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【洗心考】其の二 変えてはならないもの、守るべきもの― 水が教えてくれる「軸」の生き方 ―

自然に学び、古典に学び、人に学ぶ。
そして、自分自身に問い続ける。



第一部 水は姿を変えても、本質を失わない


前回、私は王陽明伝として伝えられる「水五訓」をご紹介しました。

「如水玄心」という号を掲げて最初にこの教えを取り上げたのは、決して偶然ではありません。

水は、私が理想とする生き方を教えてくれる存在だからです。

水は、自ら低きに流れます。

器に従って姿を変えます。

激流となることもあれば、静かな湖面のように穏やかであることもあります。

しかし、どれほど姿を変えようとも、水は水であることを失いません。

王陽明伝として伝えられる水五訓の最後には、こうあります。

「洋々として大海を充し、発しては雨となり雲と変じ、凍っては玲瓏たる氷雪と化す。而もその性を失はざるは水也。」

水は、雨となり、雲となり、氷雪となります。

姿は変わります。

しかし、その本質は変わりません。

私は、この一節を読むたびに、一つの問いが浮かびます。

私たちは、変わるべきものと、変えてはならないものを見失ってはいないだろうか。

現代は、変化の時代と言われます。

新しい価値観。

新しい技術。

新しい生き方。

時代の変化に合わせて、自らも変わっていくことは大切です。

しかし、その一方で、私たちは静かに問い直す必要があるのではないでしょうか。

変えるべきものと、変えてはならないもの。

手放すべきものと、守り続けるべきもの。


その境界を、私たちは見失ってはいないでしょうか。

人は、能力が足りないから道を誤るのではありません。

自分の軸を失ったとき、進むべき方向を見失ってしまうのです。

だからこそ、私はこの問いを皆さんと共に考えてみたいと思います。

「人は、何を変え、何を守り続けるべきなのか。」


第二部 型があるから、人は自由になれる


歌舞伎役者・十八代目中村勘三郎氏は、こんな言葉を残しています。

「型があるから型破り。型がなければ形無し。」

私は、この言葉は歌舞伎の世界だけではなく、人の生き方そのものを表しているように思います。

「型」と聞くと、古くて窮屈なものを思い浮かべる方もいるかもしれません。

しかし、本来の型とは、人を縛るためのものではありません。

人を育てるための土台です。

茶道、武道、華道をはじめ、日本の伝統文化には「守破離」という考え方があります。

まずは先人から受け継がれてきた型を学ぶ「守」。

その意味を理解し、自ら工夫を重ねる「破」。

そして最後に、型に縛られることなく、自分自身の境地へ至る「離」。

つまり、本当の自由とは、型を身につけた先にあるものなのです。

型を持たない自由は、本当の自由ではなく、ただ風に流される根無草なのかもしれません。

現代は「自分らしく生きること」や「自由であること」が大切にされる時代です。

もちろん、それは大切な価値観です。

しかし、同時に問いかけたいのです。

その自由を支える「軸」は、しっかりと育まれているのでしょうか。

最近、私はお金を人生の軸にする人が増えているように感じます。

もちろん、お金は生きていくうえで大切なものです。しかし、お金は本来、人生を支えるための「手段」であって、「目的」そのものではないはずです。

そして、その行き着く先の一つが、「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮なのかもしれません。

私は、人として大切にしなければならないものこそが、人生を支える「根」であり、「軸」なのだと思います。

礼節や思いやり、義や志、誠実さ――そうした目には見えないものがしっかりと根を張っているからこそ、人は人生という樹をまっすぐ育てていくことができます。

そして、お金は「葉」のようなものです。

根をしっかり張っているからこそ、幹は育ち、葉は豊かに茂り、やがて実を結ぶのです。

しかし、葉だけが繁り、根が痩せ細っていたり、失われてしまえば、どれほど立派な樹に見えても、少しの風で倒れてしまいます。

人として大切なものという「根」と、お金という「葉」。その両方があってこそ、本当の豊かさは実るのではないでしょうか。

水は器に合わせて姿を変えます。

流れを変え、雨となり、雲となり、雪となり、氷にもなります。

それでも、水は水であることを失いません。

人もまた、時代に合わせて変化することは必要です。

しかし、自分が何を大切にして生きるのかという軸まで失ってしまえば、その変化は成長ではなく、時代の流れの中で自分自身を見失い、漂流することになってしまうのではないでしょうか。

私は以前、「型を失った日本人」という記事を書きました。

その中で、「型があるから型破り。型がなければ形無し」という言葉を通して、日本人が受け継いできた精神文化について考えました。

今も、その問いは私の中にあります。

しかし、これは日本人だけの問題ではありません。

人は誰でも、自分の軸を失えば、自分らしく歩むことが難しくなるのではないでしょうか。

例えば、

仏教が説く「慈悲」。

儒教が説く「礼」。

武士道が説く「義」。

陽明学が説く「致良知」。

これらは単なる過去の遺産ではなく、時代や思想の違いを超えて、人が人として生きるための「軸」を示してきた知恵なのではないでしょうか。

もちろん、答えは一つではありません。

だからこそ、一人ひとりが自分自身に問い続けることが大切なのだと思います。

自分にとって、変えてはならないものは何なのか。

未来へ守り伝えていきたいものは何なのか。


日本人が今、取り戻すべきものは、新しい価値観ではないのかもしれません。

時代が変わっても変えてはならない「型」と「軸」。

その土台があるからこそ、人は安心して変化できる。

水が姿を変えても水であり続けるように、私たちもまた、時代に応じて変化しながら、本質だけは失わずに歩んでいきたいものです。


第三部 変えてはならないもの、守るべきもの


水五訓は、最後に私たちへ大切なことを教えてくれています。

水は、姿を変えることを恐れません。

しかし、本質を失うことはありません。

ここに、私たちが学ぶべき生き方があるように思います。

現代は、変化することが求められる時代です。

しかし、変化することだけを追い求めれば、本当に大切なものを見失うことがあります。

だからこそ、私たちは問い続けたいのです。

変えてはならないものは何か。

守るべきものは何か。

その答えは、人によって違うでしょう。

家族かもしれません。

志かもしれません。

信念かもしれません。

あるいは、先人から受け継いできた文化や精神に、その答えを見いだす人もいるでしょう。

大切なのは、誰かの答えをそのまま借りることではなく、自分自身の心に問い続けることなのだと思います。

この記事を書きながら、私自身もまた、自分の「軸」とは何かを問い続けていました。

だから、この文章は答えを示すものではありません。

私自身もまた、皆さんと共に考え続けたい一人です。

水は姿を変えます。

しかし、その性を失いません。

では、私たちはどうでしょうか。

時代が変わり、環境が変わり、生き方が変わっても、なお変えてはならないものは何でしょうか。

そして、未来へ守り伝えていきたいものは何でしょうか。

その問いを持ち続けることこそ、自分自身を磨き続ける道なのかもしれません。

答えを求める時代だからこそ、私は問いを大切にしたい。

「洗心考」は、古典や歴史、日々の出来事を通して、人としての在り方を共に考えるための随想です。

共に学び、共に考え、共に心を磨く。


この記事が、皆さん自身の「軸」を見つめ直す小さなきっかけになれば幸いです。

― 如水玄心

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