終戦から7年後、何が起きたのか
――竹島問題を「領土」ではなく「国家責任」から考える
島根県は、江戸時代に描かれたとみられる竹島(当時は松島)の絵図や、
日本人が幕府の許可を得て竹島で漁業を行っていたことを示す文書など
計71点の史料を取得したと発表した。
これらは「竹島が古くから日本人の活動の場であったことを示す第一級の史料」であるという。
(2026年1月14日報道)
今回の発表は、
「竹島は日本固有の領土か」という議論に
史料という重さを加えるものだ。
だが、私がこのニュースで考えたいのは
「どちらの国のものか」ではない。
竹島が歴史的に見ても日本の領土であることは、
過去の史料等によっても明らかだからだ。
問題は、その明らかな領土で、
国家が国民を守れなかった現実だ。
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問題は、終戦から7年後に起きた現実である
日本が敗戦し、主権を回復して間もない1952年。
まだ自衛隊すら存在せず、
日本が実質的な防衛力を持たなかった時代に、
韓国は軍隊を動かし、竹島を占拠した。
その過程で、
日本人漁民が殺され
負傷し
拿捕・抑留された
これは歴史的事実である。
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防衛力を失った国家で、最初に奪われるもの
この出来事が示したのは、
「領土問題」以前の、もっと根源的な現実だ。
国家が防衛力を持たないとき、
国民の生命
財産
自由
人権
これらは、真っ先に踏みにじられる。
「力なき正義は無力なり」
理念は、
守る力があって初めて機能する。
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「話し合えばよかった」という幻想
後になって、私たちはよくこう言う。
話し合いで解決すべきだった
武力を持たない方が平和的だった
しかし、竹島が示した現実は違う。
防衛力を持たない国は、
話し合いのテーブルにすら立てない。
国際社会は善悪ではなく、
「力の空白」を見る。
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今回の史料が突きつけるもの
今回、島根県が発表した史料は、
江戸時代において
日本人が
国家の許可を得て
継続的に竹島を使用していた
ことを示している。
つまり、
日本は「主張している国」ではなく
「固有の領土として実際に支配していた国」だった
という事実を、記録で支える材料だ。
だがそれ以上に重要なのは、
その後、日本が守れなかった現実である。
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問いとして残したいこと
国家とは何か。
憲法とは何か。
平和主義とは何か。
それらを語る前に、
私たちは一度、ここに立ち戻る必要がある。
日本国民の
生命・財産・自由・人権を守るために、
国家は何を持つべきなのか。
竹島は、
過去の小さな島の話ではない。
守る力を失った国家で、
何が起きるのかを示した現実そのものである。
それは、現代の国際社会を見ても明らかだ。
