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補助輪との戦いに始まり、クロックス伝説を経て、世界のおじさんとの激闘へ!自転車乗りの私の履歴書

noteを書き始めたのを機に、私の自転車乗りとしての歴史を振り返ってみました。

Y'sカップ、コスプレの部で優勝。私はその他大勢。ドロンジョ様の後ろのショッカーです👏

補助輪との死闘。運動音痴がなんとか自転車乗りデビュー

集合住宅での子供時代。同年代のお友達の中で、とうとう、私が自転車に補助輪をつけている、最後の一人になってしまった。待ったなし!

確か、父の力を借りたと思う。
膝やお腹を擦りむいた記憶もある。
怖かったけど、幼い私なりに必死に頑張った。

そして、、、なんとか乗れるようになった。

今思うと、あの時の頑張りがなければ今の私はない。

私の運動能力を鑑みると、そのまま自転車に乗れない大人になってしまった可能性は十分にある。

体育の成績は「1」。人生の厳しさを知った小学生時代

鉄棒に、でんぐり返しに、跳び箱に、かけっこ。
私が人並み以上に、満足にできる運動はほとんどなかった。運動会の徒競走は毎回、安定の最下位。

班分けされて、全員できるまで練習!とか、精神的に辛かった。

アニメ「キャプテン」を見て。人は努力すれば報われるんだ!と思って、毎朝早起きして鉄棒の練習をしに行ったけど、できるようにならず。
人生の厳しさを知る。

しかも、病気で一学期まるまる入院で学校を休むことになり。その後、数年間は体育の授業を見学することになった。そして、なんとか2をもらっていた体育の成績は、1へ陥落した

マイペースで身体を動かす楽しさに気付く

中学生になっても。バレーではサーブが入らず、バドミントン部に入ったものの、ラリーが続かない。もう、できるだけ人と一緒にスポーツはしたくない。。

そう思ってできる限り運動を避けて過ごしていた私が、社会人になって、スポーツクラブに入った。最初は、ダイエット目的だったと思う。そこで格闘技系エクササイズの楽しさに目覚める。

高橋尚子選手。Qちゃんの金メダルに感動してジョギングをやってみたりしたのも同じころ。
ランナーズハイをちょっと体験し、独りで身体を動かすのは楽しいな、と感じ始める。

久しぶりに乗った自転車。楽しい♪けど、やっぱり向いてない?

旅行が好きだった。レンタサイクルや、自転車で回るツアーに参加してみた。自転車、楽しい~~
買っちゃおうかな?

そんな時。お友達と一緒に参加した自転車ツアー中に、「あ、あそこ、お城?花嫁さんがいる~~キレイ!!!」と見とれていたら、電柱か何かに激突。小指を骨折。ツアーは途中離脱。不自由な生活にうんざり。やっぱり、私には自転車向いてないんだな、、

自転車通勤を始める。あの速い自転車は何?

でも、そのうち、ほとぼりが冷めて。当時、電車とバスで1時間かけて通勤していたのが、自転車だと30分かからないことに気が付き、電動自転車を購入。

最初は路肩に斜めに入って、転倒したりもしたけど、、やっぱり、自転車楽しい!

そして、通勤途中に、電動MAXにして全力でこいでもまったく追いつけない。かっこいい、速い自転車があることに気が付く。今思えば、ピスト自転車だった?とも思うけど、思い切ってロードバイクを購入することにした。

当時、30万円くらいの自転車が、10万円台後半くらいのセールになっていた。

清水の舞台から飛び降りる気分で購入を決意したのは、今は亡きブリヂストンの名機・クロモリロードバイクRNC7(ネオコット)

受取の時に「え?スタンドないんですか?」「ヘルメット、買わないといけないの?」「空気入れも??」などという、自転車屋さんをドン引きさせる発言をしつつ、私のスポーツバイク生活がスタート。

私の初代🚴ロゴなしなので、TOKYOBIKE?とか言われたけどピンクのブリヂストンRNC7です

「クロックス伝説」の誕生。意識高いロードバイク練習会に潜入

今思えば、周りは100万円以上かかってるバイクを、ぽん!とカギもかけずにおいて、コンビニに入っていた。私は自分のそこまで高価ではないバイクに丁寧に鍵をかけ。室内にバイクを置くのも新鮮で「かっこいいな~」とひとりシンプルなネオコットフレームを眺めて自己満足にひたっていた。

初めてショップの練習会に参加したときは、クロックスみたいなサンダルにショート丈のジーンズ、Tシャツというなめ切った格好。周りは皆、当然、専用ウェアを着ていて、死ぬほど浮いていたと思う。

が、しかし。スポーツクラブ通いで培った持久力で、私はクロックスの割には登れた(笑)

