ヤツから逃げろ!
子供のスマホ依存が話題になっている。
我々が子供のころはテレビの見過ぎが問題になっていた。
当時はまだ依存とか依存症とかいう概念は一般化していなかった。
そのうちゲーム依存が問題になり、ケータイ依存を経て今のこのスマホ依存に至っている。
とまあ、こう考えれば依存のなかった時代なんてあったのか?
と言いたくなる。
人はずっと何かしらに依存しているのではないか?
依存はよくない。
言うのは簡単だ。
しかし、何もせずにボーっとしている子供を見たら、大人はどう思うか?
「勉強をしろ!」だろうか?「もっと元気よく遊べ!」だろうか?
家に帰ってきた子供がずーっと机に向かって勉強している。
そうして寝る。朝起きて学校に行く。夕方帰ってきて寝るまでずっと勉強している。休みの日はずっと朝から晩まで寝るまで勉強している。
これはこれで勉強依存で、依存先が勉強だったらいいのだろうか?
それに越したことはないという親もいるかもしれない。
遊ぶといったって、いまや公園にいってもボール遊びもできない。大きな声をだしてもいけないとまで言われるところまである。といってゲームはスマホと同じようなもの。外で遊ぶにしてもできることは限られる。今更、コマ回しや凧揚げもないだろう。
むろんこんな極端なことを要求をしているわけではない。
ほどほどにしてほしいと言ってるわけだが、それがそうもいかない。
そもそも、あれだけ大人が夢中になって四六時中見ているスマホを、子供はダメなんていう昔のエロ本みたいな扱いが通じるとでも思っているのだろうか?
人はなぜ何かに依存せねばならないのだろうか?
何にも依存せずに生きている人なんているんだろうか?
人は常に何かしらをしているはずだ。ずっとボーっとしている人なんていない。
何かをせずにはいられない。
仕事でもいい。家事でもいい。おしゃべり、買い物、趣味、娯楽、習い事、その他諸々。最近ではネガティブなイメージの強い飲みにケーションだってそうだ。
寝てるとき以外はずっと何かをしているはずだ。
なので最近は意識してあえてボーっとする時間を持つ人もいるが、それも一日のうちの数分にすぎない。
なぜなのか?
ヤツがくるからだ。
何かをしていないとヤツがくる。
だから人はずっと何かをする。
スマホを見る。テレビを観る。ゲームをする。新聞を読む。漫画を読む。本を読む。どんなわずかな隙間にだってヤツはやってくる。人によっては風呂にまで入ってくる。だから風呂にスマホを持ち込む人もいる。
もっともヤツが侵入しやすいのが夜ふとんに入ってから寝るまでの時間帯だ。なので寝落ちするまでスマホを見ていたり、酒を飲みつづける人が大勢いる。
それは子供にだって同じなのだ。だから子供もスマホを見たがる。
スマホはこれまでになかった、わずかな隙間をも埋めてくれるからだ。
家にいればテレビを観れるが、外出先にはテレビはない。この隙間は今まで新聞や雑誌などの活字媒体くらいしか埋めてくれなかった(なぜか不思議と電車で漫画を読んでる人はあまり見ない)が、いまやスマホがある。スマホなら活字が苦手な人でも隙間を見事に埋めてみせてくれる。
何もしないとすぐにヤツがやってくる。だから人はどんな隙間もつくりたくない。
定年になると、早く趣味を見つけなさいとよく言われる。
これまで仕事一辺倒だった人が、仕事がなくなると何をしていいのやらわからなくなる。早く趣味を見つけないとヤツがくる。ヤツに取り込まれないためにも何かをしなくてはならない。そんな人にもスマホやインターネットは絶好の逃げ道なのかもしれない。
禅寺では、今ここという一瞬一瞬に集中することを教えられる。
掃除、洗濯、食事‥。食事中はいっさい音を出さないように食べる。そうすることで食べることに意識を集中することができるからだ。掃除その他の活動すべてに同じように集中する。そうすることでヤツの侵入を阻むのである。
禅といえば、座禅である。
ただ座っているだけなのに、いかにヤツの侵入を防ぐかが禅の真骨頂といえる。よく無心の境地というが、無になるというのは容易なことではない。だから呼吸を数えたりして、意識を自己の内面に集中させる。ゆえに座禅は修行といわれる。
悟りとは、ヤツを追っ払うことに成功したか、あるいはヤツとの共存を果たしたかを指しているのだとおもう。
ヤツとは何か?
もはやお気づきであろうとおもう。
ヤツの正体は、ネガティブな思考である。
天国と地獄の投稿でも記したとおり、人間はその生物的本能からネガティブな記憶のほうが残りやすい。それは思考にも言えることで、ポジティブなことよりもネガティブなことのほうが考えやすい。
人はみなこのネガティブな思考に追い掛け回されるのである。
もし人が退屈なとき、ポジティブな思考を繰り返しているのなら、みんな退屈には思わないはずだ。何もせずにずっとボーっとしていられるはずなのである。でもそうはならないからみんな回避行動を起こすのだ。夜寝るときだって、ポジティブなイメージがずっと湧き続けるなら、不眠に悩んだり、睡眠障害なんて言葉は生まれないはずなのだ。
このネガティブな思考の回避するには、何かに集中するしかない。
なので何かをするのだ。
スマホ、ゲーム、買い物、アルコール、パチンコ、麻雀、囲碁将棋これらはみな回避行動といっていい。
最近、飲みにケーションにネガティブなイメージがもたれているのは、スマホの登場によって回避行動が手軽になったことが挙げられる。もしスマホがなかったら、今でも飲みにケーションはポジティブなイメージを保ちつづけていたろう。
ヤツに取り込まれると反芻思考を起こしてしまう。
反芻思考とはネガティブのスパイラルみたいなもので、心に大きな支障をきたす。人はみな本能的にそれを知っているから、そうならないようにあらゆる方法でヤツから逃げ回るのである。
最近では推し活なる言葉が流行しているが、これなどはヤツから逃げる有効的な手段だ。ネガティブな思考をポジティブに変えることでヤツを遠くに追いやることができる。
今でもむろんそうなのだが、恋をすることは昔からヤツを遠ざける最も有効な手段なのである。好きな人のことを考えているとき、それは心がずっとポジティブな状態ということになる。万葉集に始まる日本古来の和歌には恋歌が多く含まれている。歌詠みもまたヤツから逃げるための古来からの知恵の一つだ。恋の歌を考えているとき、心は間違いなくポジティブな状態にあるといっていい。
ただ、これはフラれてしまうとたちまちヤツに取り込まれてしまうので注意しないといけない。だから一方的な推し活のほうが今では有効な手段なのかもしれない。
宝くじを買うなら販売が始まったらすぐに買うべきだ。買った瞬間から当たったことを妄想できるからだ。当たった妄想をすることはもちろんポジティブだ。だから長く妄想するためにも買うなら早く買ったほうがいい。ギャンブラーは勝ったときの妄想をずっとしていられるからギャンブルにのめり込むのだ。
しかし誰もが推し活をできるわけでもない。ずっと恋をしつづけるのも無理ではないかもしれないが、多くの人にとって難しい。宝くじだって何度も外れれば買う気も失うだろう。
また普通の人々に禅寺のお坊さんのような集中力もない。禅寺のお坊さんがみんなヤツから逃げきれているかどうかも怪しい。
なので何かに依存するしかない。
ヤツから逃げるために。
依存することで心をポジティブに保てているかどうかは別として、すくなくとも依存している間は、ヤツの侵入を防ぐことができるのである。
次回につづく。
