それ、愛情のつもりだった
娘のぽっちゃりしたお腹を触ってしまう。
むにゅむにゅ可愛いな、って思うのと
お腹出てるで、って思うのと。
でも今日、気づいた。
娘が怒ってる時に、それをやってる。
一番無防備になってる時に、
一番痛いとこに触れてる。
私にも、太ってて嫌な思いを
いっぱいした子ども時代がある。
だから自動的にそこに娘を重ねて、
気にしてしまう。
外食でこれも食べたいって言われたら、
食べれる?って、つい聞いてしまう。
娘はその瞬間
もういい、頼まない、って怒ってやめる。
ほんとは食べたかったのに。
一緒にテレビを観ていて
最後、え!って声出した瞬間、
娘が「ママ何なん?」って聞いてくる。
説明するのが、面倒。
反射で、強めにちょっと待って、
って返してしまう。
娘はそれを、拒否された、って受け取る。
三つとも、バラバラのシーンやったのに、
並べてみたら同じやった。
娘の気持ちより先に、
私の反応が出てしまってる。
どのパターンも
娘はもういい、と言って怒る。
私はそれを、
またやとか、面倒くさいとイライラする。
イライラするのと、
私は一体どう反応したらいいのという
気持ちと。
娘を通して見えてきたのは、
「ありのままの自分を、条件なしで受け入れる」
これ、私がまだ自分にできてないこと。
ちゃんとする。
バランス取る。
説明できる自分でいる。
それは、私を守ってくれた鎧だった。
でも今、目の前にいる娘は、
まだ整ってなくて、無防備で、自由で。
その姿に、私の鎧がざわつく。
娘が悪いんじゃない。
私がまだ、自分に向けられない優しさが、
娘を通して映ってるだけ。
すぐ怒るパターンが続いていた。
夏休みでいつもより接する時間も多いし、
こうなってしまうんかなとかで済ませてた。
でもこれを書いているうちに、
ありのままを受け入れてもらえないって、
どんな寂しいやろうって。
初めて娘の立場になったら湧いてきた。
それと同時に申し訳ない気持ちになった。
娘の立場になって湧いたのは、
私自身へのメッセージだ。
きっと寂しかったんやろうな、私も。
まずはその自分を受け入れてあげよう。
