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「対話は大事」と言うけれど


こんばんは。山野弘樹です。
いま、全く寝れなくて、深夜にこの文章を書いています。

まぁ、そんな個人的な状況はさておきまして……


今日書きたい内容は「対話」についてです。

いま、あちこちで「対話の重要性」が叫ばれています。


国際政治の場面では、「暴力ではなく対話を」と言われていますし、文科省の「学習指導要領」では「主体的・対話的で深い学び」の必要性が明記されています。

実際、「対話ができない人」の問題点はいろんなところで指摘されています。自分の意見を一方的に相手に押し付けることは、とても暴力的なことです。

「対話は大事だ」  みんな、そう言います。

だからこそ、そうした「対話は大事」という文章を読むたびに、自分はあるモヤモヤを感じていました。


なぜか? 


それは、「対話とはどういうものか」ということを、誰もちゃんと説明していないからです。

もちろん、「対話」というもののなんとなくのイメージは、みなさん書かれています。「まず聴く」とか、「相手を否定しない」とか、「お互いに尊重する」とか、そうしたことがどの解説記事でも書かれています。

それでも、「対話」という言葉は、どこか曖昧です。


「対話は大事」。よくわかります。

ですが、いざ「対話をやってみましょう」となったとき、具体的に何をすれば対話をしたことになるのでしょうか?

例えば、次のようなシチュエーションはどうでしょうか。

~「よりよい人生」をテーマにした対話の場にて~

A「難しいテーマですね。でも、自分は映画を観ているときが一番幸せです」
B「とても良いですね! どんな映画が好みですか」
A「最近だと、『国宝』はやはり良かったですね。あの映画の本質は「友情」だと思っていて……」
B「うんうん」
A「(たくさん喋る)」
B「わかります。映画って、良いですよね!」

これは「対話」でしょうか?

人によっては、これも「対話」かもしれません。
特に、「面でをする」=「対話」という定義を取るならば、これは明らかに「対話」でしょう。

ただ……これって本当に「対話」なのでしょうか?

これは「対話」というより、(ただの)「会話」という気がします。

また、こんなシチュエーションはどうでしょうか?

~「よりよい働き方」をテーマにした対話の場にて~

A「自分はやはり、やりがいのある仕事ができることが大事だと思います」
B「そういうふうに言う人って多いんですけど、ぶっちゃけそんな仕事ができる人って限られてますよね。もっと現実的なものを考えた方がいいです。例えば、年収を上げるために最適化された行動を取るのが良いんじゃないですかね」
A「なぜそう言えるのですか? 別にお金を稼ぐことだけが働く目的ではないでしょう。」
B「でも、実際にお金がないと、よりよい生活は送れませんよね?」
A「じゃあ、あなたはとにかく貪欲にお金を稼ぐために働くというのが、よりよい働き方だと考えているのですか? 全く同意できません。そうではなく、自分のモチベーションを第一に考えるべきです」
B「そのモチベーションを上げるための方法が、年収を上げるという目標設定だと言っているんです」
(やりとりは続く)

これは「対話」でしょうか?

古代ギリシャの哲学者のプラトンは「対話篇」と呼ばれる一連の著作を書き残し、ソクラテスを主人公にした哲学的な議論をいくつも展開しました。

こうした「対話篇で行われているようなやりとり」=「対話」という定義を取るならば、これは明らかに「対話」でしょう。

ですが、これは、本当に「対話」なのでしょうか……?

「対話」というには、あまりに殺伐としていないでしょうか。

これは「対話」というより、「議論」という気がします。


このように、「これって対話じゃないよなぁ」というふうに感じるコミュニケーションがあります。

少なくとも、「対話とは議論ではないし、ただの会話でもない」とはっきり言わないといけない気がします。


さらに、理想を言えば、「対話とは……である」という形で説明する必要があるでしょう。

なぜなら、「対話とはこのようなものである」という共通理解がなければ、「今回は対話ができた/できなかった」という仕方で振り返ることすらできないからです。


それでは、改めて「対話」とは何でしょうか?


先日出版された拙著『対話の思考法――相手とぶつからないコミュニケーション』(角川新書)の中で、私は次のように「対話」を定義しました。

対話をするとは、一人称的経験を共有し合うことで、相手がなぜそのように考えるようになったのかを相互に理解する試みに他なりません。「AさんとBさんの考えが一致している/していない」という表面的なことを確認するのではなく、「いったいいかなる経験が二人の考えを分けたのか」を理解し合うことが大切なのです」(p. 40)

もちろん、「対話」という言葉は、さまざまな場面(文脈)で使われるものです。

だから、「これこそが絶対的な「対話」の説明である!」という主張をするつもりも全くありません。

ですが、「対話」という言葉のイメージが曖昧なまま「対話の場」を作ることほど空虚なものもないと思いますので、一度「対話」という言葉の意味内容が明示・共有されることが大切だと思います。


今月発売された拙著『対話の思考法』(角川新書)では、

・「対話ってなんだろう?」
・「どうして対話できることが大切なんだろう?」
・「対話ができる人と、できない人とで、何が違うんだろう?」
・「具体的に、どうやったら対話はできるのだろう?」

こうした疑問点にお答えしています。



もともと前著『独学の思考法――地頭を鍛える「考える技術」』(講談社現代新書)において、「対話的思考」というテーマについて論じていたのですが、今回は、その内容をさらに体系的に深めることを心掛けました。


・「対話文化を社内に導入したいので、対話の理念やその方法について知りたい」
・「人と話をするときに、対話的な方法でコミュニケーションがとりたい」
・「哲学対話や哲学カフェを開くときの参考にしてみたい」

こうした方々に、ぜひご一読いただければ幸いです。


また、実際に「対話的思考」を身につけるための企業研修などのお仕事の実績もありますので、ぜひ企業の方はいつでもご連絡をいただければ幸いです。
(※2024年から、「株式会社ブレインパッド」様にて、「哲学的思考力開発講座」の講師を担当させていただいております。)

(ご連絡先、およびこれまでの実績はこちらから閲覧可能です)


この本を読んでくださった方が、①「会話する」、②「議論する」という選択肢に加えて、さらに③「対話する」という第三の選択肢を取れるようになれたら――そしてそのことによって、その人の人生がこれまで以上に豊かなものになったら――筆者として、これ以上嬉しいことはありません。


あなたの読書生活が、より実り豊かなものになりますように。















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