今でも、ショップの店長さんによく、「この人は~」とクロックス伝説を語られる。(でもそのサンダルは実はKEENだった。店長さんには何度か伝えたけど、まあ、どうでもいい話です)

そして当時まだ、サイコンのGPSナビをもっていなかった。道に迷うのが怖い余りに、周りに必死についていこうとしていたら、夢中で坂道に気が付かないことも多かった(笑)これは、自転車乗りあるある、かもしれない。

夫の登場。たくさんの景色や仲間との出逢い

そんな時に、自転車を通じて夫と出会った。ショップでの出会いではなかったけど、ここは長くなって面倒なので、今は割愛。あちこち出かけるようになる。

初めての津久井湖、相模湖、宮ヶ瀬湖。奥多摩に、小菅に、山中湖🗻こんなところまで??という場所まで、自分の脚でこいで帰ってこれた驚きと感動。

シクロクロス車も導入して、未舗装路や山道へも飛び出してみた。砂浜や砂利道を走る難しさと、探検のワクワク感。

初めてのサーキット。エンデューロでの金メダル獲得!仲間と走る楽しさ。

年代も、職場も。ぜんぜん違うたくさんの人と出会って一緒に走れる喜び。
自転車の虜になっていく私。

大人になって、ここまでワイワイかつ真剣に楽しめることってなかったかも。

数字を追う楽しさもあるんだね💡

でも、仲間と参加するなんちゃってエンデューロレース(金メダル2個、銀メダル1個獲得)以外には、レースへは参加しなかった。速く走るのが目的じゃなかったし、怪我が怖いし、あと単に面倒だった。

それでも、初期のころは自転車乗りのGPS情報を記録するSTRAVAでQOM (Queen of Mountain)がたくさんとれた。なぜなら、単に女性がそんなにSTRAVAやっていなかったから。ってか、自分でもそんなの、とってもとられても、全く気にしていなかった。

そんな私も、だいぶ経ってQOMの存在に気が付いた。少し、意識して峠を走るようになった。あと、GarminやSTRAVAの数値を見る楽しさにも少し気が付き始めた。

仮想世界で憧れの地へ。Zwiftで世界中を走る!

そして、コロナで自粛生活に突入。バーチャルサイクリングブーム到来!

私も以前にちょっとだけやったZwiftを定期的にやるようになった。夫にいくら勧められても拒否っていた三本ローラーにも挑戦した。

室内トレーニングを1-2時間、週に2-3回始めたら、私のFitnessスコア(体力の指標)がめきめきと上がっていく、、面白い。もっとやるようになった。

Zwiftで世界中を走った。ツールドフランスのコース、魔の峠モン・ヴァントゥを走る。ゲーム感覚でイベントに参加、あの光る自転車が欲しい!とかって、一通り夢中になっているうちに、どんどんFTPスコア(自分の持続できるパワーの指標)が勝手に上がっていった。

世界中の人と一緒に走るのが楽しい。そのうち、英国のチームに誘われて、チームで競う、オンラインの世界戦に参加したり、走りながらチャットしたり。Discordで会話して、作戦を指示されたりした。

その頃がたぶん、私の走力が最高潮になった時期。

Zwiftで走れば、グリーンジャージや水玉ジャージが簡単に取れる。週末2回の実走でも1日150km、2000m以上アップくらいを普通にこなせるようになっていた。STRAVAのFitnessスコアが150とか超えてきて、自分でも驚いた。

ぽっちゃりポニー、世界のおじさんと激闘する

そして、Zwiftの男女混合Cカテゴリーレースでたまに勝てるようになった。Womenカテゴリーは参加者が少なすぎてつまらなかった。当時、主に男性メインのCカテゴリーは、いちばん参加人数が多くて、盛り上がっていた!

ちなみに、私のZwift上での名前はPlump Pony(ぽっちゃりポニー)
夫が自転車に乗る私を「のろまなポニー」と呼んでいたのに由来する。

が、しかし。わりと本名を名乗る方も多い、諸外国のまあまあ真面目に走っている男性サイクリストにしてみたら。そんなフザケた名前のアジア人、しかも女性には負けられない、という刺激になっていたかもしれない(笑)

画面を見ていると、アバターの動きと数値で相手がどのくらい本気でこいでいるかがわかる。

レースの終盤、世界の裏側で。デンマークの巨大なおじさん(身長、体重、年齢は公表されている)が、私と競ってガチ踏み。

坂道だと体重軽めの私が有利だけど、平地はおじさんが有利。ドラフティング、後ろにつかせてもらって体力を温存したり、されたりの駆け引き。最後はスプリント!真剣勝負!!

