“高揚”という言葉を、15歳の私はまだ知らなかった
15歳の私は、
好奇心ばかりが先に育っている女子高生だった。
その頃、
31歳の男性と出会った。
編集者だった。
雑誌の記事を書き、
言葉で生きている人だった。
同世代の男の子たちとは、
何もかも違って見えた。
会話の運び方も、
沈黙の置き方も、
煙草に火をつける仕草さえ、
どこか“物語の中の大人”のようだった。
私はたぶん、
恋に憧れていたというより、
まだ知らない世界に触れたかったのだと思う。
初めて二人で会ったあと、
彼から分厚い手紙が届いた。
編集者が実際に使う、
一枚二百字詰めの縦書き原稿用紙。
それが十枚以上あった。
細く流れるような文字で、
ほとんど殴り書きみたいに、
びっしりと言葉が並んでいた。
十五歳の私には、
少し難しい表現も多かった。
その中で、
ひとつだけ、
妙に心に残った言葉がある。
「高揚」
彼はこう書いていた。
“17歳も年の離れた君と会って、
自分がこんなに高揚していることに驚いた”
私は急いで辞書を引いた。
高揚。
気分が高まること。
心が浮き立つこと。
その意味を読んだ瞬間、
体の奥のどこかが、
じんわり熱を持った。
大人の言葉というのは、
こんなふうに人の中へ入ってくるのか、と、
十五歳の私は、
少し震えるような気持ちで思った。
今でも時々、
あの原稿用紙の束を思い出す。
インクの匂いと、
読めないほど崩れた文字。
そして、
“高揚”という言葉を知った夜のことを。
