表れないかもしれません。

だからこそ、

「どれだけ得をしたか」だけではなく、「何を与えたか」

という視点も持っていたい。

自分の持ち場とは、利益を得るためだけの場所ではありません。

自分が誰かの役に立ち、自分自身もまた成長していく場所なのです。


急がば回れ


現代は、何事においても「早く結果を出すこと」が求められます。

効率よく。

無駄なく。

最短距離で。

できるだけ早く成功する。

それ自体が悪いわけではありません。

しかし、人間の成長まで同じように考えてしまうと、少し違ってくるのではないでしょうか。

目の前の仕事を丁寧にする。

人との信頼を積み重ねる。

失敗から学ぶ。

一つのことを続ける。

そうした時間は、すぐには数字にならないかもしれません。

けれど、その積み重ねが、やがて自分の中に「型」をつくる。

そして、その型を何度も磨いていくことで、少しずつ「軸」が生まれていく。

型も軸も、一足飛びには身につきません。

昔から「急がば回れ」という言葉があります。

一見すると遠回りに見えることの中にこそ、後になって自分を支えるものがある。

目先の結果だけを追いかけるよりも、目の前のことを一つひとつ丁寧に積み重ねる。

その時間が、やがて自分自身をつくっていく。

急いで結果を取りに行くことが、必ずしも人生の近道とは限らないのです。


やりたいことと、やるべきこと


「やりたいことを仕事にしよう」

「好きなことをして生きよう」

そうした考え方も、今の時代には広く受け入れられています。

自分の人生を、自分の意思で選ぶことは大切です。

けれど、人生には「やりたいこと」だけではなく、「やるべきこと」もあります。

家族を支えること。

約束を守ること。

仕事に責任を持つこと。

困っている人に手を差し伸べること。

自分の間違いを認めること。

誰かに迷惑をかけたなら、謝ること。

こうしたことの中には、必ずしも「やりたい」と思えるものばかりではありません。

それでも、自分が引き受けるべきことがあります。

私は、そこに人間としての成熟が表れるのだと思います。

やりたいことだけを選ぶのではなく、やるべきことも引き受けたうえで、自分の人生を生きる。

その姿勢こそ、本当の意味で自分の人生を生きるということなのではないでしょうか。


持ち場を離れることも、また選択である


もちろん、一度引き受けた場所に、いつまでも留まり続けなければならないということではありません。

環境を変えることも必要です。

仕事を変えることもある。

人間関係から距離を置くこともある。

新しい場所へ進むこともある。

それもまた、自分の人生に責任を持つということです。

大切なのは、

「たんに今いる場所が嫌だから離れる」のか、
「自分が進むべき場所へ向かうために離れる」のか。


その違いを、自分自身に問いかけることではないでしょうか。

どこへ行っても、また新しい持ち場が生まれます。

場所を変えても、責任がなくなるわけではありません。

環境が変わっても、自分自身はついてきます。

だから、場所を変える前に、自分自身と向き合うことも必要なのだと思います。


小さな持ち場を、大切にする


世の中には、目立つ仕事があります。

多くの人から評価される仕事もあります。

大きな成果を上げれば、称賛されることもあるでしょう。

社会は、そうした目立つ仕事だけで成り立っているわけではありません。

毎朝、誰かが掃除をしている。

誰かが家族の食事をつくっている。

誰かが子どもを育てている。

誰かが高齢者を支えている。

誰かが見えないところで仕事をしている。

その一つひとつが、社会を支えています。

例えば、職場の共有スペースが散らかっていたら、誰に言われなくても黙って片付ける。

誰にも気づかれない資料の誤字を見つけたら、そっと直しておく。

誰かが困っているときには、ほんの少し手を貸す。

どれも、大きなことではありません。

けれど、こうした小さな行動の積み重ねが、職場や人間関係の空気をつくっていきます。

目立つことと、価値があることは同じではありません。

誰にも見られていない場所で、誰かのために尽くしている人がいます。

誰にも褒められなくても、自分の役割を果たしている人がいます。

そういう人たちの存在によって、社会は静かに支えられているのです。

自分の持ち場を恥じる必要はありません。

大きさではなく、そこでどう生きるかが大切なのです。


一隅を照らすということ


前回まで、私は「一燈照隅」という言葉について考えてきました。

今回、「持ち場」ということを考えてみて、改めて思うことがあります。

一隅を照らすとは、特別な場所へ行くことではない。

今、自分が立っている場所。

自分が引き受けている役割。

自分の目の前にいる人。

そこに、自分の燈をともすことなのではないでしょうか。

家庭にいるなら、家庭を照らす。

職場にいるなら、職場を照らす。

地域にいるなら、地域を照らす。

そして、たとえ誰にも見られていなくても、自分の持ち場を誠実に生きる。

その一つひとつが、一隅を照らすということなのだと思います。


おわりに


人は、ときに「もっと大きなことをしなければ」と思います。

もっと成功しなければ。

もっと認められなければ。

もっと社会に貢献しなければ。

けれど、本当に大切なのは、まず今、自分が立っている場所を大切にすることなのではないでしょうか。

理想通りに生きられなくてもいい。

思い描いていた人生とは違う道を歩くことになってもいい。

現実と折り合いをつけなければならない時もある。

それでも、自分が何を大切にして生きたいのか、その軸まで手放す必要はありません。

自分の持ち場を見つめる。

そこで自分にできることを考える。

やるべきことを引き受ける。

そして、目の前にいる人を大切にする。

それだけでも、人生は少しずつ変わっていきます。

大きなことを成し遂げなくてもいい。

誰かに認められなくてもいい。

ただ、自分の持ち場で、自分の燈をともす。

その小さな燈が、誰かの心を照らすかもしれない。

そして、その人がまた、自分の持ち場で燈をともすかもしれない。

そう考えると、私たち一人ひとりの持ち場には、思っている以上の意味があるのではないでしょうか。

自分の持ち場を生きる。

それは、与えられた人生をただ受け入れることではありません。

自分のいる場所を、自分の生き方によって意味ある場所にしていくことです。

今日も、自分の立つ一隅に、静かに燈をともしていきたいと思います。

― 如水玄心

いいなと思ったら応援しよう!