母との再会
今日の酒とつまみを買おうとサミットに出向いたら母とばったり鉢合わせた。彼女が家を出ていって十年ぶりだったが、一目見てぼくだとわかったらしい。
「本当に久しぶりね」
母は嬉しそうな表情をしていた。エコバッグを地面に置いて、ぼくを抱きしめた。周りの買い物客の視線が向けてくる。
「母さん、恥ずかしいよ」
「別にいいじゃない。久しぶりに会ったのよ」
母ははしゃいでいた。まるで推しのアイドルに偶然出会した若い女の子のように彼女は喜んでいる。
「それで、鉄平は今何をしているの?」
ぼくは何もしていないことを口にした。春に会社を辞めてからもう三ヶ月が経ち、そろそろ仕事を探さなければならないが、生活のリズムが狂い、社会復帰の足枷になっていた。
「そうなの」
母は心配する様子もなく言った。久しぶりに再会したことで有頂天になり、息子の心配など頭にもなかったのかもしれない。
「じゃあ、毎日暇なのね」
暇といえば暇だった。ニートのような生活を送り、食事も適当に済ましている。そのおかげで、体力も落ちて腹が弛んでしまった。
「今からうちにご飯でも食べにきなさいよ。久しぶりにお母さんの料理を食べさせてあげるから」
断る理由もなかったので、ぼくは頷いた。母の代わりにエコバッグを持ち上げ、サミットの出入り口へ向かった。そこには子どもを連れた男性が立っていた。ぼくよりも年上で、母よりも若かった。
「しんちゃん、迎えにきてくれたのね。ありがとう」
母は男性のもとへ急ぎ足で向かった。そして小さな女の子を抱き上げた。
「紹介するね、こちらは私の旦那の新造くん」
男性が軽く会釈した。ぼくも同じように頭を下げた。母は小さな女の子をあやしていた。
「鉄平くんはこの近くに住んでいるんだね」
「ええ、前の会社に通うのに便利だったし、都心に出るのも電車一本でらくですから」
「それわかるよ」と言って新造くんが頷いた。「この地区は本当に穴場だよ。結構自然も残っていて俺たちも気に入っているんだ」
母の新しい家族とぼくは閑静な住宅街を歩いた。新造くんがエコバッグを代わりに持つことになり、ぼくの両手は宙に浮いてしまった。ハーフパンツの片方のポケットには煙草とライターが突っ込んであるが、小さな子どもが近くにいるので吸えなかった。仕方がなく、ぼくは両手をポケットに突っ込み、ライターを握ったり、離したりした。
隣に立つ新造くんは自分の仕事について話していた。役所勤めで、口ぶりからも堅実そうな人柄が漂ってくる。ぼくの親父とは全く正反対だった。
目の前を歩く母は小さな娘を抱き上げて話しかけていた。小さな娘は母の肩越しにじっとぼくを見ていた。小さな親指を咥え、目が合うと視線を逸らし、そしてすぐにぼくの方に顔を向けてきた。
「名前は美咲って言うんだ」新造くんが言った。「今年で四歳になる」
ぼくはその名前に聞き覚えがあった。それは以前、母が飼っていた猫の名前だ。家の庭に迷い込んできた子猫を母が見つけて保護した。飼い主も親猫の姿も見当たらず、結局うちで飼うことになった。猫の美咲は母によく懐いていて、いっときも離れたがらなかった。夜の仕事に出かけるときもよく母のリュックの中に紛れ込むことがあった。そのたびにぼくが迎えに行き、少しばかりの小遣いをもらった。
「これはお父さんには秘密よ。絶対に見せちゃだめ。いいわね」
小遣いをくれたあと、母がよく言っていた。ぼくは強く頷き、家に帰ると猫の美咲はぼくの腕から飛び降り、家中を歩きまわった。母猫でも探すように彼女は母を見つけようとしていた。ぼくはその間に犬の貯金箱に小遣いを隠した。それから猫の美咲に餌をやった。
彼女はすぐに餌を平らげ、そして寂しそうな鳴き声をあげ、玄関に向かった。爪で戸を掻いた。
ぼくは彼女を抱き上げ、そっと背中を撫でた。気持ちはぼくも同じだった。子ども心に彼女の仕事がどんなものであるかは理解していた。十分な金があれば、母が体を売る必要もなかった。別にぼくは裕福な生活など望んでいない。ただ家に母がいてくれるだけでよかった。
「そうだ、てっちゃんお酒飲むかしら? うちには今一本もないのよ」
美咲を抱いたまま母が振り返った。母の腕の中で親指を咥えている彼女もぼくを見ている。
「飲むけど、今日は母さんの料理だけでいいよ」
「そんなに遠慮しなくていいわよ。久しぶりに会ったんだからお母さんに甘えなさいよ」
お母さんに甘える。昔の母の面影がふと脳裏に浮かんだ。当時は学校から帰るとすぐに母は夜の仕事に出かけていき、家には飲んだくれの親父と猫の美咲しかいなかった。冷蔵庫には母が作ったおかずがあったが、それは冷たく固い食感だった。今目の前にいる母は朗らかな笑顔を浮かべ、娘の美咲を抱きしめている。
ぼくは首を振った。彼女はぼくの母だったが、今は違う。新造くんの妻であり、美咲の母だ。
「お酒はいいよ」
「てっちゃん、どうしたのよ。あなたらしくないわね」
新造くんがぼくを見て、母の方に振り向いた。
「さくらさん、あれを鉄平くんに飲ませてあげよう」
「でも、あれはお偉いさんから頂いたものでしょ。あれって大切なとき以外には……」
「その大切なときが今だろう」と言って新造くんがぼくに微笑んだ。
「とにかく早くうちに帰ろう。美咲の体が汗でびっしょりだよ」
新造くんが母たちのそばにより、ハンカチで美咲の額を拭いた。美咲は小さな腕を伸ばして新造くんのシャツを引っ張っていた。
ぼくはハーフパンツの中でライターを握ったり、離したりを繰り返した。
