第6話 信じられない自分がいてもいい 疑う心は弱さなのか
人を信じたいと思っているのに、
どこかでブレーキがかかることがある。
言葉では「大丈夫」と言われているのに、
心の奥では、
「本当だろうか」と問いが浮かぶ。
それを自分で感じ取った瞬間、
少しだけ、自己嫌悪になる。
「もっと素直になれたらいいのに」
「どうして疑ってしまうんだろう」
信じられない自分は、
冷たいのだろうか。
臆病なのだろうか。
でも、疑う心は、
必ずしも弱さではない。
人は、傷ついた経験を通して、
信じることを慎重に学んでいく。
裏切られた記憶、
期待が崩れた瞬間、
その積み重ねが、
「簡単には信じない」という感覚を育てる。
それは、自分を守るための知恵でもある。
医療の現場でも、
すべてを鵜呑みにせず、
何度も確認し、
立ち止まって考えることがある。
疑うことは、
命を軽んじないための姿勢でもある。
信じられない自分がいてもいい。
疑ってしまう自分がいてもいい。
無理に心を開かなくてもいいし、
無理に前向きにならなくてもいい。
信じることには、
その人なりの速度がある。
疑いながらでも、
人と関わることはできる。
完全に信じきれなくても、
同じ場所に立つことはできる。
信じるか、信じないか。
その二択ではなく、
「まだわからない」という場所に
立ち止まることも許されていい。
信じられない自分を責めるより、
「それだけ大切にしているものがある」
そう捉えてみてもいいのかもしれない。
疑う心があるからこそ、
信じられたときの一歩は、
静かで、確かなものになる。
信じられない自分がいてもいい。
それでも、人は人と関わっていく。
それでも、今日を生きている。
あとがき
疑うことは、拒絶ではなく、慎重さ。
信じるまでの時間も、
人それぞれでいいのだと思います。
次回は
第7話「変われなくてもいい」
成長し続けなければいけないのか
を書いていきます。