「ぜっーーたい、負けるもんかーーーーーー!!」

全身汗だくで、息は当然できず、意識が遠くなっていく、、、、何のために、ここまでやっているのか。自分でも、謎(笑)



勝った!!負けた、、、、もちろん、両方あるけれど。 

そして、富士ヒル、とか、なんとかクリテ、とかと違って日本の公式レースではないので、誰に自慢できるわけでもなく、何の名誉もないのだけれど。

単純に。面白かった。

Zwift上でのレーサーとしてのランキングが上がっていく。そして、いつのまにか、実走でもQOMが100個を軽く超えていた。その時は、自分でも信じられないほど調子が良くて、すごい人数が走る、誰もが知ってるSTRAVAの関東の人気セグメントでも、いくつか区間QOMを取れた。

男性ガチ勢は特に、競い合うのが好きな方もたくさんいるし、それはそれでひとつの自転車の楽しみ方だと思う。けれど私は実走で普通に人と走っているときにガチ踏みしたり競うのは危ないし、勝っても負けても気分が微妙な気がしている。

でも、世界の、一生会わない人との真剣勝負は純粋で、後味が爽やかだった。今はもう、どこの誰だったのかわからない。実は、自分自身との真剣勝負。なにより、安全なのが良い。


突然いろいろ降ってきた。引退?

そして、ある日。富士ヒル試走にいく友人の車にのっけてもらって富士スバルラインへ遊びに行く予定だった私は、待ち合わせ場所に到着手前で、急に開放された車のドアに右鎖骨が激突し、骨折。1年くらい自転車に乗れない日々が続いた。

怪我と保険の手続きなどが落ち着いて、また走ろうかな、と思っていたら。

今度は、母がコロナで入院。昼休みをつかったママチャリでの毎日の病院通いが始まった。

晴れの日も雨の日も、、でも、その時はすることがあるのが、ありがたかった。




そして。母は2か月くらいでまさかの帰らぬ人になった。





しばらくずっと、何もする気になれなかった。

普通に毎日をやり過ごすだけで精一杯で。理由はないけど、まともに自転車に乗る気にならなかった。Zwiftはもっと前から止めていたけれど、STRAVA上からも私は消えた。

週末は、近くにある、母が大好きだったニリンソウ畑に、愛車やママチャリで通って、ぼーっとしていた。

初心に帰る。これからも。私の景色を変えてくれた自転車とともに

あれから1年が過ぎた。心にぽっかりと穴が空いたような日々の中で。ふと、noteを書き始めた。

自分の人生の棚卸。これまでの道のりを振り返って、今改めて思うのは。

私の人生の景色を変えてくれたのは、いつも自転車だった。

もう間に合わないか?と焦って走って見に行った
ダイヤモンド富士🗻
ぎり間に合った!大切なお友達とみなで大感動

補助輪を外した日の勇気。クロックスもどきで坂を登り切った時の高揚感。初めて100キロ走れた時の驚き。運動オンチが人生初の金メダル。たくさんの仲間と、大切な相棒である夫との出会い。一緒に見たダイヤモンド富士。数々の絶景や美味しいごはん。画面越しに世界の誰かと真剣に競い合う、馬鹿らしさ。

やっぱり、自転車に乗りたい。この先の人生を、自転車なしで過ごすなんて、考えられない。

そして。じりじりと低下していく、私の体力。Fitnessは積み上げていくのにものすごい継続と時間が必要だったけど、下がるのはあっという間だった。

今はもう、あの頃のようにZwiftで限界まで自分を追い込むことはないし、ストイックな練習もしないけれど。

これからは、自転車に出会ったばかりの頃や、初めて道志みちを上って富士山🗻まで行った日の純粋な喜びを思い出しながら。

ギリ残っている体力を振り絞って。
まだ見ぬ景色や体験を求めて。
私のペースで、私だけの人生の物語を彩ってくれる最強の秘密兵器🚴と一緒に。

ゆっくり走って、猫に会いに行く。
四国お遍路は、引退したら必ず行くぞ。
ニュージーランドも、絶対再訪する!

今年も、またニリンソウが咲き始める。

私はやっぱり自転車から離れられないし、
自転車はずっと私のいちばんの友だちだと。
このnoteを書いたことで、改めて気が付くことができました。

母がだいぶ前に、散策中に偶然発見し大感動したニリンソウ畑。私にも嬉しそうに教えてくれた
母がお友達を連れて、何度も何度も訪れた、お気に入りの場所。
花言葉は「友情」「協力」「ずっと離れない」


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りぜ@Ride to Zero|自力でこいで日本を食い尽くす。50代夫婦の自転車旅 FIREしたら、日本全国を自転車で巡る旅に出たいと思っています。 その旅の記録を、エッセイとして静かに積み重ねていくのが夢です。 もし応援していただけたら、旅の資金の一部として大切に使わせていただきます。